雷 第十七話

十兵衛が外に出た時はすでに空は変わっていた。
「出て来たか」
「坂本殿。その、用を足すのではなかったのですか」
「あれは単なる方便じゃ。八郎さんはああいうところがいかんチャ。皆で結束してやる、ちい言いゆう時にあげな事やりゆう。あれじゃ人は纏まらん」
 坂本は目を細める独特の癖でもって、今にも墜落しそうなほどに大きい月を見ている。
「ならば、坂本殿は」
「龍馬でええ」
「龍馬。……ですか」
「名前じゃ」
「では、龍馬殿は、清河先生のいう事はおかしい、と」
「そうやない。八郎さんの言いゆうことは分かるけんど、人が集まらにゃいけん時にああして分からん者を面と向かって痛罵しゆうのはいかん、ちい言いゆうだけじゃ」
 坂本は首を二三鳴らした。
「そもそも、龍馬殿は清河先生とどういったお知り合いなのですか」
「あれは、同門じゃ。おらより早う弟子になった人じゃけんど、腕はすこぶる強い。全く歯が立たんかった。オンシやと、手も足も出んろう」
 と、坂本は少し笑うと
「これも何かの縁じゃ、ちっくと付き合えや」
 坂本は酒を誘ってきたのである。

 坂本は十兵衛を桶町の道場内にある間借している部屋に酒甕と共に引き入れた。
「本当によろしいのか」
「何がじゃ」
「清河先生の事でござる。あのまま放っておいては、どういう事になるやら」
「八郎さんはとにかくああいうところがいかん。ああいうところを治せば、元は頭のええ人じゃきもっとようなるんやが、あれが惜しい。まっこと惜しい」
 坂本は十兵衛の湯呑に酒をなみなみと注ぎ、自ら手酌でもって酒を注いだ。
「しかし、面白い人ですね貴方は」
「何がじゃ」
「いや、今日あって間もない人に、それもどこの誰とも知れぬ者とこうやって酒を酌み交わすのは、非常に奇妙というか」
「知らん者ではない。おんしゃ楠十兵衛じゃろうが。ならば、知っちゅう中じゃ」
 坂本はまた酒を飲みほした。
 二人だけの酒宴は朝まで続いた。一方清河の熱弁も朝まで続いた。普通ならだれて途中でこそこそと帰っていく者が出てもおかしくないのだが、時間を追う毎にその熱は高まっていき、遂に坂本と十兵衛以外の者はだれ一人抜け出す者はいなかった。後で清河は知ったが、
 ―― まあよい。
 といって笑いながら許していた。
 大老暗殺の衝撃が漸く少しだけ和らいだ三月十八日に、改元された。改元名は万延である。
 この時期に、清河は一つの団体を結成する。「虎尾の会」と名付けられたこの団体は、八郎を盟主として凡そ十五人が加わった。しかもその中に、幕臣までがいたというから当時の八郎の影響力を推して知るべきであろう。しかし、その中に坂本の名前はなかった。
「そりゃあ、土佐に帰るき、入れん」
 と坂本はそっけなく言った。十兵衛は
「しかし、それでは清河先生の顔が立ちますまい」
「八郎さんはその辺の事情はよう知っちゅう。それよりも、オンシャ、なんで入らんが」
「……。私は誘われませんでした」
 消沈して話す十兵衛を尻目に、坂本は大いに笑った。笑うと何とも言えぬ愛嬌があった。
「まあ、それはそれでええじゃろ。オンシャ、オンシの道を行け。そうすれば何とかなる」
 これが、坂本と十兵衛の最後の会話になった。
 この後、坂本は土佐に帰った。ほんの少し説明をすると、土佐に帰ってから盟友である武市半平太の誘いを受けて土佐勤皇党という青年結社のようなものに入った。署名簿の順番は九番目であった。
 坂本は江戸を去り、十兵衛は再び清河の門下に入ろうとした。清河は、
「まあ、坂本の事は水に流そう。よく、戻ってきてくれた」
 と、一応の歓迎はしてくれたものの、最初のような熱気があるわけではなかった。むしろ会派の目は涼やかなもので、十兵衛は肩身の狭い思いをしていた。そんな中、清河は
「攘夷断行」
 という信条を塾内に大書していた。清河はそれを腕を組み、渋い顔をしてじっと見ながら
「先ず、我らの決意を天下に知らしめねばならん。その為には大きな花火が必要だ。それも、夷狄の花火がな」
 隣にいた幕臣、山岡鉄太郎はその巨魁といえる大きな体を揺らしながら立ち上がり、
「夷狄の花火だと」
「ああ、火攻めだよ」
「どこを」
 山岡の問に、清河はにやり、とわらうと横浜さ、といった。
 清河の言う横浜、とは横浜の外国人居留地である。この新興宅地を火の海にすることで、士気を鼓舞させる、という。
「攘夷を考えている者は、あそこを狙うだろう。あれほど好条件のものはないからな。あれは象徴のようなものだ」
 清河の言う通り、実は横浜の新興外国人居留地を狙っている者は他にもいた。長州藩の桂小五郎である。後、維新三傑の一人として名を残し、「逃げの小五郎」と称されるほど万事慎重であったこの男ですら、横浜の居留地を壊滅させようとしたのである。言い換えると、これほどの格好の場所はなかった。安政条約で結ばれた条文の中に函館、神奈川、長崎、兵庫、新潟の五ケ所を開港する、という条文があった。実際に開港されたのは神奈川(横浜)と兵庫(神戸)の二つであり、これが所謂「居留地文化」の発祥といえる。その点では神戸と横浜は実に似通っているのだが、神戸では江戸から遠い。攘夷派の者は江戸からほど近い横浜を狙ったのである。
「ならば、実行隊が要るな。人選は考えてあるのか」
「一応は考えてある」
 という清河の目の先には、十兵衛が映っている。
「まことでござりまするか」
「そうだ。これはおぬしにやってもらいたい。無論、何人かつける」
「これは、それがしを試そうとしての事では。……」
 清河は笑った。隣にい山岡が、
「そうではない。我らが攘夷を決行するうえでおぬしにもそれを手伝ってもらうというのだ。無論、無理強いは出来ぬが、どうであろうか」
 十兵衛は逡巡したが、ここに入っている以上何らかの形で報いねばならぬ。十兵衛の胸中は平凡と異色の間を行き来するように複雑であった。
「……分かりました。それで良くなるのでしたら」
 十兵衛はそういって腹を決めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?