自分の事(INFJとしての自分)

 自分は占いや性格診断などが好きで特にする事が無い時によく自身の事を知るために調べている。
他人の事は割と俯瞰的に見る癖があるが、自分自身についてはなんだかよく分からないのである。
なんだかんだ気ままに生きていたからというのもあるだろう。

自分が性格診断をよく見るのは「自分大好き!」というよりは、自身と他者から見た自分とのバランスを確かめるための方が割合としては大きい。
他人から自分はどう見えるのか?と聞くのは中々気恥ずかしいのだ。(それでも勢いで聞くこともあるが)

 その自身の事を知るための一環として"MBTI診断"をいくつか試した感じ、どうも自分は"INFJ"、所謂"提唱者型"であるようだ。

元々育った環境の所為なのか、元来の性格なのかは分からないが自身が他人とはちょっとズレているというのは子供の頃から感じていても、それを言語化するというのが出来なかった。
そのため、INFJの事を調べる内に妙な安心感というものが出てきた。

自身をカテゴライズし、所属を明確にすることで安心感を得るというのは元々人間が持っているものなのかもしれない。
そんな事を心理学の本で見たような気がしなくもない。

 実際、INFJあるあるを見ても無意識の直感が当たりやすかったり、一見外交的に思われやすかったりと共感する部分は多い。
人助け的に頼られる分には悪い気もしないのだが、デキる部分だけを見られて変に優秀に思われると「全然そんなことないのだが…」となる事も多いのは少々困る部分ではある。

もちろんINFJあるあるが全て当てはまるなんて事は無い。
そもそも育った環境が違うのだから当然である。
INFJは共感性が高いというが、全てに共感は出来ないし、「他人は他人、自分は自分」の精神を極力持つようにしているので嫉妬というのもほとんどしない。

ただ人間としての表面的な共感は出来ても、根本の"孤独"ばかりは誰にも伝わらないだろうな…とは思っている。

 例えば音楽だ、日本人が邦楽を聴く時はそのほとんどがリズムや曲調よりも"歌詞"に共感する事が多いようだ。
自身の生まれた国の馴染んだ言語なのだから当然ではあるのだが、親の影響で洋楽を主に聴いて育った自分としては歌詞よりもリズムを優先して聴く事がほとんどだ。
なので邦楽自体もあまり聴かないのも相まって、その手の話題にはよく置いてけぼりになる。

では置いて行かれないように邦楽を聴けば良いと思われるかもしれないが、それも正直面倒くさいので諦めている部分ではある。
特に音楽の好みは感性の違いが顕著に表れるので、一部を除き邦楽に共感すること自体があまり無いし、もっと言うと洋楽の歌詞の少し遠回りな感じが好きだったりもする。
邦楽も平沢進を筆頭に好きな楽曲はあるが、どうにも合わない事の方が多い。

なので、洋楽のランキング動画や外出先でちょっとでも気になった洋楽があれば直ぐに調べたりする。
基本的に好奇心が強い方ではあるとは思うし、面白いと思って興味があれば調べまくる。
どうでも良いと思ったら一切触れなかったりと興味のあるなしに関して極端なのもINFJらしい部分なのだろうか?

 あとは格闘ゲームなどで対戦していると無意識に相手の癖を読み取ってリベンジするなんて事も多い。
他にも会話の先読みで、「言うと思った」も本当に直感で当たっていたりするのだが、言った所で信じて貰えないのも子供の頃はよく経験した。

 INFJは誠実で思いやりがある、とあるが正直なことを言うと"嘘"を言うのだってエネルギーが必要なので自分は極力言わないようにしている。
仮に言うとしても絶対にバレないものか、バレても影響が少ない時だけである。
なので他人に誠実というよりは、自分に誠実というのが正解のように思える。

タイトル画像を入れていないのも単に面倒だから。
別段広めて欲しい内容でもない時は適当で良いと思っている。

平等や公平性を重視するのはINFJというよりは天秤座だからなのかもしれない。
とはいえ、ある程度のえこひいきはお互いの関係を良好に保つためには必要な事だとは思っていたりする。
まさしく提唱者型の「あなたを助けるためにも私を助けて」だ。

自分は偽善者なので、無償の愛を注げる程の器は持っていない。
"与えよ、さらば与えられん"とはよく言ったものだ。

職業について

 話は変わるが、INFJに向いた職業にカウンセラーや精神科医など人の心に寄り添う仕事が向いているなどの記載を見るが、個人的にはINFJこそ、そういった仕事をするには向かないのではないかと思う。
向かないというよりは、なまじ共感性が高いからこそ患者の精神に感化されて、自身もすり減る一方なのではないか?と思うのだ。
ミイラ取りがミイラになってしまっては元も子もない。

INFJはHPS(Highly Sensitive Person)の者も少なくないという。
簡単な診断では自分も少なからずHPSの傾向があるようだが…。

だからこそ、芯の部分がいくら頑固でも「他人は他人、自分は自分」の部分をしっかり持っていないとカウンセラーなどの職業は難しいと思うのだ。
少なくとも自分には難しいと思っているし、万人を救うなどとは考えていない。
手助けをするにしても、自分を好いてくれている者でかつ、自分の手の届く範囲で可能な程度に抑えないと自身の身を削る一方になってしまう。

 よく「お前には世話になったから…」とお礼を貰ったりするが、どんなに褒められても自分にとっては本当に大した事ではないという事が多く、結局のところその褒め言葉を受け入れるかどうかは自分で決めている節がある。
褒められて悪い気はしないし、嬉しくもあるが、中々すんなりと受け入れるというのは難しかったりする。
そんなところもあって、最終的に"自分を救えるのは自分しか居ない"と思うのだ。

我ながら捻くれているものだ。

  他にINFJに向いている職業にライターがあった。
以前はライターの真似事を5年近くしており、今の書き方になったのもその影響が強い。(表に名前を出していなかったりするので専業ではない)

調べること自体は嫌いではないのでまぁ向いているのかもしれない。
個人的には大したものではないと思っているのだが…。
それでも人それぞれの文章の書き方がある事に気付けたのは、良いことだとは思う。

終わりに

 自身の事をこうして長々と書いたのは初めての事だったりする。
こうして文章にしている事で気付いたが、一人称を「自分」の時はガラス1枚を隔てたような関係の相手と使うことが多く、極々親しい友人や親と居る時にしか「俺」を使わないようだ。
これは決して好き嫌いの区別では無く、距離感の問題なので誤解しないでいただきたい。

ツイッターでも割と言いたいことは言っているように見えるが、これでも抑えてはいるのだ。
あまり我慢し過ぎて精神を蝕む位なら自分のために吐き出すが、それで嫌われるのであれば仕方なし。
その者では自分は救われることはないのだから。

 余談ではあるが、会議のような場所ではちょっとしたトークテクニックがある事に気付いた。
それは、「自分では分かっている事を、あえて質問することで周知させる」というもの。
これは政治家の答弁を見て気付いたが、あえて質問する事で自分の中では確かな事をより確定させる事ができ、同時にその事柄について第三者に周知させる事ができるのだ。
思い返すと自分の推しもそういう事をよくしており、実は自分もたまにそういう質問をあえて投げていたりする。
人間観察は案外勉強になるようだ。