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困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 はじまりのジェンガ 少女の1ピース「共働きの両親と母のスーツ」

少女の両親は駆け落ち結婚を成し遂げていた。

老舗と呼ばれていた母の出身は、大阪で大きな着物屋を営んでおり、どこぞやの銀行屋の息子との結婚が決められていたが、結納の一週間前に体の弱い苦学生と大阪を出た。

戦争にすら行けないこの男は、大学を卒業すると同時に最愛の人を連れ出して、映画さながら、大阪湾から船に乗り込み横浜まで逃げた。

少女はそんな二人の長女として誕生した。

物心ついた頃から既に両親は働いていたが、体の弱い父は、咳き込んでよく寝室で寝ていた。

3歳になる頃には、火傷をしながらご飯を炊いたり、卵を焼いたり、父のためにおかゆを作っていた。

父は絶対に台所には入らなかったし、水一杯でさえも自分で取りに行くくらいなら我慢する人だった。

母は、生まれ育ちの環境のせいかそもそも料理をする、家事をするという発想すらない人だった。

少女の母は、少女の入学式の時、まだまだお母さんと呼ばれる人はみんな着物を着ていた時代だったにも関わらず、一人颯爽と遅刻してスーツで現れてびっくりされていた。

少女はそんな母を見て、恥ずかしかった。

今で言うドヤ顔で、男の人が着るような黒いスーツを着て、大声の早口でしゃべりだす母の口をふさぎたいと思った。

朝は早くに家を出て、夜は保険レディをしていたせいかお客さんと呼ばれる人と遅くまで飲み歩いていた。

明け方になって、酔っぱらって帰ってくる母を父は介抱していた。

土曜日も日曜日も、少女の母は働いていた。

お出掛けはいつもお客さんと呼ばれる人のお店。

喫茶店だったり、本屋だったり、印刷会社だったりと法人相手の保険を売るのが母の仕事だった。

「子連れの方が売りやすい」と、母は少女をお客さんと呼ばれる人の場所に連れていった。

少女は喫茶店ではジュースをもらい、本屋では絵本をもらい、印刷会社の人には、お中元でもらったというお菓子をもらっていた。

たくさん、たくさん幼い頃から、よく知らない人に物をもらった。

どんなに欲しくないものでも、いらないものでも「笑っておおきにって言うんよ」と母に迫られていたので、嬉しくなくても笑ってお礼を言わなければいけなかった。

友達と遊ぶことは決して許されなかった。

さすがに、飲み屋につれていくわけにはいかなかったのか、夜の9時頃には自宅に送り届けられた。

父がいる時もあれば、いない時もあったが、父は少女と全く会話をしなかった。

朝食はなしで、昼食は母が買っていたインスタントのラーメンを作って食べた。

夕食は母が買ってくるお総菜や当時では高級品だったインスタント、レトルト、冷凍食品を食べることもあった。

これらは、共働きだからできる贅沢だと教えられ、学校の友達が持ってくる手作りのお弁当やおやつを欲しがると、「貧乏人の食べ物」「稼ぐことができない低能な人の暇潰し」「料理上手ですって言う意地汚いアピール」「男に媚を売る行為」と刷り込まれた。

その点、百貨店で買ったお総菜やそれこそ既製品の綺麗なワンピースは、お金のある家の子供しか着れないし食べれない、だから母に感謝しなさいと言われ続けた。

なぜか、母は着物を1枚も持っていなかったし、七五三の時でさえ少女はワンピースを着て写真を撮っていた。

母娘で着物姿が一般的だった時代にも関わらず、着物屋の娘に生まれたにも関わらず、母は着物を心底嫌っているように見えた。

そして少女の母は、専業主婦と呼ばれる人を見下していた。

「働きながらでも家事くらいできる」と得意気に言ってはいるが、母が出張に行く歳は近所のみっちゃんの家に預けられていた少女は、本当の家事を見た。

温かいまま食卓に並ぶ手料理や、蒸籠から出てくるケーキのようなパンのような甘いほわほわの食べ物、テーブルの隅にあった作りかけのみっちゃんの赤いチェックのワンピース、ワンピースのボタンをみっちゃんはお母さんと裁縫屋さんで選んだと嬉しそうに話す姿や、学校が終わるとみっちゃんと少女は、みっちゃんの母と弟と近所の公園へ遊びに行って、手作りのおやつを一緒に食べた。

お風呂にはカビなんていないし、宿題だってみっちゃんはお母さんと話しながら楽しそうにテーブルに広げている。

掃除が行き届いている家に吹き込んでくる風は、とても心地がいい。

全く埃っぽくない窓からの風を見ると、庭に平べったい皿のようなものに何かが並んでいる。

「あれ何?」と聞けば、梅干しを干していると言う。

学校から帰ると、「おかえり」と言って微笑んでくれる人がいる。

少女は、心から寂しいと思った。

「娘ががしっかりしてて助かるんです~」と母は、共働きの話を誰かにすることはあっても、少女には一度も面と向かってそんなことは言わない。

不満をぶつけようものなら、「親の手伝いなんてして当たり前やろ」と怪訝な顔でたしなめる。

代わりに、欲しいと言ったものはなんでも買ってくれた。

「これが愛情や」と言う母を見て、少女は何も言えなくなった。

明日は初めての遠足、少女は一人、商店街へ弁当箱を買いに行った。

毒親と呼ばれる存在に悩んでいる人も、貧困に苦しんでいる人も、困窮を恐れる人も、犯罪者になってしまいそうで不安な人も、そんな人に興味がある人にも役立ってくれると嬉しいです。