『雑味』

音楽、漫画、映画、演劇等々コンテンツが好きです。
特に人間性溢れる作品を解釈するのが好きです。
作品の解釈には4段階あると言われています。

1層:表層.映像や音そのもの
2層:心情.登場人物の内面心情
3層:意図.作者が1.2を表現しようとした意図
4層:時代.その作者が作品を作るに至った背景

『スターウォーズ』で例えると、

"1層:表層"
ライトセーバーでの攻防、宇宙でのXウィングの戦闘、ジョン・ウィリアムズのテーマ。
"2層:心情"
ルークが砂漠の2つの太陽に思いをはせるシーン等で登場人物の内面。
"3層:意図"
監督ジョージ・ルーカスが当時の最新テクノロジーを駆使して演出したルーク・スカイウォーカーの快活な冒険を描こう意図。
"4層:時代"
そのジョージ・ルーカスに快活な冒険を作らせた1970年の陰鬱としたニューシネマの潮流。

"意図"、"時代"が反映された作品には人間性を感じます。"表層"、"心情"と"意図"、"時代"の繋がりが明確であれば、演出に長けているな感じます。

最近の焼回しに焼回しを重ねたようなアニメ等、"表層"しか感じられない作品には人間性を感じませんが、その作品を生み出すに至る"時代"を鑑みれば、経済面からの考察も面白かったりします。

という具合に、多くの視点を持てばどんな作品でも楽しむことが出来ます。
"知識が増えれば、楽しみが増える"とも言えます。

"つまらないものはつまらない"と切り捨てる感性至上主義的な考えは少々賛同しかねます。

私もジャズ、クラッシック、歌舞伎、宝塚等は良く分からない部分がありますが、面白さを知ればきっと楽しいはず。

現代芸術的な問いの連続のような表現を楽しむのは難しいので、多くの観客が楽しむことが出来る程度"表層"のエンターテイメント性は必要です。

古典が古臭く感じるのは"表層"のエンターテイメント性の欠如かもしれません。"表層"を時代に合わせたものにすればまた楽しめるというのが、古典を下敷きにした映画、アニメだったりするのかもしれません。

近年のディズニー作品は万人受けするのに深く解釈できるという構成が見事だと感じますが、これはプリンセスシリーズに見るような"時代"に合わせた価値観のアップデートと"表層"のアニメーション表現が見事に融合された結果でしょう。

このように知識のある分野に関してはある程度楽しむことが出来るし、そこに人間性を見出すのは楽しいです。

しかし、人間そのものとの対峙は少々苦手な面があります。

これは映画という表現が解釈を全面的に観客に委ねる一方通行のコミュニケーションであり、こちらに全く痛みが無い、作者の"意図"が抽出されたものだからかもしれません。

コンテンツは解釈が容易で痛みが無いが、人間に対しては知識不足で解釈できず、更にこちらの表現も稚拙であるため、痛みを伴う。この痛みの有無が一方向と双方向のコミュニケーションの差のように感じます。

コミュニケ―ションの痛みを緩和するのはやはり知識です。コンテンツの様に分かり易く抽出された表現は解釈しやすく、痛みを伴う事もほどんどありませんが、上記のように知識不足で"つまらないものはつまらない"と切り捨てるのは双方向のコミュニケーションにおいても勿体ない事です。

これらの"つまらないもの"や"痛み"を言いかえれば"雑味"。

そして"雑味"を味わうにはある程度の知識が必要です。

恐らく、人間性の解釈にも段階があり、ルックス、発言といった"表層"からその人の"心情"、その言葉遣いをする"意図"、その人格を形成させた"時代"があるでしょう。

最適化により"つまらないもの"を排除して"雑味"を取り除くのは人間の進化の常ですが、"雑味"を味わう事が出来れば人生の楽しみも増えるはずです。

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