雷 第六十九話

慶喜が明治天皇の名において、征夷大将軍職の辞任を勅許したのは十二月に入ってからで、その他に京都所司代などの廃止を以て二百六十年以上に及ぶ徳川幕府は正式に廃止となった。
 と、同時に三職を置く事も発せられ、総裁、議定、参与を定めると天皇を頂点とする新しい政体が出来上がった。京都御所のなかにある小御所と呼ばれるところで出来上がった政体は、第一回の会議をそ行う。世に言う「小御所会議」がそれである。
 第一回の会議の内容は、慶喜の処遇についてであった。
 小御所会議は、総裁が有栖川宮熾仁親王、議定は薩摩、尾張、越前、土佐のそれぞれの藩主と倒幕の密勅に連名した中山忠能、正親町三条実愛、中御門経之、さらに仁和寺宮嘉彰親王、山階宮晃親王であり、参与には薩摩は西郷及び大久保、土佐は後藤象二郎ら、芸州からは第一次長州征伐の時に和平交渉を行った辻維岳らが入り、越前からは春嶽の懐刀として活躍した中根靱負ら、尾張からは藩内でも草創期から尊攘を唱えていた田中不二麿らと、後、新政府の中枢に入る面々が名を連ね、さらに岩倉も参与である。総勢、二十名。
「待て、これは少しおかしい」
 と、連なる面々を見て、最初に言ったのは土佐藩主である山内容堂であった。
「なぜ、慶喜公はおられぬ」
「慶喜公については、出席はまかりならぬ」
 と答えたのは岩倉であった。容堂はこれみよがしに鼻を鳴らし、
「異なことをおっしゃる。なるほど慶喜公は大政を奉還された。だが、官位は内大臣であるぞ。喩え征夷大将軍の地位を返上し奉っても、内大臣という官位は残っておるはず。それに、慶喜公の事であるのに当の本人に申し開きをせぬというのは、いかにも不穏これあり、と言っているようなものだぞ」
「不穏とは、聞き捨てなりませぬな。如何に、土佐の雄藩大名と雖も、今の言葉は捨て置けぬ」
「捨て置けぬで結構。それに、帝のご臨席で聊か申し上げにくきことながら、この容堂、意を決して申し上げる。帝はまだ政をするには聊か早うござる。それを、貴公ら公家が担ぎ上げて実権を握ろうと算段であろう」
 容堂の声はよく通る。その証拠に小御所の障子がぴりぴりと震えている。
「何をお言いやるか、容堂公。そもそもこれは帝がご自身お決めになられた事。それを担ぎ上げるとおっしゃるか」
 と、岩倉も負けない。そこへ春嶽が割って入るように
「この度の帝の御臨席は間違いなく自らの御意志によるものであることは明白。容堂公も抑えられよ。……ただ岩倉殿」
「何でしょうかな」
「やはり、慶喜公がここにおらぬ、というのはちと不自然ではありますまいか。確かに慶喜公は大政を奉還はしたが、然し乍ら容堂公も仰ったように未だ内大臣の官位を得ておられる身なれば、せめてこの度だけでも、呼ぶことは出来ますまいか」
「出来ませぬな。それに、慶喜公については任官を辞任させ、さらに納地を返上せしむる事を検討しておる」
 という岩倉の意見に、容堂が真っ先にかみついた。
「それはいくらなんでも無体無益というもの。慶喜公においてはそこまでの罪状があると申されるか」
「ある。故にそう岩倉様が申されたのです」
 と大久保が口をはさむと、
「黙れ、小童!!」
 と容堂が怒声を発した。一気にあたりが凍り付いた。
「それがしも、容堂公の申す事に御味方いたしまする。この慶喜公の仕打ちに、道理がありませぬ。それに、そもそも今日此処に至った原因が全て慶喜公一人にあるわけでもなく、ましてや他の幕府の中枢におられた方々ではなく、慶喜公一人に狙い撃ちするのは合点がいきませぬな」
 と、岩倉・容堂の論争が大久保・後藤へとそれが移った。
(よくない)
 と岩倉は淡々と思った。ここで慶喜を欠席裁判でも何でも、とにかく中枢から排除しなければ自分たちの権勢を持つことはできない。その為には、慶喜を完全に中央と切り離す必要があった。そうしなければ、資金力や統治経験の面からいっても、慶喜の影響力は排除しきれず、うやむやのうちに違う形の幕府が出来上がってしまう可能性があったからである。
(それでは、意味がない)
 岩倉の考えることはその通りで、この幕末から明治期にかかる上で非常に重要なのは、あくまで「近代国家に生まれ変わらなければ欧米列強の植民地にされてしまう」という切迫した現実的事情であり、そうならなければ隣の清国のように欧米列強にその領地を蹂躙され、奴隷の様に使われるのは明らかだったからで、それを回避するには幕府が中心にある政体では欧米に対抗できない、と考えている。
 それほど幕府という体制が古く、また野蛮である、と岩倉は考えている。江戸幕府が出来上がり、外国との交易を著しく制限を加えてから一つの完結した社会を作り上げたのは間違いないが、その一方で世界の潮流から取り残されたのも事実で、その間に産業革命をはじめとする飛躍的な進歩に対して、幕府は手を打つことは出来なかった。
(その幕府がのうのうと居残ってもらっては困るのだ)
 岩倉からしてみれば、幕府というものはすでに役割を終えた旧時代の遺跡のようなもので、多分に旧懐である分にはよいが、それが機能をもって動くとこれほど迷惑な事はない。時代はすでに幕府を必要としていない、と考えている。
 大久保と後藤との論戦は次第に熱を帯び始めて、剣呑な空気になり始めた。中山忠能が正親町三条実愛と協議を始めた。
「正親町様、このままでは埒があきませぬな」
「ここはひとつ、慶喜公の件は棚上げにして」
 と言い合っていると、岩倉がだしぬけに
「帝の御前で私語は甚だ不謹慎である。御慎みなされよ」
 と怒鳴ったものであるから、城内は一時騒然となった。岩倉は間髪入れず、
「失礼した。ここで一度休止と致して、後程再開いたしましょう」
 といった。すでに夜半を廻り、京の町は暗闇に沈んでいる。

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