
昭和の日
「昭和49年(1974年)8月12日。釧路方面へ旅行(3泊4日)」
古いアルバムには、こう書かれている。母は几帳面な性格で、写真1枚1枚にコメントを綴っている。札幌から釧路まで車で約320km。今でこそ高速道路を使って5時間程で行ける距離だが、当時は細い砂利道あり、ガードレールのない急斜面あり、霧深い峠ありで10時間以上要した。「どうか無事に帰って来られますように」と、一家そろって神様仏様に手を合わせて旅行したものだった。
父はプロのドライバーである。トラック、バス、タクシーの運転歴がある。独身時代は自衛隊員だったので戦車の免許まで持っていた。私達は、当時ファミリーに人気のトヨタ・カローラ(サムネイル画像)で、一気に釧路へ。32歳の父は約10時間、運転しっ放しだった。

「パパは流石に疲れた様子」とアルバムに記されている。道東を巡り、知床遊覧船にも乗った。

今はもうない(はずの)知床海底観賞船株式会社。

岩の形は今も変わらない。

赤い船は洋上レストラン。文字が左右逆読みなのが昭和らしい。手前の小型船は漁船かな。母のコメントには「遊覧船から遠くを眺めて写した」と書かれている。

この日は曇天で霧も発生していた。港を出ると多少の波はあったが、ほぼ穏やかだった。しかし甲板に出ると風が冷たく、縮こまって震えていた私。上の写真は、父が「胸張れぇ胸!」と号令を掛けた瞬間。8月13日は真夏だが、道東は寒い。旅館の朝はストーブを焚いていた。それが普通だった。

当時の遊覧船は、今のそれよりも大きかったと思う。私が立っている場所は船首の甲板。道外の観光客や修学旅行生が数多く乗船していた。けれど今と違い、船が岸壁に近付いたり、滝の直ぐそばまで進む事はなかった。
「座礁の危険があるので近付く事は出来ません。遠くから眺めて下さい」とアナウンスがあった。なぜ覚えているかと言うと、父が一眼レフカメラをズームにして、滝を見せてくれたからだ。今思えば、あれがカシュニの滝だったのかも知れない。私は滝よりも熊を見たかったが、姿はなかった。
その後、霧雨が降り出し、船は知床岬へ行く事なく港へ引き返した。乗客から大きな溜息が漏れていたが、誰ひとり「揺れても良いから行ってくれ」と言う客はいなかった。港に着いて沖を見ると白波が立っていて、母がホッとしていたのを覚えている。48年前の、昭和の思い出である。

尊い命が多数奪われたのに、
それを「お騒がせ」と言い放つ人間性。
厳しく裁かれるといい。