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困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース3「一家心中の止め方」の余談
パパと呼んでいたことにより、話をマイルドにしたかったわけではない。
僕の両親は、他人からお金持ちだと言われることが大好きだったので、滑稽なことに子供に自分達のことをパパ、ママと呼ばさせていた。
例え、他人からの称賛のような言葉が嫌みであってもバカにしていたとしても、そんな本心に気付く人たちではなかった。
客観的に見れば、あの時の父をパパと呼んでいることが一番笑えることかもしれない。
そして、一家心中未遂をこんな形で経験した僕にトラウマは現状ないのかと気になる人もいるかもしれない。
例えば、川岸に続く車1台分くらいしか走れない堤防から、スッと父が横道にそれた時の、あの一瞬車内の空気が止まったようなぬるい静けさや、日曜日の夜の人気のない波止場へ進む喉の奥から込み上げそうな吐き気や、田舎の橋の上での口論を、地元の中高生が面白そうに見ていた顔。
「もう死んだらええんや」と言う、絶叫にも近い母の叫び声の中で、夕日を背景に「今日のおかずはからあげがいい」と、数センチ開けた窓から聞こえてくる親子の会話をじっと聞いていた。
その親子のすぐ横を父の車が通りすぎようとした時、そっとお母さんが子供を守るように車に背を向けていた。
その行動に僕は目の奥がジンジンと痛み、一瞬あたりが真っ暗になった。
このキーワードだけでも、川、海、堤防、波止場、橋、車内、夕日、からあげがトラウマになりそうなものなのに、神経が図太い僕はどれもトラウマにはなっていない。
からあげが何なのかを知ったのは、ずいぶん後の話だけれど今では好物でもある。
ただ、これが原因かは分からないけれど、この夜逃げ生活から解放された瞬間、僕は自分の笑い声に恐怖を感じるようになった。
10歳頃まで、集団生活や家庭内で一度も僕は声をだして笑ったことがなかっ。
ただ、いつまでもそうとはいかない、周囲の空気に合わせて、僕も笑わなければいけないと思った時があった。
僕の通っていた大阪の小学校では、面白いということが一番大事であるという風習があった。
クラスでも面白い、芸人になれともてはやされていた男の子が、僕が彼のギャグに全然笑わないから、ノリが悪いと責めるようになった。
中学生くらいになれば、笑わないキャラとして受け入れられたが当時ではまだ無理な話だった。
居心地が悪い交遊関係をなんとかしようと、小学校の下駄箱にあった傘立ての前で、意を決して笑ってみたが僕の笑い声が耳に入った瞬間に僕は過呼吸になって、そのまま傘立てに顔面から突っ込んでおしっこを漏らしていた。
気付けばゴミ袋の上に寝かされて、保健室。
勿論、そこから僕には不名誉なあだ名が付けられ、一部の人からは義務教育終了まで僕の名前は不名誉な名のままだった。
それから何度か一人で試してみたものの、笑い声を出そうとすると呼吸が止まったり、泡を吹いて倒れこむ。
もしくは口角がそのまま固まるか、舌の奥に激痛が走ってしびれる。
そして、身体中の穴からありとあらゆる水分が出ていく。
汗やら、鼻水やら涙やら、汚物も含めて漏れだし、心臓が短距離走をしているかのようにドッドッドッと高速になる。
汚物まみれになることは必須だったので、笑う練習は学校のトイレだった。
しかも旧校舎の理科室の前にあった男子トイレの個室で、僕は笑う練習をしていた。
練習をして1年くらいが経つと、僕の笑い方の練習はいつのまにか学校七不思議に組み込まれていた。
なんでも、理科室で死んだ幽霊が、トイレで生き返って子供を食べるとかなんとか。
七不思議に貢献したものの、人間関係を構築していく上や、それこそ恋愛のことを考えると笑えない男と言うのは、まずかろうと思い何度も特訓したが30歳過ぎた今もあまり変わらない。
僕は笑うことができなくなった。
僕の笑い声が響くと、なぜか海やら川やら両親の怒鳴り声ではなく、アキヒロお兄ちゃんの作っていた金魚の墓標を思い出す。
次に苦しんでる金魚が頭の中で泳ぎ出すと、震えだして、金魚は日本地図の形をした剣山に変身する。
そしてその針だらけの山が、何かに拘束された僕にギロチンみたいに襲いかかる。
突き刺さる直前で何度も止められては、意識がなくなるまで数回針山が迫ってくる繰り返しで、なぜか目を閉じることはできない。
ここまでは、ここ数年で突き止めたけれど、未だに何で金魚のお墓なのか、日本地図の形をした剣山なのかは謎なままである。
試しに本物の剣山や金魚と対面してみたけれど、特になんの感情も生まれなかった。
毒親と呼ばれる存在に悩んでいる人も、貧困に苦しんでいる人も、困窮を恐れる人も、犯罪者になってしまいそうで不安な人も、そんな人に興味がある人にも役立ってくれると嬉しいです。