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元海沿い建築を行って帰る

 ストリートスナップをやるときは一度行った道を必ず反対向きに通らないといけないと言ったのは森山大道だっけ。返りは犬を抱えていたからスマホしか使えなかったけど。

 埋め立て地ができる前は海沿いだったところで、釣具屋さんや海事の大学もある。

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 歩いているのは、堤防があった土手みたいな場所だ。その土手から各自の家に入るためのプライヴェート階段がある。小さい頃、結構これに憧れていた。

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 元海沿い建築はよくこういう形をしている。堤防ができるよりも更に前、この地形がどんなふうだったのかは知らない。何を調べたらいいんだろう。土手なしに海が間近に望めたのだとしたら、そういう場所に住むのはどういう気分なんだろう。

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 今でも、埋め立て地と埋め立て地の隙間にある元からの河口の近くまで大きな船が来ることがあって、夕方家に居ると汽笛が聞こえる。こっち側の埋め立て地は住宅街だけど、向こう側は工場地帯だから、そこに付ける必要があって。

 その河口から西の方に行くと大伯母と大伯父の家で、それはちょうど暗渠のそばで、大伯父から以前、この道は昔川でな、と聞いたことがある。大伯父の話は前に書いた。今はリハビリ病院に入っている。

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 大伯母が施設に入ることになって、それも介護度や状況を考えると優先度の高い待ちの人がいっぱい居そうなのに大伯母の妹、私の祖母が以前袖の下を送った関係でトントン拍子に進んだようだった。大伯父が倒れて以来、娘と妹にすっかり自由を制限され、買い物も通院も出来ていたのに禁止され、ごはんを炊いたら怒られ、お菓子を持って遊びに来た親戚には大伯母の娘から二度と来るなみたいな電話があったらしい。

 2人とも大伯母は完全に認知症になって何も分からないと思い込んでいて、本人の目の前で入所の相談をコソコソとするから、「多分そういうことやと思ったけどやっぱりそうやった、おばちゃん勘が鋭いから」と言っていた。貯めたお金が随分あるのにその2人が色んなことを高い、高いと言って、本人には何も言わずに大部屋に入るのが決まった。施設も病院も今はピリピリしているから、もういつ会えるか分からない。

 なーんにも出来なかった。介入しなかった、出来なかったことを悔やんでみても、あなたは悪くないよーって言ってほしいだけの人になる。そうはいっても、世代が2つ下になるとアクターにはなれないものらしい。

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