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現実世界の魔法の歴史

現実で魔法がどのように生まれ、どう変わっていったのか?

魔法の歴史のお話です。
この記事では、魔法の歴史について多分に推測を含んで考察していきたいと思います。

神話や宗教にも触れますが、それらを否定も肯定もする意図はないので、悪しからず。

魔法の始まり

人に近い生物が地上に現れ始めたのは250万年前の事らしい。

今の人類の祖の化石は、およそ20万年前から地球上にいたと言う。

人類の文化の痕跡は、およそ8万年前には確認されている。

紀元前8万年前

文明も無い時代。

厳しい環境や、激しい気候変動によって、全世界の人類の総数は1万人程度の時代。

ガチの氷河期で、どうしようもなく厳しい環境だからこそ、人類は魔法を必要とした。

「フェティシズム」と呼ばれる「狩猟成就の儀式」と推測される痕跡が、この時代にあった。

つまり、神が生まれるよりも前の時代に、人類は生き延びるために既に魔法のベースとなる概念を手に入れていたのだ。

それは「願い」「祈る」事だ。

これが魔法の起源となり、後に発展していく事になる。

厳しい環境で生き残るために、人類は魔法を発明したのだ。

「獲物が取れますように!」

と本気で願掛けでもしなければ、地域によっては、とてもじゃないがやっていられない時代だったのだ。

最初の魔法

人が最初に手に入れた具体的な魔法は「自然現象の模倣」だった。

『金枝篇』で有名なフレイザーが言うところの「類惑魔術」から全てが始まった。

これはつまり、天気を予測したり、獲物の位置を推測したりと言った類の、かなり具体的な技術だ。

現代においては、魔法でも何でもない事だが、これが全ての始まりだ。

「異様に勘が良い」「感度が良い」者の助言は、その他の者からすれば魔法がかって感じられるのは、今も同じだ。

当時は、なにせ文明が存在せず、サルの生活を卒業したばかりの人類だ。

絵も文字も無い時代、一代しか知識の蓄積が出来ない環境で、一部の優秀な者は、生まれた環境で培ったセンスによって「魔法使いの祖」としての頭角を現していった。

もっとも、そういったセンスを持った仲間がいない集団は、厳しすぎる自然環境を生き延びる事が出来なかった可能性も十分にある。

その場合は、不運や自然淘汰によって優秀でない者達は容赦なく命を落とした。

どちらにしても「魔法使いの祖」は、他の人々に強い影響を持った存在だった。

紀元前3万年前

いまだ文明は出来ていなかった。

それでも人類の文化は、徐々に発展していった。

5万年もの間ゆっくりと「絵」や「口伝え」で後世に向け、曖昧な知識の伝言を続ける事で、人々は不完全ながら知識の蓄積を行う事が出来た。

この知識の伝言ゲームによって、事実は原型を失い、時に脚色され、物語や教訓となって後世の人々を生き永らえさせた。

アニミズム(マナ等の魔法的力)、トーテミズム(動物)、シャーマニズム(憑依や脱魂)と言った概念が徐々に形成され、人類の歴史にして既に数万年分の知識を独占している「魔法使いの祖」は、より力を強めていた。

人類数万年分の教訓や知識は、「自然現象の模倣」を可能にする事で人類に多大な恩恵を与える。

例えば、

・道具、毒や薬の知識
・動物の行動パターンの知識
・天気、星を読む知識
・意味のある、まじない、儀式、儀礼の知識

等は、生存率を高める事に直接的に役立った。

店が無く、職人もいない時代は、道具は自給自足するのが当たり前だ。

周囲の環境に対する知識や経験が深いほど、有利に材料を手に入れられる。

毒は、知っていればこそ避けられ、獲物を捕らえるのに利用したり、時にはトランスする為にも使うことも、薬にする事も出来た。

動物を知り天気や星を読めれば、危険には近寄らないで済むし、方角を知ったり季節を予想する事も出来た。

まじないは、獲物を捕れると人を信じ前向きにさせ、儀式や儀礼によって出来があまりに悪いものは除外され、パスできたものは自信を持ち、同時に仲間意識も強固にした。

紀元前2万年頃には農耕が起き、特に季節や天気に対する知識は、死活問題になっていった。

多神教の始まり
ありとあらゆる知識の蓄積が行われ、人々にとって利と害になる大切なものが生まれた。

それを、人々は守り、時には避けた。

そして、利害をもたらす「偉大なモノ」に対して、意思の疎通を試みた。

こうして、一種の擬人化によって高等な動物、植物、自然に対して人々は信仰を持ち始めた。

すると、人類は儀式的な「生贄」の概念と、文化的タブーを手に入れた。

紀元前8千年に差し掛かる頃には、人類の人口は全世界で5百万人を超え、世界中に散らばりつつあった。

文化と魔法の力によって、人類は7万年かけて5百倍にまで増えたのだ。

紀元前7千年

人類は、この時には文字の原型を獲得していた。

つまり、人はこの時には、情報を伝えられる範囲を飛躍的に伸ばしていた。

文字と言う情報の外部記憶によって、時間的に後世へ伝える範囲と、空間的に遠地へ伝えられる範囲が増えた訳だ。

この文字の発明は、今風に言えば「インターネットの発明」ぐらいのインパクトがあった筈だ。

最初は、それが何の役に立つか誰も本当には分からないが、気が付けば無くてはならない物となっていった。

そうして人類は「魔法」「文字」「宗教」を手に入れる事で、2~3千年経つと、ついに文明と呼べる物を獲得するに至った。

メソポタミア文明

紀元前4200年には存在していたメソポタミア文明では、楔形文字が使われ、大規模な集団生活をする人々は繁栄していた。

紀元前2600年には、ゲームやアニメで人気な「Fate」シリーズでお馴染み「ギルガメッシュ」が歴史上に登場すると言われている。

さすがに、史実では「ゲートオブバビロン」や「エア」等の法具は存在しなかったが、記録が残る最古の英雄王ギルガメッシュは、半神半人の存在と実際に信じられていた。

怪物フンババ、神が粘土から創った野人エンキドゥ、大いなる自然を象徴する神々が神話には登場する事から、文字が生まれる前の数万年単位の伝言ゲームによる自然な編纂や、意図した脚色が強く感じられる。

だが、その多くは、人類が言語を獲得して以来、どうにか後世に伝え、生存率を高める事に役立つと判断した「膨大な過去の経験」からなる「実際にあった出来事」をベースにした物語である可能性が極めて高い。

そうして、王や、魔法を操る時の権力者達は、そういった高等な情報にアクセスする権限を持っていた事で、情報を利用し、時には信じ切って、文明を導いた。

占星術の登場

文明の確立と共に大規模な農耕が行われるようになると、最も重要な「魔法」は「占星術」となった。

「願い」「祈る」魔法も、「自然現象の模倣」を目指す「類惑魔術」も、もちろんあった。

アニミズム(マナ等の魔法的力)、トーテミズム(動物)、シャーマニズム(憑依や脱魂)と言った概念は明確に「魔法」として人々に認識されたが、紀元前2万年頃から始まった農耕以降、特に季節や天気に対する知識は、大勢の人間が狭い地域で生存する必要がある文明存続にとって、死活問題だった。

当時を生きる本物の魔法使いは、知識の蓄積や、何代にもわたり度重なる仮説と検証によって「星の位置によって、決まった事が起きる世界のパターン」を見つけた。

これは、後に天文学に発展する。

最初は、夜の明かりや、方角の目印に過ぎなかった物が、長い時を経て「学問」の前に「予言」に変わったのだ。

上で既に答えを書いているし、察しの良い人は分かると思うが、星を見る事で「占星術師」と呼ばれる魔法使い達は「一年」と言う季節等の周期が、昼と夜がくり返すように、どうやら「正確に繰り返している」事に気づいたのだ。

つまり「占星術」の「予言」の始まりは「地球の公転によって巡る季節」に気づく事がきっかけで始まった訳だ。

季節が分かれば、乾期、雨期等のパターンが分かり、先に読め、農耕をする上で圧倒的な優位性を獲得できる。

だからこそ「占星術師」や「予言者」は、有能であれば絶大な力を持っていた。

カレンダーの無い世界で、占星術師だけがカレンダーを独占できたのだ。

当時の人々は「地球が太陽の周囲を自転しながら公転している」なんて事は知らない。

だから、更に、こう考えたのだ。

「星を読めれば、未来が分かるらしい。未来の季節が分かるのだから、他の事もわかる筈だ」

そうして、占星術師を始めとした魔法使い達は、

「自然の中に隠された暗号を読み解く事で、予言などの超常的な事が出来る」

と考えるようになっていった。

紀元前3500年前

メソポタミア文明の繁栄と重なる時期、エジプトでも文明が栄えていた。

メソポタミアが楔形文字だったのに対し、エジプトでは象形文字「ヒエログリフ」が使われていた。

エジプト文明もやはり「魔法」「文字」「宗教」によって一つにまとまり、文明を形成している。

メソポタミア文明と同じく、自然をモチーフとした神々を崇め、メソポタミアに劣らぬ天文学と呼べる水準の占星術によって農耕を有利に行っていた。

メソポタミア文明がギルガメッシュの様な偉大な半神半人の王達に導かれ、時に傍若無人な振る舞いに振り回されたのと同じように、エジプト文明ではファラオと呼ばれる王が統治していた。

ファラオは神権を持ち、神官達を従え国を統治していた。

その中で「自然を象徴する半人半獣の神々」「あの世の存在」等の概念も独自の形で固定化されていった。

何らかの宗教的な装置としての大規模なピラミッド建設を行っている等、その技術力の高さが窺える。

技術力を高める為には、統治者以外に神官や呪い師、医者と言った肉体労働から解放された頭脳労働者が十分に食べていける文明力が必要であり、エジプト文明には、それがあった。

そういった環境下で、エジプトで始まった「新たな魔法」があった。

錬金術の始まり

「占星術」によって未来が予知でき、ナイル川を存分に利用した農耕によって文明力がついてくる。

ナイル川の氾濫によって、農地を再分配しなければならない必要性に駆られ、計測法や算術も発展したと言う。

呪い師や医者に該当する職業の者達による「薬の調合」によって、トライアンドエラーで医学が発展した。

そういった長い歴史の中で、古代錬金術が起きる。

最初は、より良い道具を作る為の合金生成や、医学的な薬品の調合と言った単純な所から始まり、次第により高みを目指した研究が行われるようになった。

今でいう「医学、科学、化学の始まり」だろう。

学問として細かなカテゴライズなどされていなかったが「世界に隠された秘密を探る」意味では、立派な「魔法」だった。

アラビアの錬金術は順調に発展し、4世紀頃には「エメラルド・タブレット」と呼ばれる書物がギリシア語に翻訳されてヨーロッパに入る事になる。

紀元前2600年

メソポタミア文明をはさみ、エジプト文明の反対側。

インダス川付近で、他の文明と同じようにインダス文明が起きていた。

インダス文字と呼ばれる象形文字、ヒンドゥー教と呼ばれる宗教、そして、この文明でも独自の「魔法」が生まれていた。

「チャクラ」を操る「ヨーガ」と呼ばれる物だ。

人気漫画「ナルト」を知っているなら、話は早い。

現実世界の「チャクラ」の起源は、インドなのだ。

内在エネルギーの開放によって超人的力を得ようという考え方は、メソポタミア文明やエジプト文明と比べても「魔法」の在り方としては、少し異質だった。

修行によって、ある種の神性を獲得しようという考え方は、非常に魅力的だ。

この「魔法」の考え方は、更に東にある黄河文明に伝わり、紀元前8百年頃には「仙人」と言う「魔法使い」を生む事になる。

4大文明を発展させたのは魔法だった
ここまでで、人類が「魔法」「文字」「宗教」を手に入れる事で「4大文明」を形成した事が分かった。

実益的に重要な文明初期の魔法は「占星術」であった。

前の記事にも書いたが、農耕を始める際、天気や季節を予測できるか出来ないかの差は、文明衰退に直結するからだ。

文明以前、文化的に重要だった魔法として、「願い」「祈る」魔法や、「自然現象の模倣」を目指す「類惑魔術」は、文明よりも個人への影響が強かった。

一方で、アニミズム(マナ等の魔法的力)は「ヨーガ」や「仙道」に、トーテミズム(動物)は多神教の神々に、シャーマニズム(憑依や脱魂)に使われる薬は「錬金術」になった。

ちなみにメソポタミア文明では、占星術によって「一週間」と言う概念が出来あがり、カレンダーがあった。

どの家にも、スマホにも入っているカレンダーは、雨季や乾季を予測する「予言の書」であり、魔法の代物だった。

紀元前1500年前

4大文明が、まだ栄華を誇っているのと時を重ねる頃。

ヨーロッパで着実に勢いを増してきた文明があった。

ギリシャ文明である。

黄河文明にインダス文明からヨガが流れ、現地で仙道へと変わっていった時期。

紀元前900年頃のアッシリアの王妃の逸話がギリシャへと渡り、紀元前800年には「フェイト/アポクリファ」にも登場したセミラミスとして伝説上の人物となっていた様な時代だ。

ギリシャ神話と地続きの時代、人々はメソポタミア文明やエジプト文明と同じように、後にオリンポス山の神々になる自然を象徴した多種多様な神々を崇めていた。

ミノタウロス、メデューサ、ハーピィ、カリュプディス、スキュラ、など数々の半人半獣や合成生物が生み出され、人々を恐れさせた。

これらは、他文明の情報が流れつき、現地の文化と同化した結果だろう。

「文明を持たない人々」と「文明を持つ人々」では、今で例えるなら「先進国」と「未開の人々」ぐらいの情報量の差があった。

すると、「魔法」「文字」「宗教」と言う最新の物は、現地では便利なものと一気に浸透した筈だ。

後進国でいきなり携帯電話が普及して有線電話を使わずに人々が無線電話を常識と思う様に、各地域で次々と新たな「魔法」「文字」「宗教」が生まれた。

紀元前1280年

ギリシャ文明が勢いを増している頃、エジプト文明では事件が起きていた。

モーセによる出エジプト、ヤハウェの啓示、ユダヤ教の始まりである。

文明の発展に伴い、どの文明も同じ問題を抱え始めていたのだ。

と言うのも、人は生物学的に群れる生き物ではあるが、群れの規模は通常、数十から多くても数百人と言う物だ。

それ以上になると、同じグループの中に「知らない他人」が生まれたり、グループごとの「上下関係」が浮き彫りになってくる。

つまり、グループ内に出来たグループで、知らない相手を判断すると言う、「個人」ではなく「グループ」で相手を決めつける現象が起きるのだ。

これは、今現在でも人類を苦しませ続けている「文明病」である「差別」の始まりだ。

モーセの場合は、ヘブライ人がエジプト人に虐待されるという「差別」に抗う為に、エジプトを脱出した訳だ。

この時「自然を象徴する古き神々」を捨てた人々は、他人と言う驚異から身を守る為、新しい神を手に入れた。

それがヤハウェである。

ヤハウェから与えられた十戒は、宗派などによって差はあるが、おおよそこのような内容である。

・主が唯一の神であること
・偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
・神の名をみだりに唱えてはならないこと
・安息日を守ること
・父母を敬うこと
・殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
・姦淫をしてはいけないこと
・盗んではいけないこと
・隣人について偽証してはいけないこと
・隣人の財産をむさぼってはいけないこと

これは、それまでの神とは、革新的に違った。

自然を驚異に感じ、自然に生かされてきた人々は、自然を神にした。

だが、イスラエルの民が脅威を感じたのは「自然」では無く「他人」だった。

つまり、「差別」に苦しんだ人々が作り出した新しい神は「正しさを象徴する神」と言う、まったく新しい概念だったのだ。

「自然」と言う分かりやすい存在ではなく「正しさ」と言う抽象的な在り方の神格化は、以降の宗教観を一変する事になる。

紀元前450年

文明が広がると「ケルト神話とオガム文字」「北欧神話とルーン文字」などの神話と文字が次々と、地域に元々あった物語と他文明の情報が結びつく事で生まれていった。

こんな神話と地続きの時代の中で、エジプトで起きた宗教革命とは別の革命が、インドで起きた。

紀元前450年(まあ、諸説あるが)、インドで釈迦が生まれた。

紀元前1800年には、インダス文明は滅亡してしまっていたが、地域に根付く思想は、そう簡単には変わらない。

ヨーガによってチャクラを開く事で、個人で神性を獲得する事を目指すと言う、自分の内を探求する「魔法」を見出した人々の末裔で、王子の様な立場であった釈迦は、戦争やカースト制度と言う身分による差別社会で生きる中で、修行し、悟りを開く。

エジプトでは、モーセ達は虐げられる側の視点で新たな神と出会った。

だが、仏陀は、その文明社会そのものを客観的に観察し、自分の内を探求する事で「無我」にたどり着いた。

「どうして人が苦しむのか」を解明したという意味で、釈迦は時代の最先端を生きた人物だったのは間違いない。

当時、そんな事を徹底的に考える様な発想や知性を持った人は、稀だった。

と言うか、今でも稀だろう。

この、天才と呼んで問題なさそうな釈迦が残した物が、今の仏教のベースとなっている。

文明によって多神教が世界中に広がり、文明によって差別が生まれた事で、アプローチの違う3つの宗教が生まれた訳である。

自然の驚異から生まれた、数多の多神教。

他人や差別の脅威から生まれた、ユダヤ教。

脅威との向き合い方を突き詰めた、仏教。

ここから、人類史の中では「魔法」の活躍が加速していく。

紀元前500年

釈迦がインドで悟りを開いている時代、ギリシャでは紀元前490年にヘロドトスと言う人物が生まれた。

ヘロドトスは、後の歴史で「歴史」を作ったとされる人物である。

何をしたのかと言うと、今風の言い方をすれば「取材」をして、事実ベースに出来事を広く知らしめた。

つまり「ジャーナリスト」的な側面のある人物だったわけだ。

それ以前の歴史は、過去の出来事の伝聞が基本であり、伝承や寓話、民話、神話、噂話が全てと言ってよかった。

過去からの伝言ゲームによって、どうしても歪められ、脚色された昔話にヘロドトスは、事実を調べ、伝えると言う行動によって一石を投じた訳だ。

その「歴史」の生みの親ヘロドトスの生きた時代は、神話に支配されていたと言って良い。

神霊に働きかける「神働術」や「カルデア信託」、「マゲイア」と呼ばれる占星術、「ゴエーティア」と呼ばれる口寄せ術、毒と薬を扱う「ファルマケイア」、加害魔術と呼ばれる「マレフィキウム」等が、日常の延長線上にあった。

紀元前469年に生まれたソクラテスが哲学を発展させ「無知を知る」事の大切さを説いていたのと同じ時代に、政治も文化も「神話」や「魔法」によって支配されていたのだ。

紀元前753年に建国したローマ帝国が勢力を広げ、紀元前356年に生まれた「フェイト/ゼロ」でもお馴染みのイスカンダルが遠征によって英雄となり、32歳で短い生涯に幕を閉じた時代である。

激動の時代の様だが、戦争は頻発こそしているが、文明の発展と言う見方では牛歩の様な時代だった。

新たに生まれた神

古代ギリシャは、勢いを失い、古代ローマが中心となる時代。

いつしか古代ローマでは、古き自然を象徴する神々よりも、正しさを象徴する新しい神が信仰されていた。

「差別」によって生まれた「正しさを象徴する神」を信じる人々は、皮肉にも1200年を超える時間の流れの中で「自分たちが正しく、逆らう者は間違っている」と、本来は「正しさを目的」としていた宗教を、「正しさの手段」に変え、内部分裂していった。

「差別」に抗った結果生まれたグループの中で、凄惨な「差別」が生まれてしまったのだ。

そして、紀元30年頃、イエスと言う若者が、異を唱え、磔刑に処された。

イエスは、1200年の間に、使う者によって歪められた「正しさを象徴する神の教え」を「最先端の正しさ」へとアップデートした時代の先駆者だった。

イエスは命がけで人々に奇跡を示した。

その後、釈迦と同じように弟子達によって広められたのが、キリスト教のベースとなる宗教であった。

当時の最先端で、当時の価値観で最も正しい神話であるキリスト教の信者達は、キリスト教以前にあった古い神話を文明から拭い去り、世界をより「正しい」方向へとアップデートしたい欲に駆られた。

そして、イエスの弟子や、弟子の弟子、そのまた弟子達は、4世紀頃には「新約聖書」をまとめ、全ての「魔法」を「悪」として禁止し、キリスト教の布教に全力を注いだ。

それが、その時代の「正しさを象徴する神話」として、最先端であったため、その教えは瞬く間に世界に広がりを見せた。

3世紀~

一方で、キリスト教の聖地エルサレムや大帝国だったローマ、文明の先駆けギリシャから遠く離れた地では、多神教が未だに愛されていた。

北欧では、北欧神話の世界観がまとまり、「センズ魔術」と呼ばれるトランスを利用した降霊術、「ガンド魔術」と呼ばれる幽体離脱魔術と言った、昔ながらの魔法は生き残り続けていたし、アイルランド地方ではドルイドと呼ばれるシャーマンが生き続けていた。

ちなみに、キリスト教の聖人ゲオルギウスが竜退治をしたのも、この頃だ。

5世紀になると「フェイト/ステイナイト」でお馴染み、アーサー・ペンドラゴンや円卓の騎士達が活躍し始める。

610年には、ムハンマドが天使ジブリールによってアッラーの信託を受け、ここからイスラム教が始まる事になる。

時代は、4大文明が表舞台から姿を消し、舞台の中心はヨーロッパへと移る事になる。

ちなみに、日本で最初の元号「大化」が使われたのが645年の事である。

中世ヨーロッパの魔法

紀元前8万年頃に起きた氷河期によって危機に立たされ、人々は「魔法」を獲得し、それから「宗教」を得た。

それらを広めるのに「文字」が役立ち、情報の共有によって「文明」が生まれ、発展し、やがて「差別」が生まれたのは、これまでの回でも散々触れてきた。

ここからの時代は、みんな大好き「中世ヨーロッパ」が中心だ。

この時代は、欺瞞に満ちている。

614年から911年の間の297年間が、そもそも捏造された歴史で、今は西暦1700年代なんて話まであるのだから、本当に凄い時代だ。

西暦1年を過ぎた頃、世界の人口は3億人を超えていた。

そして、中世と呼ばれる時代に差し掛かる頃には、世界の人口は4億5千万人にまで達していた。

分かりやすく、普通の歴史の西暦を使って引き続き説明していく。

1193年にアルヴェルトゥス・マグヌスと言う錬金術師が生まれる。

年代からしてギリシア語かアラビア語版の「エメラルドタブレット」と言う錬金術師の本がヨーロッパに入り、再評価され、錬金術と言う「魔法」がヨーロッパに定着し始めた。

このエジプトを起源に持つ錬金術と言う魔法は、今で言う「自然科学」であり、自然魔術が基本であった。

アルヴェルトゥスは錬金術の研究で「薬草、石、動物の効能について」研究し、動物の操作や、物質の透明化の方法を探していた。

これは、今でもアプローチが違うが行われている事だ。

薬品を使ったり、脳に電極を挿して動物を操ったり、光学迷彩技術を実用可能にまで持っていこうと日々研究者達は試行錯誤している。

つまり、今を生きる科学者達は、ある意味で中世の錬金術師達の研究を引き継いでいると言える。

少し余談となるが触れたいのは、1214年、あのロジャー・ベーコンが生まれ、この中世と言う時代を生き、賢者の石を求めた事も忘れてはいけないだろう。

3~6世紀ごろに発展した「カバラ」と呼ばれる数秘術も、時代を表している。

中世の「魔法」は、それ以前の「魔法」よりも、より具体的に、より広い範囲で「世界の法則」を探求する事にシフトしていた。

中世の魔法学校

「世界の法則」を探求する事に人類が目覚めた。

この頃、大学と言う教育機関が創られた。

場所は、イタリアのボローニャ。

当時の大学で教えられていた学問は「占星術」「医学」「数学」が中心だった。

そのどれもが古代エジプトで特に発展し、ヨーロッパに入ってきた「魔法」と考えても差し支えないだろう。

最古の図書館は、紀元前300年頃に建てられたエジプトのアレクサンドリア図書館と言われているので、当時のエジプト文明が、どれだけ優れていて時代の最先端を走ってきたのかわかる筈だ。

中世は、それまでの神官やシャーマンやドルイド等が主に持っていた「魔法」を大学に通えるという意味で「一般の知識人」にまで手が届く様にした時代だった。

高度な魔法の「一般化」が起き始めていた。

中世の宗教

キリスト教が生まれて、約1000年。

布教活動は上手くいっていたが、それでも土着の多神教は根強く生き残り続けていた。

1000年前とは違って圧倒的権力を持ち、多数派となったキリスト教だったが、ベースが近いが別の分化した宗教として生まれたイスラム教に十字軍を差し向けたり、多神教の神々を悪魔と言って接触や信仰を禁じたりと、あまり褒められた物ではなかった。

だが、悪魔と呼んでいる神々を崇拝している文明の魔法は、非常に魅力的である。

大学の所でも触れたが、占星術も医学も数学も、エジプトから入ってきているし、哲学はギリシャである。

どちらも、がっつり多神教スタートである。

と言うか、人類が多神教スタートなので、避けようが無い。

つまり、多神教を全否定すると、文明が成り立たなくなるが、認めるとキリスト教の力が弱くなると言うジレンマを、はじめから抱えていた訳だ。

そこで、キリスト教会は「魔法」の中で、自分達にとって都合の良い占星術や自然魔術を「合法魔術」とし、脱魂・口寄せ・加害魔術と言った物を「非合法魔術」に指定する事で「魔法」に善悪を作る事にした。

この、キリスト教の都合によってつくられた歪んだ善悪観によって、異教の神々では無く、邪神や悪魔と言う概念が生まれるに至った。

それまであったのは、あくまでも「よその神」や「自然を象徴する怪物」が殆んどだった。

なのにキリスト教は「よその神」を「悪魔」と、都合よく解釈し、正しさの為には必要だと「嘘」をついたのだ。

悪魔を生み出したのは、よりにもよって悪魔を最も嫌っている人々だったのだから皮肉しかない。

そして、悪魔を倒すためと「正しさを象徴する神」を信仰する人々は、お互い自らを悪魔に変えていく事になる。

近代ヨーロッパの魔法

1241年にロビンフッドが亡くなり、1378年に生まれたクリスチャン・ローゼンクロイツによって薔薇十字団が結成されたり、様々な出来事を経て時代は流れた。

初期の近代ヨーロッパでは、キリスト教の認めた「合法魔術」が発展していた。

長年、研究された「占星術」や「錬金術」や「カバラの数秘術」によって「世界の法則」は、何らかの秘密の形で隠れていると知識人は考えていた。

その考え方は、キリスト教とも相性が良かった。

世界に隠された「記号」を探すという「探求」の基本に則り、キリスト教神学は「摂理」を探求するために、万物の「記号化」を行っていった。

だが、世界に隠された記号を探す事を広く許した事で、キリスト教は思わぬ痛みを味わう事になった。

研究された「神学」や「合法魔術」が、優秀な「魔法使い」達によって研究、体系化され、詳細が具体化し始め、そこに「神秘」は無くなり始めていたのだ。

つまり中世に大学が出来て以来、「魔法」の「学問化」が起きた事で、神秘を「解明し切る」という事案が発生しだした。

神秘は、要因や原因が分からない「超常現象」だからこそ神秘なのであって、構成要素が解明してしまえば、それは、もはや神秘ではない。

こうして「魔法」から「科学」が生まれたのが、この時代だった。

一般には、科学革命と呼ばれるこの時期に

・占星術→天文学
・錬金術→科学、化学

の様な、今に繋がる学問の誕生があったのだ。

ルネサンス期

14世紀に突入すると、もはやキリスト教会にとっては、何もかもが手遅れだった。

「魔法」と「科学」が同居する世界で、キリスト教会は宗教改革を強いられる。

封建社会は、今までの文明と同じように権力が機能不全を起こし、内政は混乱。

外国とは戦争が続き、文明の完全な貨幣経済化が起きたのもこの頃だ。

あまりにも激しい時代の変化に対応できず、社会は権力者の腐敗と共に退廃し始めた。

だが、この頃から、現在に当時の資料が多く残っていて、当時何があったのかが具体的に、良い塩梅で分かり始める。

その為か、ファンタジー世界で描かれる「中世ヨーロッパ風の世界」は、「近代ヨーロッパ」の方が近かったりする事も多い。

恐らく、残された資料の多さと、「魔法」と「科学」が同居し「宗教」が力を持っている世界観が魅力的だからだと思われる。

近代の魔法使い

マルシリオ・フィチーノ(1433~1499)、ネテスハイムのハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486~1535)、テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム(別名パラケルスス、1493~1541)、デッラ・ポルタ(1538~1615)、トマソ・カンパネッラ(1568~1639)と、この時期は有名な魔法使いに事欠かない。

その中でも、飛びぬけて有名なのは「パラケルスス」だろう。

漫画「鋼の錬金術師」の主人公兄弟の父親「ホーエンハイム」のモデルでもある。

著書は「妖精の書」「アルキドクセン」「ヴォルーメン・パラミールム」「正餐論」「物性論」「ホムンクルスの書」と、錬金術関連の書物が多いが、錬金術師であると同時に科学者であり、医者でもあった天才である。

近代の学者

それと、もう一人ピックアップして紹介したいのはアタナシウス・キルヒャー(1601~1680)だ。

イエズス会の司祭であると同時に、キルヒャーは学者でもあった。

ルネサンス期の終わりごろに活躍していた事もあり「魔法」との接点は薄く「純粋な学者」に近い存在だ。

東洋学、地質学、ヒエログリフの解読、地理学、音楽理論の研究、磁性研究、光学、詩学、天文学と多岐にわたり研究し、医学の世界では伝染病の仮説を立て、予防して見せた。

医者としての功績は素晴らしいのだが、失敗も多い。

ヒエログリフの解読には難しく考えすぎて失敗してしまい、地質調査の際、恐竜の化石を調べたが、見当違いな仮説を立ててしまうなど、後世に響く大失敗も多い(ヒエログリフや化石の正しい認識を遅らせた男として有名になってしまった)。

偉大な学者だったキルヒャーだが、司祭だった事もあり、神秘を信じていた為に、科学に思考が染まっておらず「おしい」仮説が面白い人でもあった。

と言っても、キルヒャーだけが面白いのではなく「魔法」と「科学」が分離し切っていない時代なら、仕方がないと言った方が良いかもしれない。

例えば、

・磁性も、重力も、愛も、引き付けあう力
・ヒマワリは、太陽を見続ける
・雨が降ると虹が出る
・アヘンを使うと催眠状態になる
・月の大きさで潮の満ち引きが変わる

みたいな、原因は分からないが関連している事柄に気づき始め、人々はそこに「神の神秘」や「魔法」を感じた。

すぐに、科学的解明をしようとは思わなかったのだ。

それだけならいいが、仮説が大間違いと言う事も往々にしてあった。

例えば、

・レモンバームの葉は形が心臓に似ているから、心臓に良い
・クルミは形が脳味噌に似ているから、脳に良い
・水銀は、不老長寿の薬の材料になる

この様な勘違いは、下手をすれば命を落としたりにも繋がった。

だが、思わぬ副産物を得る事もある。

バケツ60杯分の尿を沸騰させて「金」を作ろうとした事で「リン」を作る事に人は成功している。

この失敗が無ければ、もしかしたら「マッチ」の発明が遅れかもしれない。

近代の宗教

近代ヨーロッパ、ルネサンス期。

宗教改革、科学革命、貨幣経済化、政治腐敗、疫病の蔓延。

社会システムの急激な変化と、社会不安。

キリスト教会は、これらに対応しなければならなかったが、余りにも無力だった。

科学は天敵で、金を稼ぐ策は無いし、伝染病を止める手段など知る由もない。

宗教改革と科学の登場によって権力が落ち、貨幣経済化が進むことで力の象徴が「貨幣」になり、疫病の蔓延で人々は不安に陥っている。

その中で、腐敗している政治の権力者とは自分達なのだ。

この状態を解決する策として考案されたのは、簡単に言えば「敵を作る」事だった。

どういう事か?

一石三鳥の計画

科学はキリスト教から見れば、まだ「魔法」であった。

聖書から外れる事柄は、基本的に異端であり、邪魔だ。

異教徒も邪魔でしかない。

邪魔者を消したい。

それにしても、金が欲しい。

貨幣経済化が進んでしまった事で、とにかく金が欲しくてたまらない。

そこで思いつく。

「邪魔者から金を奪えば、金は手に入り異教徒も科学者も消せる」

更に気付く。

「伝染病の蔓延も、邪魔者のせいにすればいい」

そして始まったのが「邪魔者を消し」「民衆を味方につけ」「金を得る」一石三鳥の計画。

そう、「魔女狩り」である。

キリスト教会は、貨幣経済化と内部腐敗によって、数百年ぶりに再び悪魔を自らの手で作り出してしまった。

いや、以前作った悪魔を再利用しただけかもしれない。

そして、今回は掲げる正義など、どこにも無いのだが、止められる者も誰もいなかった。

魔女狩りの始まり

魔女狩りの歴史は12世紀から始まっていたが、本格化したのは15世紀以降と言われている。

当時、魔女狩りがキリスト教会が抱えた問題を一石三鳥で解決する秘策として登場し、当初ターゲットにしていたのは「ユダヤ人」であった。

魔女の鷲鼻と言うシンボリックなイメージは、当時のキリスト教の人々がユダヤ人に悪いイメージを持たせる為の謀略であり、「サバト」と言う言葉も、ユダヤ人の安息日からつけられていた。

つまり、最初の魔女狩りは、反ユダヤ主義のキリスト教会による運動が始まりだった。

運動が本格化する15世紀に入ると、悪魔や異端者と言ってユダヤ人を吊るし、財産を奪い取る形だった従来の魔女狩りは、変化し始めた。

文明の発展による人口の密集、不衛生な環境、外界から運び込まれる様々な物品、複数の要因によって伝染病が蔓延した時、ウィルスなんて知りもしない当時の人々は、見えない恐怖に対して原因をこじつける事になる。

当然「悪魔」「魔女」「魔法」が市民の近くに実在し、常識の概念となっていた時代である。

「魔女」と「伝染病」は、ほどなくして因果関係があるとして、いとも容易くこじつけられる事になる。

当初は、キリスト教会もそれで問題はなかった。

免罪符を売り、魔女としてユダヤ人を殺しては財産を奪いを繰り返し、教会は貨幣経済化が進んだ社会でも、経済力と信者からの信仰を獲得する事に成功し、圧倒的な権力を握り続けた。

しかし、いつしか歯車が狂い始める。

魔女狩りの変化

伝染病は、いつまでたっても解消されなかった。

それはそうだ。

魔女と言っていくらユダヤ人を殺しても、人々を本当に蝕んでいるウィルスは居心地の良い不衛生な環境でピンピンしているのだ。

すると、人々の行動は狂い始める事になる。

当初は、邪魔なユダヤ人を殺す方便と言う側面もあったのだが、そんな余裕はなくなり、次第に疑心暗鬼に支配されるようになる。

人々は、最初はキリスト教会が「悪魔」や「魔女」と言う「嘘」の設定によって邪魔者の排除をしていた事を世代交代によって忘れ、残ったのは「嘘の設定」だけとなっていた。

恐らく、キリスト教会側としては想定外の部分も多分にあった筈だ。

人々は「嘘の設定」とは知らずに従い、社会に隠れている「魔女」を探す様になってしまった。

さらに、この社会的な機運を利用して「魔女」として「邪魔な相手」を消そうという人々まで現れたのだ。

この、小さくも迷惑な「嘘」から始まった運動は、「嘘つき」が不在の状態で人々を突き動かしはじめ、歴史的に見ても異様な「集団ヒステリー」と言っても良いレベルの社会的大混乱を巻き起こした。

ヨーロッパ各地では魔女裁判が行われ、異端審問官やパニックになった人々によって、最終的には5万人前後の無実の人々が魔女として、凄惨な拷問の末に殺されてしまった。

こうなっては、神秘魔術、自然魔術、悪霊魔術なんて合法非合法の区別もなく、錬金術師や占星術師、しまいには学者の命まで危険にさらされる事となった。

1412年に生まれたジャンヌ・ダルクは、1431年に教会にとって都合が悪い存在だと判断された末に魔女として焼き殺されたが、この悲劇は魔女狩り全体としてみると、有名でこそあるが、ほんの序章に過ぎなかったわけである。

自分達で生み出した「嘘の存在」である「悪魔」や「魔女」をいつからか信じるようになり、恐れるあまり、無関係の人や、時には仲間を死に追いやる事になったのだから皮肉が効きすぎた事件である。

ある意味で「嘘」こそが「悪魔」や「魔女」であり、本当の「魔法」だったのかもしれない。

中近代ヨーロッパ

16世紀、ニコラウス・コペルニクスとガリレオ・ガリレイによって地動説が唱えられた。

天文学が発達し、科学解明時代に突入する。

魔女として殺されない様に振舞う事に人々が慣れた頃、ようやく神秘性や秘儀性が剥ぎ取られ、宗教や魔法を守っていた超常的力という幻想のメッキが剥がれ落ち始める。

この時代に、フリーメーソンが結成され、サンジェルマン伯爵やカリオストロ伯爵が歴史に登場する。

世界の人口は5億人を超え、この頃の先進国に住む知識人たちの間で、ようやく「魔法は不合理」と言う「魔法の完全否定」が時代に登場した。

だが、魔法が死んだわけではなかった。

キリスト教を始めとした宗教が、その力を失ったわけでもない。

学者が「すべてを理論的に解明できる」事に確信を持った最初の時代と言うだけで、科学によってすべて神秘を剥がしきる事は出来なかった。

科学を始めとした学問の津波によって、洗い流されなかった「残留物」を見て、人々は「真の魔法」や「真の奇跡」が存在する事に確信を持ち「魔法」も「宗教」も、むしろ力を強めるに至った。

18世紀以降の魔法

世界の人口は10億人に迫りつつある時代。

凄惨な「魔女狩り」は、ようやく落ち着きを見せていた。

「魔女狩り」を生んだ「キリスト教会による嘘」によって、「悪魔」と「魔女」のイメージが具体化した事で、人々は「魔法」への想像を膨らませる事となる。

皮肉な事に、キリスト教によって「魔女」と言う概念が生まれ、特別な力を求めて「魔女」に憧れる者さえいた。

「冤罪」でも「本物」でも、どちらにしても「魔女」を生んだのはキリスト教と言う事である。

「魔女狩り」以前にあった魔法は、科学へと繋がる自然魔術や、神や霊を降ろす口寄せの様な物が大半だった。

「魔女狩り」以降は、科学革命によって自然魔術の一部から神秘性が引きはがされ、残った残留物と「想像の魔法」が混ざった「魔女の魔法」が生まれ、体系化を始める。

これは、新しい自然魔術として受け入れられ「ペイガン魔術」と呼ばれた。

「魔女狩り」と「科学」によって生まれたのが「近代魔術」であった。

前の世紀まで「魔女狩り」があったとは思えないほど、18世紀以降の「魔法」は、ある意味でオープンであった。

魔法と関わりを持つ者達

「カニングマン」と呼ばれる民間魔術師が一般にいたが、他にも有名な魔術師が何人も生まれた。

エリファス・レヴィこと、アルフォンス・ルイ・コンスタン(1819~1875)によって高等魔術の教理と祭儀がまとめられた。

フランシス・バーレット(経歴不明)はペイガン魔術のグリモワールをまとめ、後世に残した。

この時期、魔術結社「黄金の夜明け団」が結成され、魔術を学問の様に結合と体系化が組織立って行われたりもした。

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(1831~1891)は近代神智学を広め、サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザー(1854~1941)によって「金枝篇」が書かれた。

フレイザーは、類惑魔術と感染魔術を定義した。

エミール・デュルケーム(1858~1917)は、「魔法」を集団なら宗教的現象、個人なら象徴的願望表現と定義した。

エルンスト・カッシーラー(1874~1945)は、「魔法」を「シンボル」「因果律」「融合」で分けて見せた。

魔術復興を目指して「魔法」の分析や体系化を皆が行う中、一人の異端者が現れる。

エリファス・レヴィの死んだ年に生まれたアレイスター・クロウリー(1875~1947)は、自らをエリファス・レヴィの生まれ変わりを自称し、エジプトでエイワスと呼ばれる存在と接触し「法の書」を執筆。

クロウリーは秘密結社「銀の星」を結成し、後に「東方聖堂騎士団」のCHOに就任し、最も新しい魔術師として有名になった。

プロニスワフ・カスペル・マリノフスキー(1884~1942)が動機的人禍を黒魔術、公共の利益を白魔術と定義したり、エドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャード(1902~1973)が意図的な呪術をソーサリー、非意図的な妖術をウィッチクラフトと定義した。

元は、科学と同じところにあった「魔法」だったが、科学の登場と発達によって合理性を剥がされてしまった事で、その多くは「実証主義へのオルタナティブ」な存在になってしまった。

事象が原因不明である「オカルト」である事が「魔法」の証明と言う事になったのだ。

本来持っていた「生きる為の知恵」や「世界の法則」と言う面での「魔法」は、皮肉にも死に絶え、残された「魔法」は「不可思議な物」と言う、科学にも宗教にも属さない「隙間の存在」にされてしまった訳だ。

そんな流れの中、ジェラルド・ガードナー(1884~1964)は、キリスト教によって駆逐された多神教の神々への信仰をベースとした「ウィッカ」を創設し。アレイスター・クロウリーとは別の道で魔法の復活を目指した。

この様な、魔法の世界において原理主義的な流れも起こったが、科学の味を知ってしまった人類全体の流れからすれば、極一部のロマン主義や懐古趣味が大半であり、魔法の復活には遠く及ばなかった。

19世紀の魔法

すっかり魔女狩りは過去のものとなり、発達する科学によって馬車は自動車に、鉄道が物を運び、飛行機が空を飛ぶ時代がやってきた。

世界の大半は3大宗教で占められ、魔法の存在を心の底から信じている人が少数派となった時代でもある。

それでも、人々の間で「魔法」の概念だけは生き続けていた。

この頃の「魔法」は、本来の意味も価値をも失い、過去の遺物として人々の想像を膨らませる「魔法それ自体がシンボル」と言う立ち位置となっていた。

1818年に出版された「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」で登場したフランケンシュタインの怪物は、神話と科学が融合した画期的な物語だった。

1886年出版の「ジキルとハイド」は、二重人格が悪魔の仕業では無く、精神疾患と考えらるようになった時代に登場した読み物である。

そして1897年に出版されたブラム・ストーカーの「ドラキュラ」は、15世紀の実在の人物「ヴラド・ツェペシュ」の逸話と悪魔を足したキャラクター化であった。

こういった娯楽作品によって過去と現代の想像が融合し、まったく新しい存在が生まれ始めた。

20世紀の魔法

人類の数は、20億人を超えた。

1926年には、ラブクラフトによって「クトゥルフ」と言う全く新しい神話の創造が行われたりもした。

1930年になると「ダンジョン&ドラゴン」が空前のヒットを飛ばす。

このゲームは、古代神話と近代魔術を融合させた画期的なゲームであった。

「魔法」のゲーム化の中で、モチーフとなった古代神話や近代魔術をベースに「消費する仮想エネルギー」の概念が一般化した。

マジックポイント、マナ、オド、MPと言った概念である。

さらに、「黒魔術、白魔術」以外に「火、水、風」等の属性ごとの魔法の概念が生まれたのもゲームの世界に魔法が取り込まれた事による変化であった。

1937年、トールキンによる「ホビットの冒険」が発表され、1954年には後のファンタジー世界の方向を決定づける「指輪物語」が登場した。

「指輪物語」によって、ハイファンタジー世界の精密な構築、多様な異種族、魔法や魔王の在り方が決まったと言っても言い過ぎではない。


1962年に赤塚不二夫が作り出した「ひみつのアッコちゃん」の登場以降、様々な文化の吸収を図って「魔法少女」と言うサブカルチャーのジャンルが生まれた。

1981年、パソコンゲームとして発表された「ウィザードリィ」は、明らかに「指輪物語」の影響を受けた作品として登場し、大ヒットした。

1986年には「ドラゴンクエスト」が登場。

ドラクエは、ウィザードリィを始めとしたRPGの影響を受けつつ、日本の漫画との融合を果たし、大ヒットした。


1986年には「リンクの冒険」の登場で「ゼルダ」シリーズが始まる。

1987年には「ファイナルファンタジー」が登場し、当初からビジュアル的な表現へのこだわりやキャラクターメイキング等によって他のRPGと差別化を図った。


日本ではドラクエと共に二大RPGとして君臨している。

1988年に「ロードス島戦記」が登場し、これはTRPGのリプレイが始まりであったが、RPGと小説との融合と言う側面もあり、時代の波に乗り大ヒットした。

そして、人類の人口が60億人に差し掛かる頃。

1996年、「氷と炎の歌」が発表され、これが2011年に「ゲームオブスローンズ」として空前のブームを起こす。

これは、中世のイギリスや薔薇戦争(1455~1485)をモチーフにした架空戦記にゲーム世界のファンタジーやゾンビと言った要素を融合させた作品で、滅茶苦茶面白い。

ファンタジー好きは必見。

近い時期の1997年、「ハリーポッター」シリーズの登場によって「魔法」は、再定義される。

現実世界の裏側に存在する魔法の世界、魔法学校、魔法使いの血筋、架空の生物、特別な呪文、魔王の存在、等々の様々な「それまでの創作物でも散々使われた事のある魔法の要素」を「イギリスの文化」と深く融合する事で全く新しい物語に再構築し、世界的ヒット作となった。

「ハリーポッター」は、12世紀から17世紀まであった「魔女狩り」や、18世紀から19世紀まであった「オカルティズム」と言う「ネガティブなイメージのある魔法」を綺麗に迂回し、「ポジティブなイメージのある魔法」として「フィクションの魔法」を現代と見事に融合させ、人々に提示したと言う訳だ。

おわりに

ヨーロッパを中心にした事で、日本に最後しかクローズアップしなかったが、シルクロードを通って中国や朝鮮半島経由で宗教と共に入ってきた「魔法」によって、卑弥呼が生まれ、後に日本神話や陰陽師が登場したりするので、気が向いたら、ブログの方でまとめたいと思う。

最後に、ローレンス・M・プリンチペとクロード・レヴィ=ストロースの言葉で「魔法」を説明して終わりたい。

プリンチペ

「理性と観察で因果関係を正当化出来ない物事、その原因を求める思考が呪術的思考だ」

レヴィ=ストロース

「有り合わせの材料でする思考こそ、野生の思考である」


この記事が、みな様が新しい「魔法」を作る手助けになれば、幸いです。

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