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エチオピア語エノク書(または第一エノク書)—第6章~13章 天使たちの堕落

第6章

 そのころ人の子らが数を増していくと、彼らに見目麗しい美人の娘たちが生まれた*1)。これを見たみ使いたち、(すなわち)天の子*2)たちは彼女らに魅せられ、「さて、さて、あの人の子らの中からおのおの嫁を選び、子をもうけようではないか」と、言いかわした。彼らのなかの筆頭たるシェミハザ*3)が言いだした。「実は、 あなたがたはこういうことが実行されるのをひょっとすると好まず、わたしだけがこのけしからん悪事のしりぬぐいをするはめになるのではないかと心配なのだ」。彼らは異口同音に答えた。「この計画をふいにしたないこと、これを確実に実行することをいっしょにはっきりと誓い、(誓いを破った者は)仲間はずれにするとしよう」。 そこで一同は誓いをたて、そこで仲間はずれを罰とする誓いを結んだ。そこに居合わせたのは合計200人であった。彼らはヤレデ〔の時代*4)〕にヘルモン山の頂におりたった。この山をヘルモンと名づけたのは、そこで仲間はずれを罰とする誓いを結んだからである*5)。以下はみ使いたちの名である*6)。彼らの長たるシェミハザ、アラキバ、ラメエル、コカビエル、アキベエル、タミエル、ラムエル、ダネル、エゼケエル、バラクエル、アサエル、アルメルス、バトラェル、アナニエル、ザキエル、シャムシャエル、サルタエル、トゥルエル、ヨムヤエル、サハリエル。以上は200人のみ使いの首長たち*7)であり、他はみなこれに従った。

1) 創6-1~4参照。創世記のこの特異な記事は以後ユダヤ文学の随所に言及されている。たとえば、ヨベル4-15、5-1以下、ルベン遺5-6、7、ナフタリ遺3-5、エノク書の創世記記事へのこのような扱いも、 これを正典の位置からはずす動機となったと見られる(アウグスティヌス『神の国』15-23参照)。
2) 「神から生まれたもの」の意。15-1~7参照。
3) これはバラクエル(後段七節)などとともにクムラン出土のアラム語エノク書断片から回復された形。
4) ェチオピア語「アルデスに」。これは (en tais hēmerais) yared eis を読みちがえたもの。4Q Hen bywmy yrd.
5) ヘブル語 chērmòn を cherem に関係させたもの。
6) 以下の天使名については、ミリクの論文 “Turfan et Qumran" 参照。
7) 異読「十人組の首長たち」。

第7章

 彼らは妻をめとり、各人ひとりずつ女を選びこれと関係をもち、交わりはじめた。また女たちに医療、呪いを教え、(薬)草の根や灌木の断ち方を教えこんだ。彼女らははらんで、背たけがいずれも3000キュビトというとてつもない巨人*1)を生んだ。彼らはすべての人間の労苦の実を食いつくしてしまい、人間はもはや彼らを養うことができなくなってしまった。そこで巨人たちは人間を食わんものと彼ら(人間)に目をむけた。彼らは鳥や獣、(地を)這う生き物や魚に対して罪を犯し、互いの肉をくらいあい、血をすすり*2)はじめた。そのとき、地はこの狼籍者たちに対して非をならした。

1) ヨベル7-22、23には三種の巨人があげられている。
2) 創9-4、行15-20参照。
ヨベル書7-22~23 
 彼らは子としてネピリムを産み、これがみな仲たがいをしてとも食いをし、エルバハネピルを、ネピルはエルヨを、エルヨは人類を、(人類は)お互いを殺し合った。だれもが自分を(悪に)売り渡して暴虐を行ない、おびただしい血を流した。地は暴虐に満ちた。

第8章

 アザゼルは剣、小刀、楯、胸当ての造り方を人間に教え、金属*1)とその製品、腕輪、飾り、アンチモンの塗り方、眉毛の手入れの仕方、各種の石のなかでも大柄の選りすぐったもの、ありとあらゆる染料*2)を見せた。(その後)はなはだしい不敬虔なことが行なわれ、人々は姦淫を行ない、道をふみはずし、その行状はすっかり腐敗してしまった。シェミハザは、すべての魔法使いと(草木の)根を断つ者とを教え、アルマロスは魔法使いをいかに無効にするかを教え、バラクエルは占星家を、コカビエルは(天体の)兆を、タミエルは星の観察の仕方を教え、サハリエルは月の運行を教えた。人間どもが、滅んでゆくと彼ら(天使たち)は大声にわめき、その声は天に達した。

1) ギリシア語による。エチオピア語「その背後にあるもの」。ギリシア語 metalla を met auta と読みちがえたか。
2) エチオビア語には「および世界の変化を」とつづくが意味不明。ディルマンは「地の金属」とするがむり。ギリシア語 metalla (金属)のまずい語源訳としても。

第9章

 そのとき、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエル*1)が空から見おろすと、おびただしい血が地上に流され、ありとあらゆる暴虐が地上に行なわれているのが見えた。彼らは互いに言いあった。「彼ら(人間ども)の叫び声で、人気のない*2)大地が天の門までこだました。こんどは、きみたち天の聖者たちを人間どもの魂は告発して言う。『至高者の前にわれわれの訴えを入もちこんでもらいたい』。彼らは彼らの主なる王に言った。『主の主、神々のなかの神、王のなかの王、あなたさまの尊い御座はいつの世にも(変わらず)あり、あなたさまの御名はいつの世にも聖にしてほむべく、あなたさまご自身はほめたたえられるべきおかた。あなたは万物を造られ、万物をすべる力はあなたにあり、いっさいはあなたの前に開かれて明らさまに(おかれて)あり、あなたの視線はすべてのものにとどき、あなたの眼に隠れうるものはなにひとつとしてない。あなたは、アザゼルがしたこと、地上で不法を教え、天上に行なわれる永遠の秘密をあかした次第をごらんになった。また、その同輩を指導する権限をあなたからいただいたシェミハザは魔術を暴露した。 彼らは連れだって人の娘らのところに通い、これと、すなわちこの女たちと寝て身をけがし、彼女らにこれらの罪の数々を明かした。女たちは巨人を産み、こうして全地は(流)血と暴虐に満ちあふれた。こんどは見よ、死者の魂が叫びだし、天の門にまでこだまし、地上に行なわれる暴虐(の手)をのがれることのできない彼らの陣き声が(天に)のぼった。あ
なたは何事にかかわらず、それが起こる前からご存知であり、このことも、彼らにかかわることもご存知である。にもかかわらず、このことに関して、彼らにどう対すべきか、われわれに何ひとつおおせにならない」。

1) ギリシア語による。あるエチオピア語写本が「ウリエル」の代わりに示す「スリエル」は、天使として、タルムッド(ベラコス51a)に出ている。
2) 67-2参照。

第10章

 その後、大いなる、聖なる至高者は語りかけ、アルスヤラルユル*1)をラメクの子(ノア)のところにつかわすに先立って、こう言われた。「わたしの名によって彼に、『身を隠せ』と言え。また、来たるべき終末を彼に明示せよ。全地は滅亡するのだ。大洪水が起こって全地に及び、地上にあるものは滅び失せるのだ。いま、彼が難をのがれ、彼の子孫が世々代々*2)生き残れるように彼に指示せよ」。主はまた彼ラファエルに言われた。「アザゼル*3)の手足を縛って暗闇に放りこめ。ダドエルにある荒野に穴を掘ってそこに彼奴を投げこめ*4)。 その上にごつごつした、鋭い石をいくつものせ、闇で奴を覆い、そこに永久に坐らせておけ。また奴の顔に何かかぶせて光が見えないようにせよ。大審判の大いなる日に、彼は炎の中に放りこまれるのだ。 み使いたちが堕落させたところの地をいやせ*5)。地のいやしを、すなわち、わたしが地をいやし、人の子らは、寝ずの番人たちが語り*6)その子らに教えたところのもろもろの秘義のゆえに減びることはない、とふれよ。全地はアザゼルのわざの教えで堕落した。いっさいの罪を彼奴に帰せよ」。また神はガブリエルに言われた。「ててなし子や不義の子、姦通の子らをねらい、姦通の子、寝ずの番人が生ませた子を人間のなかから滅ぼし去れ。奴らを引き出し、互いに挑みあわさせたら、殺し合って自減するだろう。どうせ長い寿命ではないのだから。彼ら(父親)はみんなおまえに哀願することだろう。しかし、彼ら(子)を思う父親どもの願いはかなえられはしない。彼らは永生を望み、各人500年の寿命を希望しているのだが」。神はミカエルに言われた。「シェミハザとその同輩で女たちとぐるになりありとあらゆるけがらわしいことをして自堕落な生活をした者たちにふれよ。彼らの子孫が斬りむすんで果て、愛児の減亡を見たら、彼らを70世代、彼らの審判と終末の日、永遠の審判が終了するまで、大地の丘の下につないでおけ。その日彼らは拷問の火の下をくぐらされ、永久に獄舎に閉じこめられるであろう。そのときそれは燃えつき、減び*7)、いまからはじまってすべての世代の終わりまで彼らとともにつながれたままになるだろう。すべて快楽の(とりことなっている)魂と、寝ずの番人の子孫を減ぼせ。彼らは人間に乱暴を働いたから。いっさいの乱暴を地上からなくせ。いっさいの悪行は消えうせ、正義と道理の木*8)が生えいでよ。そうすれば、(すべての)行ないは祝福となり、正義と道理は喜びのうちに永遠に植えられるであろう。いまや、すべての義人は(減亡を)のがれ*9)、1000人の子をもうけるまで長生きし、青年時代および老境*10)を安らかに全うすることであろう。そのときは、全地が正義によって耕され、一面に木が植えられて祝福に満ちあふれるであろう。喜びをもたらすありとあらゆる木が植えられ、ぶどうの木も植えつけられ、こうして植えられたぶどうの木はたわわに実り、なんの種子をまいても種子の量の千倍の収穫があり、オリーブの種子をひと握りまけば、酒ぶね10ぱいの実がとれる*11)。おまえは地上のいっさいの暴威、暴逆を一掃し、いっさいの罪、不敬、地上に行なわれるすべてのけがれたものを除き、こういったものを地上から払拭せよ。人の子らはすべて義しいものとなり、すべての民はわたしを神として崇めたたえ、わたしにひざをかがめるであろう。地はいっさいの腐敗、いっさいの罪からきよめられ、災禍、苦難にいっさいあうことなく、世々にわたって、永遠に、二度と洪水をその上にわたしは送らない。

1) ウリエルの別名らしい。
2) ギリシア語およびチャールズによる。ディルマン「全地のため」。
3) レビ16-10、22参照。上記レビ記のアラム語訳(偽ヨナタン)では、ツクの荒野、ェルサレム近辺のベイト・ハルデというところにこのアザゼルの羊は連れていかれて崖からつき落されることになっている。ダドエルはベイト・ハルデのくずれた形であろう。同じ地名は「ハロドナ」という形で、ワディ・ムラバアット出土の後117年の婚姻契約書に出ている。正確にはエルサレムの南5キロメートル、ブケイアへの路上にある今日のキルベト・ハラザンである。J・T・ミリクによれば、ドダエルはアドダエルがもとの形で、chaddúdhé 'ēl 「ごつごつした神の山」を意味し、五節の「ごつごつした鋭い石」に関係するという。(Biblica 32 [1951] p. 395)。
4) これは仮の審判であり(ユダ6、Ⅱペテ2-4)、終末の、正式の審判は別にある。本章12-14、16-1、19-1~3、21-7~10等参照。
5)  「救え」の意。ラファエルは「神はいやされた」を意味する。
6) ギリシア語による。ェチオピア語は「殺した」
7) 意味不明。ギリシア語S 「すべて審かれて減びる者は」。
8) 選民イスラエルをさす。
9) ギリシア語とチャールズによる。
10) エチオピア語、ギリシア語の「安息日」は、sēbhūthahón を shabbathahōn と読みちがえたもの。
11) イザ5-10とは逆。

第11章

 そのとき、わたしは天にある祝福の倉を開け、地上に、人の子らの苦労と難儀のうえに(祝福を)注ごう。平和と道理が世のつづく限り、世々に手をつないでひとつとなるであろう。

第12章

 以上のことがおこるまえに、エノクは隠され、人の子らのうち、彼がどこに隠されたのか、どこにいるのか、またどうなったのか知っているものはなかった。存命中の彼の活動はすべて、聖者たち*1)、寝ずの番人たちの間で行なわれた。わたしェノクが大いなる主、永遠の王をほめたたえていると、見よ、寝ずの番人たちがわたし、学者エノクに呼びかけて言った。 正義の学者*2)エノクよ、行って、高き天、永遠の聖なる所を去って女どもと堕落し、人の子らのやっているのと同じことをやり、妻を迎えて地上で堕落しきった生活をしている天の*3)寝ずの番人に知らせてもらいたい。 彼らは、地上で、平安も罪の許しも得られない。なぜなら、彼らは自分の子によって喜びを得ることがないであろうから。 自分の愛する者が殺されるのを見、わが子の減びを嘆き悲しむことであろう。慈悲と平安をいくら請い求めようと、ついに得られないであろう。

1) 天使のこと。1-9、14-23など参照。
2) あるいは「正当な、ほんものの、にせものでない学者」か。クムランの「義の教師 móreh tsedheq」参照。ディルマンは、エノクが神の正義の審判について書き、これをふれたところからくる呼称だ、と言う。
3)「神の」に同じ。

第13章

 エノクは席をたって行き、アザゼルに言った。「きみには平安が得られないであろう。きびしい審判がきみにくだされた。きみを縛る*1)であろう。 憩いも望みも慈悲もきみは得られないであろう。きみが無法を説いたからであり、人の子らにきみが示したありとあらゆる瀆神、 無法、罪のわざのためである」。 それから、わたしは、彼らみんなのところに行って一同に話す*2)と、彼らはみな恐れ、恐怖と身震いが彼らをとらえた。彼らは、(罪の)許しを得るための嘆願書をしたためてくれるように、そしてその嘆願書を天に、神のところにとどけてくれるように*3)わたしに求めた。 というのも、彼ら自身、さばきのすでにくだったその罪過が恥ずかしくて、もはや(神に)語りかけることも、目を天にあげることもできないからである。そこでわたしは、彼らが(罪の)赦しと(刑の執行)猶予が得られるように、彼らの魂と行為のひとつひとつに関して、嘆願と祈願の書をしたためてやった。 わたしはダン、すなわちヘルモンの西南にあたるダンの河辺に行って腰をおろして彼らの嘆願書を読んでいたが、そのうち眠りこんでしまった。 見よ、夢がわたしに臨み、幻がわたしにふりかかった。わたしは告発(の場面)の幻を見たが、これを天の子らに告げて彼らを諌めよ、というのであった。眼がさめて、彼らのところへ来てみると、レバノンとセネセル*4)の中間にあるウブ レスヤエル*5)にみんないっしょに集って、坐って、顔をおおって泣いていた。わたしは彼らに、わたしが眠っていて見た幻のことをすっかり語り、義のことばを述べ、天の寝ずの番人たちへの叱責に移った。

1) 主語不明。ラファエルか。動詞は三人称男性単数。
2) シェミハザおよびその同僚たちもいっしょに集っているところへ出かけたのである。
3) ギリシア語「天の主の前で読みあげてくれるように」が原形に近い。
4) ヘルモンの別名シェニルか。
5) アビリンのくずれた形か。「アビリン」はアラム語で「悲しむ」を意味し、ここでのことばの遊戯には適する。

(村岡崇光訳)

底本:『聖書外典偽典第四巻 旧約偽典Ⅱ』村岡崇光訳(1980年4月30日 3版発行、教文館)

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