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大「戦略」時代

今週「戦略」の仕事をしている、という人数人と知り合った。

戦略。なんか戦略という言葉が流行ってるような気がする。東京の高学歴ウーマン?バリキャリ?丸の内OL、みたいな人の半分ぐらいが戦略と言ってる気がする。じっさい、戦略は、東京の上級ホワイトカラージョブの、証みたいな感じになりつつある。戦略コンサルが指数関数的に増殖してるというニュースも聞いた。某外資コンサル会社は全世界に30万人の「戦略コンサルタント」を抱えてるとか。時代はまさに戦略。後のよの人間は現代を「大戦略時代」と呼ぶであろう、、

そういえば、事務職の有効求人倍率が0.1を切ったそうだ。一昔前は、女性がオフィスで働くといえば事務職だったが、ITに置き換えられた結果、事務職という仕事は消滅しつつある。女性の多くが「戦略」の仕事をしてるのは、このあたりの事情もありそうだ。ジムからセンリャクへ。女性活躍時代である。

しかし戦略ってなんぞ?と考え出すとよくわからなくなる。私の貧困な言葉のイメージの核にあるのは、、指揮官?みたいな人が集まって大きな地図を前に意見を言い合ってる感じ。どの都市に攻撃をするのか、戦場から離れた安全な場所で考えるエリートたち。陸軍省軍務局軍事部戦略課。戦略の人は、軍隊のエリート。なるほど。「私は兵隊じゃないのよ、戦略なの」という事か。誰しも、自分を高級な人間だと思いたいのだ。

とあるコンサル氏(コンサルも多いぞ)いわく戦略とは戦術をまとめたもの、戦術は戦略のパーツ、との事らしい。しかし、これでは「戦略」と「戦術」の定義が循環してるではないか。指摘すると困惑するコンサル氏。言葉の再帰的定義の循環の中にある概念、、意味と意味が奇妙に支えあった虚空に浮かぶ円環構造のパズルのような、概念。自分の靴紐を引っ張って空を飛ぶ男。そのような、お互いに意味と定義が循環しあった、つまり誰も意味を知らない言葉。そのようなもので、我々の世界はできている。

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