コンサート
2023年になり、エンタメ業界が賑わっている。やっと日常が戻ってきたなと感じる今日この頃。取材が終わるや否やマイクブームを持ったまま、区立新宿文化センターへ。
2023年2月3日(金)18:30『コッキーポップコンサート2023』が開催された。司会は伝説のパーソナリティ:大石吾朗さん。
コッキーポップは、1971年~86年にかけて放送されたラジオ番組(ニッポン放送)。当時、TV放送もあったらしい・・・「らしい」と言うのは、私はこのラジオ番組もTV放送も、1度も観た事も聴いた事もなかったからだ(申し訳ありません💦)
1971年と言えば、私は6歳。両親が大枚を叩いて買ったカラーテレビに夢中になり、朝から晩までアニメとフィンガー5を追い掛けていた。ラジオは父が独占し、専ら競馬やプロ野球中継を聴いていた。
80年代になると、私はShogo Hamadaさんに夢中になり、レコードばかり聴いていた。自分専用のラジカセを買ったのは1982年、北海道初の民放FM局:エフエム北海道(AIR-G')の試験電波放送中だった。良音質のFMで流れる楽曲だけをカセットテープに同時録音する「エアチェック」に集中し、AMラジオは全く聴かなかった。
つまり、私は大石吾朗さんのお声を聴いた事がなかったのだ。だから今回、約1800席の大ホールで大石さんの名台詞「黙っていれば友達になれない、叫ばなければ消え去ってしまう。・・・」が流れた時、割れんばかりの大拍手が湧き起こったが、私は1人でポカンとしていた。
ではなぜ、コンサート会場にいたのか?
答えは、すずき一平さんの歌声を聴きたかったからである。
20年程前、札幌の某コミュニティFMでアルバイトをした時、一平さんの番組ディレクターを担当させて頂いた。ド素人の私が採用直後にミキサー(卓)を操作する、しかも絶対に失敗出来ないスポンサーコーナーがあると言う・・・何とも無謀な放送局(苦笑)。
①タイトルコール(エコー付)
②MDでBGMを出す
③イントロ明け、CUEサイン
④BGを小レベルに(MCトーク)
⑤(トーク終了)BGをF.O.
⑥CDデッキで楽曲を流す
⑦(イントロ紹介後)楽曲レベルを上げる
この一連の動作。今なら「OK!」と1つ返事でこなせるが、当時の私は卓なんて触った事もなかった。音など出るはずもない、いや、出なかったのだ。一平さんが血相を変えて、アナウンスブースから飛んで来た。
「君、ディレクターなの?」
「は・はい・・・」
「卓は?経験ある?」
「あ・ありません・・・」
一平さんは大きな溜息を付き、下を向いたままだった。
「解った。心配ないよ。必ず出来るようになるから。落ち着いて。1つずつ、ゆっくり操作して良いから。用意が出来たらこっちを見て。僕は待ってるよ」
一平さんは、文句の1つも仰らなかった。・・・いやもう、その時の情けなさと悔しさと申し訳なさと言ったら・・・言葉にならなかった。
以来、全ての生放送終了後、毎晩、夜遅くまでスタジオを借りて卓練習を続けた。来る日も来る日も。
やがて卓操作に慣れて来た頃、当時10本以上のディレクター番組を抱え、自分がパーソナリティを務める3時間生放送もあり、他にバリアフリー番組の取材をし、土日は東京でボイストレーニングや講習会を受け、親孝行もし、ついに・・・私は倒れたのだった。
朝、救急車で病院へ。1時間ほど点滴を打ってから一平さんの番組へ向かった。・・・私は真っ青な顔で、フラフラで、腕には点滴の跡・・・驚いた一平さんが立ち上がり、
「どうした!?大丈夫か?この仕事は無理をすると身体がボロボロになる。僕はそう言うスタッフを嫌と言うほど見て来たんだ。だから決して無理はするな。何かあったら僕に言いなさい。僕が、守るから」
私は、ボーッとする頭で言葉を探し、口から飛び出した返事がこれ。
「守るのは私。ディレクターがパーソナリティを守らなきゃいけないのに、これじゃ真逆です。私が、一平さんを守ります!!」
一瞬、空白。そして、大笑い。
「そうか、そうか、俺を守ってくれるのか、そりゃ頼もしいな。それだけ元気があるなら大丈夫だ。さぁ本番、行くぞ!」
一平さんは・・・
もう忘れただろうなぁ・・・(笑)
一平さんのコンサートを東京で拝見したのは2011年、全労済ホール(新宿)で開催された「三の木コンサート(出演:すずき一平さん、佐々木幸男さん、山木康世さん)」だった。当時は渋谷区初台に住んでいたので、自転車に乗って行った。震災直後で、余震が来ない事を祈りながら観ていた記憶がある。あれ以来だ。
前置きが長くなったが、今回のコッキーポップコンサートは、一平さんの他、佐々木幸男さん、因幡晃さん、Chageさん、杉山清貴さん、三浦和人さんがご出演された。おひとり3曲、持ち時間は15分間。一平さんは大トリだった。
うわー!やっと会えたー!!!
もちろん、直接会える訳ではないが、まるでお会いした気分だった。歌声もお姿もあの頃と変わらない。むしろ駄洒落がパワーアップ!
「昔は 水鏡、今は 前かがみ」
会場は大爆笑。私は、いつも笑い転げながら卓操作した日々を思い返していた。
すずき一平さん
1974年、フォークデュオ「ラビ」結成。
シングル『青春碑』でデビュー。
1979年、第17回ヤマハポピュラーソングコンテストに『時流』で出場。優秀曲賞受賞。世界歌謡祭出場。
1980年、『水鏡』がヒット。
一平さんは当時の音楽活動を振り返り『時流』『水鏡』『地球のゆりかご』を歌われた。特に『水鏡』は、ギタリスト:曽山良一さんとのセッションが秀逸だった。
また『地球のゆりかご』はブルーのライティングが美しく、スポットライトに浮かび上がる一平さんの歌声が、伸びやかで素晴らしかった。歌い終えた一平さんは、はにかむような笑顔を見せ、客席に向かって僅かにガッツポーズを決めた。
すずき一平さん
4月9日(日)東京LIVE開催決定!!
詳しくは、こちらへ↓
もう少しだけ、
コッキーポップコンサートについて記載。
ステージ上では、出演者が入れ替わる度に大石吾朗さんがMCトーク。出番を終えた出演者との掛け合いが会場を和ませた。
「Chageも良いけど、そろそろCHAGE and ASKAを見たい」
こう呼び掛けた大石さん。音楽を愛し、アーティストをリスペクトし、更にリスナーの気持ちに寄り添う。そのお心が伝わって、客席も大きな拍手に包まれた。大石さんが伝説のパーソナリティと言われる理由を垣間見た気がした。
そして終演後。
場内に静かに流れ出すBGM。
聴き覚えのあるピアノ演奏。
こ・・・これは・・・
明日香さんの『花ぬすびと』だ・・・
明日香さん
1982年、ヤマハ・ポピュラーミュージックコンテスト優秀曲賞受賞。『花ぬすびと』は世界歌謡祭グランプリ獲得。30万枚のヒットとなった。1995年、明日香さんは札幌市へ転居。結婚、出産。2004年、私はラジオ局で明日香さんと出会い、約1年半に渡り生放送中のベビーシッターをさせて頂いた。 2013年、明日香さんは乳がんで他界。
足早に会場を去る人々・・・
この中のいったい何人が、
明日香さんはもうこの世にいないと知っているだろう・・・
誰も居なくなった客席で・・・
明日香さんの歌声が消えるまで・・・
私はずっと聴き入っていた・・・
コッキーポップ、スタッフの皆さま
温かいお心遣いをありがとうございました。
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