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関東軍

[関東軍とは何か]
 1919年4月11日公布の「関東軍司令部条例」により成立した日本陸軍の在外軍隊。司令部は当初、旅順に置かれたが、満洲事変勃発後奉天に移動し、さらに満洲国成立後は新京に進出した。最高指揮官の関東軍司令官は天皇に直隷する親任官であり、陸軍大・中将が任命された。関東軍の前身は、日露戦争後に誕生した関東都督府陸軍部。ポーツマス条約の追加約款では、日本に譲渡された東清鉄道南部支線(長春―旅順間、のちの満鉄)の保護のため1㌔ごとに15名(総計1万4419名)以下の守備兵を置く権利が認められた。関東都督府陸軍部は、この兵力を、日本から二年交代で満洲に駐箚する一個師団と満鉄沿線の各地に配属された独立守備隊六個大隊とで充当した。したがって、関東軍の平時任務も、「関東軍司令部条例」が規定するとおり、関東州および満洲にある鉄道の保護である。

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[解釈と論争]
 満洲事変・満洲国史研究は、関東軍の実態解明と不可分である。そのため、30年代の関東軍に関する研究が著しく進展した反面、20年代のそれは、奉直戦争・郭松齢事件・張作霖爆殺事件など個別案件への関東軍の対応に関心が限定されている。さらに、日本近代史研究が太平洋戦争原因究明論の立場から進められる傾向にあった結果、「暴走」「泣く子も黙る関東軍」といった満洲事変以降の関東軍に対するイメージをそのまま20年代に投影しがちである。しかし、そもそも関東軍は原敬内閣の植民地官制改革の一環として成立し、兵力も制限されていた。30年代の関東軍の姿が20年代にあてはまるかどうかは、今後の慎重な検討が必要である。

[情勢の展開]
 1918年9月に成立した原敬内閣は、朝鮮三・一運動など国際的に民族自立の傾向が強まるなか、朝鮮・台湾両総督に文官任用の道を開くなど、軍・政分離を柱とする植民地官制改革を進めた。その手始めに行われたのが、関東都督府の解体である。1919年4月、関東庁官制を公布し、都督府の陸軍部以外の部分を同庁に継承させるとともに、関東長官への文官任用を可能にした。これと同時に「関東軍司令部条例」を制定し、陸軍部を独立させて関東軍とした。しかし、結果的にみると、この改革は、関東軍が満洲事変以降に「独走」する素地を制度的に形成した。関東都督が、政務については首相または外相の監督を受けたのに対し、関東軍司長官は天皇に直隷し、こうした監督を受けなかったからである。とはいえ、張作霖爆殺事件前の関東軍は、日本の在満機関が関東庁・奉天総領事館・満鉄・関東軍と多頭化するなか、本来の任務を逸脱することはなかった。たとえば、張作霖にむかって強硬姿勢をとりがちだった奉天総領事吉田茂に対し、関東軍は必ずしもこれを支持していなかった。
 一方、原内閣は1921年5月、日本の在満権益の維持・拡充のため、満洲の軍閥・張作霖を支援する方針を閣議決定した。したがって、関東軍も、1922年から24年にかけての第一~二次奉直戦争や1925年11月郭松齢事件の発生に際しては、直接または間接的に張を支援する行動をとった。
 しかし、関東軍は、郭松齢事件を契機に反張政策へと転換する。日本側が張作霖に期待していたのは、満洲地方の境域を維持し、民生を安定させる「保境安民」である。一方、張は権力強化のため事件前から関内進出を繰り返していた。郭が反乱を起こしたのも、張の関内進出により満洲の政治・経済に混乱が生じたからである。関東軍の政策転換は、1928年6月の張作霖爆殺事件で顕わになる。この時期の関東軍は、張にかわる権力者を満洲で擁立し、日本と連携して「保境安民」を守らせようとした。
 爆殺事件直後、関東軍は、張作霖の権力を継承した張学良を支持した。張学良が権力基盤を安定させるまで「保境安民」を唱えたからである。しかし、張学良はその後、東北易幟・中ソ紛争・関内進出など「保境安民」に反する政策をとった。これをみた関東軍では、石原莞爾・板垣征四郎を中心に、張爆殺事件直後、関東軍は、張学良にかわって日本が満洲を支配し、みずから「保境安民」を行うべきだとの意見が浮上した。関東軍は1931年9月18日に柳条湖事件を起こし、「司令部条例」を逸脱して沿線外に出兵、やがて満洲全域を占領した。
 柳条湖事件前、関東軍は満洲占領計画を立てていた。しかし、満洲事変に反対する日本国内外の情勢に鑑み、やがて満洲に新国家を建設する方向に傾いた。ただし、1932年3月1日の満洲国成立後も「内面指導」などの方法を通じて同国の政策決定に大きな影響を与えた。関東軍の兵力も満洲事変以降拡大された。1934年から3個師団体制をとりはじめ、1936年からは2年交代制を永久駐屯制に改め、増勢をはかった。さらに1941年の関特演を経て太平洋戦争勃発当時は14個師団・約70万名の兵力があった。 

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[参考文献]
防衛庁防衛研修所戦史室編『関東軍』一・二(朝雲新聞社、1969年)
中山隆志『関東軍』(講談社選書メチエ、2000)
澁谷由里『馬賊で見る「満洲」—張作霖のあゆんだ道』(講談社選書メチエ、2004年)
島田俊彦『関東軍』(講談社学術文庫、2005年)
西田敏宏「第一次幣原外交における満蒙政策の展開—1926~1927年を中心に」(『日本史研究』五一四、2005年)
加藤聖文『満鉄全史』(講談社選書メチエ、2006年)

—— 二〇世紀満洲歴史事典(樋口秀実)

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