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満洲国の留日学生

 満洲国が成立してから、警察や官僚の養成のために政府から派遣される官費留学生や各種名目の私費留学生が日ましに増え、一九三五年六月時点で一一〇〇名以上に達した。制度の不備により、留学生の中には日本語力の著しい低い者や中華民国の学生と通じて左翼活動に参加する者も現われたため、留学生の管理強化が求められた。その結果、同年春ごろから日本の陸軍省が満洲国協和会、駐日公使館、関東軍などと協議を重ね、指導や管理の強化策を打ち出した。
 これに基づき、満洲国では三六年六月に「留学生規程」を公布し、九月から留学生認可制度を実施した。それらによれば、留学の条件は「思想堅実、性質善良にして身体強健」、高級中学卒、日本語試験の合格者などが挙げられ、申請するには履歴書、卒業証明書、居住地行政長官の身元調査書なども必要とされた。一方、日本では同年一月に駐日公使館監督下の満洲国留日学生会が発足し、すべての留学生の強制加入が義務づけられた。学生会は中央機構を持つ以外に各大学または各地区に分会を設け、運動会、旅行、日本学生との交歓会などを定期的に開催し、毎年「紀元節」を盛大に祝うなどの活動を展開して、留学生に対する思想管理や集団指導を推進した。また、学生会の本部所在地と宿泊、教育の施設として三七年末に満洲国留日学生会館が東京小石川に落成された。
 しかし、この一連の管理強化策にもかかわらず、留学生による抗日地下活動が絶えなかった。三九年二月、汪淑子を首謀者に、「日本帝国主義」や「傀儡満洲国」の打倒などを掲げ、政府要人暗殺などの活動を企んだとする「中国共産党東京支部事件」が発覚、関連者として留学生三四名が検挙された。また、四一年三月、仲同升を中心とする「左翼グループ事件」(反満抗日宣伝などの容疑、被疑者七名)、さらに、四二年夏に、国民党の指導下でスパイ活動や反日宣伝などを行い、賈桂林を首謀者とする「治安維持法違反事件」、同年六月に王徳成を中心とする「反満抗日グループ事件」が起こった。

[参考文献]謝延秀編『満洲国学生日本留学十周年史』(満洲国大使館内学生会、一九四二年)、菊池一隆「日本国内における在日中国・「満洲国」留学生の対日抵抗について」(『人間文化』二三、二〇〇八~〇九年)、大久保明男「満洲国」留日学生的文学活動——以駱駝生爲中心」(王恵珍編「龍瑛宗及其同時代東亜作家論文集』所収、台湾・国立清華大学台湾文学研究所、二〇一一年)

底本:二〇世紀満洲歴史事典(吉川弘文館、2012年12月10日)

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