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【朗読】交差駅【モノカキ空想のおと】

〈①〉
三連休の最終日。
することもなく、しかし部屋に閉じこもっているのにも耐えかねて
何かしら心を動かすような出来事が向こうからやってこないかと
そんなどうしようもなく受け身な考えを引き連れて、いつもとは反対の電車に乗った。
あてはなかった。
しかしあてのない旅に憧れはあった。
知らない道を心惹かれるままに歩いて、その先で出会う景色や人の生活に触れ、
疲れたら適当な店に入りおすすめの品とコーヒーでも頼もう。
それだけで十分に充実した休日ではないか。
ふと窓の外に目をやる。秋晴れの空の下、次々と流れてく町並み。
暖かさと心地よい揺れに、だんだんと瞼が重くなってくる。
―― 目が覚めて最初の駅で降りよう。
そう決めて、眠った。

〈②〉
遠く圧縮空気の音がする。意識はふわりと眠りから浮き上がった。
いずくかの駅に着いたらしい。
少しのつもりが、どうやらしっかりと眠ってしまったようだ。
背もたれから体を起こす。窓枠は、いつの間にか知らない町を切り取っていた。
どこにでもある、けれど見知らぬ風景。私の胸が小さく躍りだす。
――さてどうしてやろうか。
思案を巡らせていると、
窓の向こう、ベンチにまどろむ黒猫と目が合った。
なにか呼ばれたような感じがして、小走りに電車を降りる。
しかし、黒猫はひゅるりと身を翻すと、フェンスを駆け上り、
そのまま塀の向こうへと消えてしまった。
なんだ面白くない。お前のために降りたのに。

〈③〉
 浮かない顔をした青年が、ベンチに座る。身軽な服装を見ると遠方から来たのではなさそうだが、目的があって降りたのでもないようだ。ふと、流行りの「小旅行」という言葉が頭に浮かぶ。
 日々旅にして旅を栖(すみか)とす、と言った先人がいた。毎日この駅で働く私は、いつもの景色や人々の中で、折に触れ思う。この「いつも」こそが旅なのだと。感動と発見が、日々には充ちている。どこかの何かを探す彼らは、いつそれに気づくだろうか。……いや、だめだ。歳を取ると、つい説教臭くなる。自分も遠回りをして学んできたはずなのに、忘れてしまっているのだ。
 見ると、青年はここがどこかまだ分かっていないようだった。声を掛けようと、私は彼に近づいた。

〈④〉
あーあ。
黒猫に逃げられ、当面の目標もない。
ずっと憧れた旅はこんなのじゃなかった。
そりゃね、不思議な猫に誘われ、狭い路地へと迷い込んだらその先には素敵なカフェがあり、真鍮(しんちゅう)の金具のついた扉を開けると、部屋の中は暖かな光が天窓からいっぱいに降りそそぎ、挨拶して腰を下ろせば店のマスターが淹れたてのコーヒーを運んでくれる――なんて出来過ぎた展開は無理かもしれない。でもさ、いきなり猫に逃げられるとは。
「バラの街、荷見(はすみ)市へようこそ」
「えっ」
見ると、かちっとした制服に身を包んだ駅員さんがいた。
「観光においでですか?」
「えっと、まぁ、そうです」
言いながら、あてもなく降りたのを見透かされた感じがした。

 〈⑤〉
「あれもバラなんですよ」
さびと焦げ茶の枝が纏わりつく(まとわりつく)フェンスを見やって、駅員さんが言う。
「へえ」
「今の時期にはたまに虫が刺さったりしていますね」
「は」
「ご存知ありませんか? モズの早贄(はやにえ)」
「聞いたことは」
モズは餌を枝に突き刺すらしい。ショッキングな話題にも、駅員さんは笑顔だ。
もしかしたら彼にとっては、華美な花も不憫な虫も、季節の訪れなのだろうか。
「モズってどんな鳥ですか」
「可愛らしい鳥ですよ。目のあたりに黒い模様があって」
駅員さんにとって、モズもバラも私も、等しくこの駅を訪れる旅人なのかもしれない。それとも、移り変わる景色や出会いの中にある彼が、だろうか。
そう思って、気付くと彼に問いかけていた。

〈⑥〉
「駅を出てどこかへ行きたいと思ったことないですか?」
真剣な表情と抽象的な問いがちぐはぐだった。私にもこんな頃があったなと微笑んで気付く。青年の顔に見覚えがあった。見覚えがある所か
――これは私だ。
にゃあと猫の声がした。それが合図だったように枯葉と踊る秋風が私の視界を遮る。目を開けた時、青年がいた位置には一匹の黒猫がくつろいでいた。
「駅長……また違う路線を繋げましたね」
猫は尻尾を揺らしながらチラリと私を見た。
「昔の自分に対面させるなんて悪趣味ですよ」

黒猫は楽しげに私の足に擦り寄るとにゃあと一声。やれやれと苦笑して一緒に駅舎へ向かう。青年にとっておきの珈琲でも淹れてあげれば良かったなと思いながら。

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