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【朗読】めくる【モノカキ空想のおと】

〈 ① 〉

あ、そうだった。
ページを捲って呟いた。
12月の次のページは、横線だけが並んでる。12月終わりの手帳だってことを、すっかり忘れてしまっていた。
1月の予定を書きたいのに、1月がない。
「新しいの、買わなきゃな―」
去年の9月からの手帳はもうお別れ。
今度は12月始まりの手帳を買おう。11月のページを開き、To do欄に手帳と書いた。
ふと、月のはじめに書かれた「飲み会」の文字に、あれ、と思う。飲み会なんてあったっけ。
少し考えて、中止になったことを思い出す。
そっか、そうだった。そういえば、手帳を読み返したことはないな。そう思って、なんとなく、ページを捲った。


〈 ② 〉

 手帳にはあまり色を使わない。黒のペンで端的に。飾り気がないなと思う反面、私にはこれで十分だとも思う。重要度は見ればすぐに分かるから。さっきの「飲み会」は、10月中頃に書かれたこの「みさきと二人女子会!」に比べると、とても事務的な書き方だ。仕事の付き合いだった。どうも分かりやすく表に出てしまうのは、私の場合、文字も顔も同じのようだ。1月に書き入れようとしたそれも、多分意図せず、柔らかな言葉になるのだろう。
 手帳をめくる、という行為は不思議なものだった。掌の上で小さなタイムマシンが動いているような、そんな感覚。書かれた文字を見るたび、私は過去へ飛ぶ。そんなことを考えながら、また一つページをめくった。


 〈 ③ 〉

 9月のページの文字たちは無表情なものばかりだった。日々の私もそんな風だったのだろうなと、苦笑い。自分の誕生日さえ空白なのは少し切ない。
 「聞いてよ~、こないだもう、超サイアクでさぁ~、カレシとディズニー10時で約束してたんだけど、アイツ全然来ないし電話もつながらないの。で、やっとつながったと思ったら『ゴメン、寝てた』って言うんだよ?! こっちだって休みとって早起きしてメイクしてるのに。ね、ひどいと思わない?!」
 ふと、みさきの女子会での愚痴がよみがえってきた。調子をあわせつつ、あぁ、そっか、それがふつうの恋人同士の喧嘩なのだろうなと少し羨ましく思ったりもして。
 最後に彼と会ったのはどれくらい前だろう。


 〈 ④ 〉

奥手同士の私たちは、まだ喧嘩もろくにしたことがない。
日々の何気ない連絡すら、相手のことを考えすぎて、「忙しいだろうから」と結局ケータイから手を放す。
そんな朝と夜を繰り返している。

――今、何してるのかな。
想いを中空に巡らせる間に、いつしか私は8月の紙面にたどり着いた。
「あっ」
色がある。水色で日付にグルグルグルと3重丸。
――これ、なんだっけ。
しばし考える。浮かんでこない。
ヒントを求めて、私は食べかけのバウムクーヘンを口に放り込み、
紙と指先の時間旅行を続けることにした。
7月、6月、5月。
同じ日付に、水色はあった。


 〈 ⑤ 〉

一気に記憶が蘇る。5月のこの日は彼が私を好きだと言ってくれた日だ。もう一度6月、7月、8月とページを捲る。
――そっか、記念日だ。
 黒一色の中に水色の3重丸。そういえば3ヶ月記念日は彼の仕事が忙しくて会えなかったっけ。特に約束をしてた訳じゃなかったし、無理に会わなくてもと、それ以来手帳に印を付けるのを止めていた。
 水色ペンを取り出す。新品同然のペンは、2人の予定を書く為に新しく買った物だった。1月には彼の誕生日がある。忙しいかもしれない、負担になりたくない。
――でも会ってちゃんとお祝いしたい。
少し唸って、私はTo do欄に書き込んだ手帳の文字を水色の丸で囲んだ。
「よし!」
 ケータイで彼の番号を呼び出す。


 〈 ⑥ 〉

長いようで短い3コール目の呼び出し音が鳴り終わった瞬間、数ヶ月の空白を埋めるように彼の声が聞こえた――なら良かったのだけど、そううまくは行かないみたい。
いったん膨らんだ期待がしぼんで、さっき描いた水色が心を射すように痛い。

11月。残り少ない手帳のページが今年の終わりを告げ、やらなきゃならない事、伝えたい気持ち、そのまんま。過去の私が記した水色の空言は、静かに何事もなく過ぎてゆく。

急に電話が鳴った。彼からだ。「ごめん、風呂に入ってた」
しばらく言葉が出なかった。

最後に言えるのは、あのあと書き込んだ予定には"水色のぐるぐる3重丸"が付いてるっていう事。
次の手帳に最初に書くことも、もう決めてあるんだ。

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