京都で、ふと思い出すこと。

今日もゲリラ豪雨に見舞われました、京都旅行。
その大雨旅行記の前に、ふと、わたしと京都の思い出をちらりと書いてみる。

小学校の頃、京都出身の子がいた。関東圏の言葉に慣れていた低学年のわたしには、「他の都道府県の言葉」に驚いたのと、子供ながらに京都弁はとてもきれいに聞こえたのを覚えている。
班も通学路も違ったし、いわゆる「子供っぽい」わたしに対して、どことなくクールで知的な雰囲気を持っていたその子。話す機会は少なかったと思う。
その子は頭が良くて、良い意味で目立つタイプの子だったので、ずっと印象に残っていた。

ある日の学校のイベントで(自由参加)わたしは母と学校に来た。仲のいいグループの子は特に来ていなくて母に「帰ろうよ」とか言った覚えがある笑

そのとき、偶然同じように母親と一緒に来ていたその子と出会った。母とその子の母が話し始め、流れでその子と遊ぶことになった。

はしゃいで遊んでいるうちに、いつも少しクールにしていたその子の意外な可愛い一面を見て、なんだかとても楽しくなった。

また遊ぶ約束をしても良かったのかもしれない。
母も時折「あの子はどうしてる?いい子だったね」なんて聞いてきた、けれどもやっぱり、学校ではなかなか話す機会がなかった。少しして、その子は転校した。

それだけの話、たぶんその子はもうわたしのことを忘れているだろう。わたしもじつは、その子の名前を思い出せない。

小学校低学年の頃に、彼は、将来こういうことをしたいと、恐ろしいほど(褒め言葉)はっきり夢を語っていた。勝手な想像だけど、彼なら夢を叶えてそうな気がする。

ふと、京都弁を聞くと、子供の頃のことを思い出す。
きれいな言葉だったなあ、と。

なんのオチもない些細なエピソードでした。笑

たぶん、子供の頃、生まれて初めて聞いた京都の言葉だったので、なおさら記憶に残ってるんでしょうね。

今みたいにネットもなく情報も少ない時代。
やっぱり「その学校で多く使われる言葉や方言」が「主要語」になり、その子にも「なんで方言使うの?」みたいなことを言う子はいた。

その子は周りが何を言おうと「京都の言葉だから」「京都に住んでいたから」ということを、きっぱり言っていた。

子供心ながらに、とても眩しかったな、と思う。

ホテルからは、その子が教えてくれた京都タワーが少しだけ、見えている。



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