10万ルピーのクルマ

 絵でも小説でも、「お手本」を真似ろというのはよく聞く。正解かどうかは分からない。

 ロイトだのゴッゴモビルだのというドイツのかわいいクルマを知っている。というのは日本の自動車オタクとしてさほど変ではない。これらは「てんとう虫の走った日」というスバル360開発に関わる本に出てくるし、日本の軽自動車、小型自動車の歴史を調べようとすると、当然出てくるメーカーだからである。

 ロイトは1955年に発売されたスズキの最初の軽自動車スズライトの参考となり、ゴッゴモビルは1960年に発売された三菱500の参考になっている。これは元ネタに似すぎているので、ゴッゴモビルの1/87ミニカー(あるんだよ)を三菱500に見立てて鉄道模型のレイアウトに置くことも、多分可能である。

 スバル360(1958~)より前の軽乗用車というのは、まだ分かっていない所も多く、それだけに調べがいのあるジャンルである。
 その大きさで自動車として成立するのか? 不可能じゃないか? と思われていたふしもある。
 スバルに続くのはマツダで、軽3輪貨物を大成功させたダイハツは、3輪セダンのBeeで懲りていたのか、4人乗れるハイゼットライトバンは1961年からだった(軽ライトバンの歴史は、それはそれで面白い)。

 スズライトは何と軽自動車枠のエンジンの最大排気量が240ccだった頃から開発が始まった。当然社内の意見も「時期尚早」だったという。社長の娘婿の鈴木俊三常務(当時)も反対したという。当たり前だ、そもそもスズキは4輪車を作った事がない。そこが軽自動車枠で4人乗れるクルマを作ろうとしているのだ。
 しかし当時の鈴木道雄社長は押し進めた。

 スズライトとスバル360の開発ストーリーを比較すると、スズライトの方が面白い。言っちゃ悪いが無謀だからだ。
 スバル360も目標は無謀だが、論理的な考えの積み重ねで解決していく。正統派「プロジェクトX」だ。一方スズライトはそのまま突っ走る。例えばスバル360は適当なタイヤが無いという理由で、ブリジストンに開発してもらっている。一方スズライトは大きいタイヤをそのまま使った。
 いや、スズライトは成功とまでは言えないのだが。

 しかし、スズキは「スバル360以前の軽乗用車メーカー」で唯一大成功し、生き残っている。ひょっとしたらスバルより長く生き延びるのかもしれない。
(軽乗用車メーカーで他業種の部門は生き残っている所にレンタルのニッケンや家具のオカムラがある。こういう話をすると、そこまで突っ込みが来る恐ろしい世界なのである。しかし突っ込みはお待ちしている)

 時はずっと下り、21世紀のインドでタタ・ナノという低価格の自動車が計画された。
 これは2輪車と小型自動車の間を埋め、そこにある潜在的需要を掘り起こそうというものだ。何か、スバル360関連で聞いた事のある話だ。

 1台10万ルピーという目標に、アルトの派生車でインドに進出していたスズキの鈴木修会長(かつてスズライトに反対した鈴木俊三氏の娘婿である)は、「非現実的」と回答している。

 大袈裟だが、これは「フラグが立った」とも言える。計画の段階では誰も結果は分からない。そう、その昔のスズライトが良い例だ。
 そしてこれは、成功しようがしまいが、かつて「追う者」であった日本企業が、「追われる者」になった事も表していた。もう、日本企業は常識では不可能な小型自動車で世界に立ち向かう時代ではないのだ。

 2008年完成したリアエンジンリアドライブのタタ・ナノのそのスタイルはどこか、いや、明白に三菱i(その前に当時のメルセデスベンツAクラスやスマートがあるが)を参考にしている。ゴッゴモビルと三菱500のような関係に見える。

 ただ、その塗装は昭和のクルマのような仕上がりだと言う。樹脂製そのままのバンパー、(インドなのに)エアコン無し、オートマチック設定無し、オーディオ機器はオプション。
 4ドアは良いけどハッチバック的なドアは無し、エンジンは今では頼りない2気筒、ホイールは鉄製むき出し、ブレーキは4輪ドラム、ワイパーは1本、バックミラーは助手席側には無い(インドでは違法ではない)。今時の日本企業には作れない大胆なクルマだった。

 タタ・ナノも実際には赤字だったと聞いた事もあるし、トヨタの初代パブリカのときにあったような安上がりなクルマを避ける層もいたという。タタ自身格安車の「次の手」(スバルにおけるサンバー等のバリエーション展開)が上手く打てなかったとも聞く。タタ・ナノ自体、次の世代では「10万ルピー車」の看板を下ろしてしまった。

 しかし、その辺はともかくタタ・ナノはインドでは自国で開発された国産車として、とても普及したという。

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