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夜のコンビニに吸い寄せられる虫

降りるホームを間違えながらも地下鉄に乗り、「動物園前」で乗り換えて、長堀町に向かう。地上へ出ると雨は少し強まっていた。地図アプリは大変役に立つが、歩き始めの方向がいつもわからない。とりあえず歩いてみて、方向を確認するが、おおむね逆方向に歩いていることが多い。
渡りかけた信号を引き返し、少し歩くとファミマの前にホテルがあった。

フロントで少し待ち、機械でチェックインを済ませて、部屋に向かう。さっきフロントで、「不祥事を起こしたかなにかで最近見かけない芸能人に似ている人」がホテルのパネルに印刷されているなと思ったが、エスカレーターの中のポスターにはしっかりと芸能人の名前が書かれていて、どうやら本物だったらしいことに気づく。
ホテルに泊まると必ず非常口の場所をチェックをするが、今回の部屋は非常口のすぐ側だったので、非常時には多少パニックになってもどうにか逃げられるだろうと少し元気になった。ドアに書かれた非常時の鍵の開け方をじっと見る。まあこれだけ近いのだからどうにかなるだろうと読むのを諦める。
部屋に入り、ようやくトートバックを肩から下ろすことができた。狭めのビジネスホテルといった部屋。雨と相まってすこし薄暗い部屋にじわじわと気が滅入ってくる。
床にしゃがんで夜ご飯をどうするか考える。見間違いでなかったら、ホテルの向いのビルにすき家の赤い看板の光が反射していたように思う。マップで調べるとすき家があったので、今晩の夕食は決まった。

優柔不断なので、すき家のメニューと睨めっこしながら10分弱かかっただろうか、テイクアウトの予約を入れた。キムチの載ったものや、新玉ねぎの載ったもの、はたまたカルビ丼とも迷ったが、牛肉多めのご飯少なめ(=中盛)のノーマル牛丼を選んだ。550円。
徒歩1分くらいのところにお店があったので、傘をささずに外へ出る。小雨。
店に入ると、スピード重視のお店らしい、次の動きを待っているような店員さんに挨拶される。
私はしっかりした人間でないので、レジの直前でこういう時なんて言うんだっけ?と、うっと黙ってしまうタチだ。このタチはファストフードのサービスとは相性が悪く、店員さんを困らせる。
モゴモゴと自分の名前を伝えると大声で注文を読み上げられるので、恥ずかしい注文をしているつもりはないが恥ずかしい。店員のおじさんに「元気ですか?」と聞かれてどういうことかと動揺していたら「現金ですか?」と言っていたようで、変な間を生み出してしまう。
おじさんは忙しくしており、何かを言ったと思ったら背を向けて私の牛丼を手早く準備してくれている。おそらくこの目の前の機械で会計するんだろうと、少し急いで会計を済ましておく。
おじさんから白いビニール袋に入れられた牛丼を手渡される。ずっしりとした重さからなぜだか中身はほかほかであろうと感じる。箸は後ろにありますと先回りされた掛け声になるほど!と言いながら振り向き、出入り口の横の台から、箸一膳と紅しょうが2袋をもらって帰る。

小雨に濡れながら歩いてホテルに戻った時、部屋に飲み物がないことに気づく。さっき部屋で開けてみた冷蔵庫は空っぽだった。空っぽだとなにかほしくなる。ホテルの1階に自販機があったのでラインナップを吟味し、600mlの麦茶を選ぶ。130円。
薄暗い部屋に戻ると、あたたかな牛丼に心が少し活気づき、机の上をきれいにしようと思い立つ。
リモコン、デジタル時計、宿泊用の案内一式など小さな机に載っていたものを全部引き出しに突っ込む。せっかくの一人きりだから、テレビはつけないぞと心に決める。孤独に耐えないと自分を作れないのだと大袈裟なことを思う。
麦茶をコップにトクトクと移し、すっきした机の上に牛丼を置く。20時前、ひとり静かな食事を始めるが、どうにも手落ち無沙汰になってしまう。テレビはつけないと決めた手前、5分も経たずにつけることはしたくない。ポッドキャストならセーフという曖昧なルールを作り、イラストレーター・漫画家の和田しのぶさんの「何かをおすすめするラジオ」を聞く。
イタリア在住の和田さんが、5分くらいで何かをおすすめしてくれるのだが、ジェンダーや創作、異国の地での過ごし方や文化の違いやライフハックなど、ぼんやりと聞いていてもなかなかに面白かった。一つのテーマが5分で終わるので、テンポが良くずっと流していても飽きない。イラストレーターの仕事についての話を聞いていると絵が描きたくなって、持ってきたiPadでおもむろに絵を描き始める。
人の顔を手グセですぐ落書いてしまうが、ポーズをどうするかまで考えていないことが多い。自分でポーズをとって写真に写す。それを見ながら絵を描く。袖がもたついて邪魔くさかったセーターはご飯の前に脱いでしまったので、ヒートテック姿の自分を見て描くことになる。おしゃれな服は描けていないが、今の自分の気分が表情に出ている気がして気に入った。

21時になろうかという時間、お腹も満たされて、明日早起きするならもうお風呂に入って寝ないと、と思った。けれど何か足りない気分になる。私はよくこういう気分になる。自分を誤魔化しているのかもしれないが、何か買いたい、何かを食べたい、と思う。買ってきた本を読んでやりすごせばいいのに、どうしてもできない。そうじゃないんだという気持ちになる。本はもっと心が水を吸う時に読みたい。今の私は何も考えないで幸せな気持ちになりたい、満たされたい。
例えばこの部屋の冷蔵庫に飲み物がたくさん入っていて、棚にはお菓子やパンや缶詰なんかが溢れているとしたら、私はそれを食べ過ぎることはないと思う。でも空っぽの部屋にいるとなんだか不安になって何事も過ぎた選択をしてしまう。
我慢強くもないので、コートを羽織ってコンビニへ出掛けていく。
向かいのセブンイレブンに行き、ウロウロとする。何が欲しいのかわからない自分自身をあやすのは大変だ。店に入ってすぐのところにコスメ用品が置いてあり、マニキュアが欲しい、と自分の心が言った。マニキュアは昨日家からグレイブルーのものを持ってきたのだが。自分の肌色に近いベージュのラメラメかとろりとした赤みの強いベージュのどちらかが欲しい。自分の指先と見比べながら、キラキラしたラメ入りのものを手に取る。
普段はお酒なんて全然飲まないが、旅行なんだし、と飲みたくなる。けれどお酒コーナーを前にしても自分が何を欲しがっているのか、はっきりとはわからない。スパークリングは喉がイガイガするから嫌だ。アルコール度数が高いものも喉が痛くなるから嫌だと言っていたら条件に合うものはなかった。
おつまみを食べたいけど、食べ終わった後に食べてしまった罪悪感に追われるのは嫌だ。添加物も少ない方がいいし、揚げ物やお肉じゃない方がいい。ナッツを食べるとニキビができるし、パンを食べたら後悔する。お惣菜のコーナーに味付け卵が2個パックになったものがあったので、それを買うことにした。
店を出た私はまだ物足りなかった。誰かと来ている旅行なら、部屋に帰ることができただろうが、一人ぼっちでは自分の心の言いなりになってしまう。もう一軒コンビニに寄ることにした。
近くにあったファミマはさっきのセブンイレブンより狭く、品揃えが少ないかもと少し後悔した。コスメの棚を見やると、蒸気でうるおいマスクなるものが目に入る。乾燥必至のホテルにおいては買ってよしなものだろうと手に取る。続いて、冷凍食品の前、お惣菜コーナー、スナック菓子、お酒、色々見て回るけれど、ここからはやっぱり自分が何をしたいのかわからない。
ポテトが食べたい気もするけど、決め手にかける。そのうち店には3組ほど客が入ってきて、週末の夜を誰かと過ごすための買い物をしていた。私が迷っている間にもさらに客は入れ替わり立ち替わる。2組ほど客が入ってくる。楽しげな声を聞きながら、それでも何が欲しいのかわからず、棚を丹念に見ていると、だんだん自分が一人きり透明になったような気がしてくる。すれ違う人と肩をぶつけないように避けながら歩いていると早くここから出なくちゃと気持ちが急いてくる。今食べたいもの、食べたいものと考えて私が手に取ったのは豚骨カップラーメンだった。ここまで悩んで1番体に良くなさそうなものを選ぶ自分は自分でもよくわからない。お酒コーナーはセブンイレブンより小さく、やっぱりスパークリングのものしかなかった。強いていうならこれ、とりんごのシードルの瓶を手に取る。夜喉が乾くかもしれない、とミネラルウォーターの大きいものも買っておくことにした。ウロウロしすぎたので早いところ店から出たくなり、会計を済ます。店を出るとさっきまで店の中にいた酔っ払った男女が信号を待っていた。あの男の人は酔いが覚めても、この女の人が好きなんだろうか、と考えた。

私は一刻も速く部屋に戻りたかった。自分自身の抑制が効かないところが本当はとても嫌いだ。部屋に帰っても自分は自分のまま逃れられないけど、早く無駄遣いやよくわからない買い物をする自分を忘れてしまいたかった。
部屋に戻ると風呂のお湯を張るのも面倒になってぼうっとした。寝てしまいそうになったが、せっかくの旅行なんだしという気持ちだけを活力にして、手を動かすことにした。風呂に湯をはり、下着を出し、トラベルパックの化粧水や保湿クリームを準備し、ホテルのパジャマやタオルを取り出す。お酒や煮卵は冷蔵庫にしまい、机の上をまたきれいにする。動き始めると頭が空っぽになり、考えこまずに済んだ。私はいつも考えすぎていて、頭でっかちになっているんじゃないかと思う。もっと手を動かして、動かして、考えることをもう少し減らせば自分を好きになれるんじゃないだろうか。
少し持ち直したものの、まだまだダークサイドに落ちそうな予感がしたので、ポッドキャストで明るそうな番組を選んで流しながら湯船に浸かった。途中から何も聞いていなかったけど、導入の部分でホッとすることが大事だから、流していてよかったと思う。
トラベルキットの基礎化粧品はどうしても使い切らないといけないので、たっぷりと肌に塗りつけることができる。化粧水やパックをしてみると、普段より自分のことを労っているような気がして、安心する。
いつもは猫によくないかもと思って選ぶことをやめているティーツリーのパックなどをする。髪の毛を乾かすところまでいくと、やらなきゃいけないことはやったぜ、と気持ちが軽くなる。
さっき買ったマニキュアを塗り、シードルをコップに注いで飲んだ。何か食べたくてコンビニに行ったはずではあるが、なぜかお腹はいっぱいで、もう何もいらなかった。

お酒もそんなに飲む気になれず、半分を残して歯磨きをする。乾燥対策で濡らしたバスタオルを干し、眠る準備をする。明日はどこへ行こう。奈良公園で鹿を見るか、一度も行ったことのない国立民族博物館に行くか、あるいは両方行ってしまうか、まだ決めきれていない。
持ってきていた手帳に、溜まっていた2週間分の短い日記を書き、布団に潜った。明かりを小さくする。友人から届いていたLINEのメッセージを読み、返事をしないまま閉じる。
コンビニで買った蒸気のマスクをつける。じわじわマスクは温かくなる。目も温めたくなってマスクを顔面を覆うようにしてつける。ジンジンと鼓動に合わせて目の周りの血管が膨張している。呼吸をするたびに温かい空気が外へ逃げていき、また溜まり、逃げていきを繰り返す。そうしているうちにそのまま記憶がなくなった。

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