テレビとA先生

 1979年頃、当時の安孫子素雄先生は確か他の漫画家さんと一緒に「正解者を当てる方のゲスト」として「クイズダービー」に出演しておられた。
 この「正解者を当てて賞金を稼ぐ(但し当時の規定で持ち帰れるのは10万円までで、それ以上は募金に寄付)」というシステムは司会者だった大橋巨泉から出たアイディアらしい。

 で、当時「ドラえもん」がすごく流行っていた状況について話を振られたA先生「あれねえ、実は相棒が描いてるの(「相棒の仕事なの」位の言い方だったかも知れない)」と本当の事を言ってしまった。
 当時の「てんとう虫コミックス」の1巻のカバーが折り込まれた所には藤本先生と安孫子先生の写真が、各号の最後にはお2人のプロフィールが載っていて「共同ペンネームの名義だった」のにも関わらずだ。

 それでもとにかく「安孫子先生がテレビに出てる」と私は感動したのを覚えている。

 結局「ドラえもん」には関わっておられなかったA先生であるが、その後「怪物くん」が再アニメ化されている。紹介特番では怪物屋敷の存在に気付いたのび太とドラえもんが中に入って行って、怪物くんや3人組と出会うアニメが作られた。ただ「新・怪物くん」は描かれなかった気がする。

 その後、1980年代には藤本先生、安孫子先生揃って西ヨーロッパを鉄道で旅されるという特番があったと記憶している。フランス、西ドイツ、オランダあたりだったかなあ。私は最後の部分しか観られなかったが、「ドラえもん」以外に「パーマン」や「忍者ハットリくん」の新作も始まっていた頃ではないかな。お忙しい中、大変だったと思う。

 安孫子先生の方は大橋巨泉がやっていた「ギミア・ぶれいく」という番組で「笑ゥせぇるすまん」がアニメ化(このタイトルはこのアニメ化による変更だったと思う)された事もあって、時々本人も出演しておられた。
 もうこの頃には藤本先生とのコンビを解消しておられ、それでも中央公論社から「藤子不二雄ランド」が出ていたのではないかと思う。

 巨泉とはゴルフ仲間で、「プロゴルファー猿」の対戦相手のクラブを再現した物を持ち込んだ事もあったらしい。「まんが道」でのポジションとちょっと違って、ご本人は社交的な印象が残った。

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