見出し画像

札幌☆PART②

2023年7月1日(土)夏休み 3日目

札幌はバラの季節。大通西12丁目のバラ園は満開だった。ゆっくりと散策。

札幌初の姉妹都市をご存知?

アメリカ・ポートランド。昭和34年(1959年)に姉妹都市提携された。ポートランドは「バラの都」と言われる美しい街。緯度も気候も街の風景も札幌と良く似ている。

実は大学3年の夏(多分34年前)、ポートランドにホームステイしていた。この都市を選んだのは、将来札幌にUターン就職した時、必ず役立つに違いないと信じたからだった。

しかし、面接では1度もポートランドについて話さなかった。

「君、2浪なの?しかも4年制?そんなんで就職出来ると思ってるの?女性は大事な社員の花嫁候補だからね、1歳でも若い方が良いんだよ。えっ?現場で働きたいって・・・君!女性はお茶汲みとコピーが仕事なんだよ。現場に出られる訳がないだろう!面接は以上。ご苦労さま」

1社や2社ではない。殆どの面接がそうだった。時代とは言え、辛過ぎた。

札幌のテレビ局に就職したくて東京へ行き、ポートランドにも行き、広い視野を身に付けて帰って来るつもりだった。しかし、

「北大と教育大はこちらへ!それ以外は待機。別の試験があって急ぐ者は遠慮なく帰りなさい」と、大学名で門前払い。札幌だけではない。東京の企業も幾つか受けたが「東大と早稲田はこちらへ。それ以外はあちらへ」と別室に案内された。今なら大問題だろうが、それも時代だった。

最後の1社に落ち、故郷に帰る夢は見事に砕け散った。ネットも多様性もなかった時代に別の人生を見付けるのは、とても難しかった。

結局、全国のテレビ局を行脚し、知らぬ街の放送局に就職した。予期せぬセクハラとパワハラに遭い、寿退社。直後にパニック障害を患い、7年間も引きこもり。人生を捨てた私を見るに見兼ねた友人が、声優養成所を勧めた。

言われるまま通い、数年間は養成所ジプシーと化した。恩師と出会い、仲間が出来た。パニック障害は完治し、いつしか東京が自分の居場所と思えるようになっていた。

そんな矢先(20年も前)家族がまさかの札幌転勤に。驚愕。

今さら!?

いや、付いて行く気など更々なかった。札幌に帰るつもりはなかった。ちょうど東京でアフレコの仕事が増え始めていたからだ。

よし、東京に残り、一人暮らししよう!

しかし、その頃は借家だったのと、母に「お願い、帰って来て。何も要らないから、私にあなたの時間を頂戴!」と初めて泣かれ、渋々、帰郷。ひょんな事から、ラジオ局でアルバイトする事となった。

3年後。

家族が任期を終え、また転勤に。東京へ戻る事となった。家族は道産子ではないので喜んでいた。そして引越し直前、私は決心して誰にも告げず、札幌の、あるテレビ局を受験した。

もしも採用されたら札幌に残ろう・・・
子どもの頃の夢を叶える最後の賭けだ・・・

1次、2次・・・トントン拍子で面接は進んだ。だが最後の最後に家族の職種を聞かれ、転勤がバレた。私が答えなくても、家族の転勤を面接官は知っていたのだ。

「私は札幌に残ります!」
「そんな事が出来る訳ないだろう!」
「いいえ、出来ます!私の人生ですから」
「君が良くても、ウチの会社が良くないんだ!」

・・・またかよ・・・内心、そう思った。年齢、性別、家族の職業が何なんだ!?・・・不採用。ならば、もう悔いはない。東京へ帰ろう。

そして家族は、今日まで幾度となく札幌で仕事をしているが、私はもう東京を離れる事はなかった。

美しいバラを見て、そんな苦い記憶が蘇っても、もう心は痛まない。みんな頑張ってね。私の故郷、札幌を頼んだよ(笑)

歩いて1軒の蕎麦屋へ。

父が現役時代に良く訪れた「志の家」さん。

更科蕎麦が上品で美味しい。

さぁ、夏休みのメインイベントへ行こうか!

to be continued・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?