靴職人エースのつま先【お試し版】
「万年赤字経営のエースの元に舞い込んできたのは、姫君の婚礼用靴作り!」
こちらは、第三回富士見ラノベ文芸大賞にて、一次選考を通過した作品です。
応募総数483本の中の、42本に残った作品になります。
公開するに当たって改稿をしておりますが、おおまかな流れは変えていないので、作家志望の方、小説の投稿を考えていらっしゃる方には、「参考・分析資料」になり得ると思います。
また、純粋に一本の小説として楽しんで頂けるとも思います。
文庫本一冊分の量になりますので、有料マガジン内に6つのノートに分割してまとめております。このノートは、小説冒頭の一部をお試し版として公開しているものになります。
興味が湧いた方はぜひ、有料マガジンをご購入ください。
「靴職人エースのつま先」長編小説・完結済 500円
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靴職人エースのつま先【お試し版】
工房の中は、綺麗に整っている。木型も皮も、棚に整然と並べられている。釘やナイフも、危なそうなものは簡単に取り出せないところにしまっておいた。
久しぶりの依頼が片付いたから、お客さんに汚い作業場を見せないように、昨晩必死に整えただけはある。
作業台の上には、真新しいピカピカの赤いヒール。出来上がったばかりの一足だ。しかし、お客さんに気持ち良く笑顔で工房を後にしてもらおうと思っていた俺の心配りは、全くと言っていいほど、お客さんの心には響かなかったらしい。
俺は目の前の女性を刺激しないように、なるべく丁寧な語調で説明した。
「ですから、お子様はつま先の丸いヒールが良いと仰ったんですよ」
しまった、ちょっと言葉選びが悪かったかな。これじゃ、相手を責めるような言い方になってしまっている。
嫌な予感がよぎりながらも、窺うように女性を見やる。案の定、美しく着飾った女性は派手な目元を吊り上げて、語気荒く返してくる。
「だから何だって言うの? 勝手に客の注文を変えるなんて、どうかしてるわ! 私は先の尖ったシャープな靴を作ってって言ったのに!」
俺と女性の間で、ようやく年齢が2桁になったくらいの幼い女の子が、困ったような表情をしている。
俺は剣呑な空気を醸し出している女性を宥めるように、ゆっくりと説明した。
「いえ、でも、お嬢さんはまだ成長期でしょう? 先の尖った靴は、指先が圧迫されるんですよ。ましてや、踵が高いものなら、余計に。夜会で踊っている最中、足が痛くなってしまうなんてことも……」
「もういいわ! おたくには二度と頼まないから! やっぱり始めから、レドリク工房に頼むんだった!」
女性は俺の言葉を遮って、ぴしゃりと言い放つ。俺が二の句を次ぐ暇もないままに、女性は乱暴に娘の腕をつかんだ。
「ほら、行くわよ!」
引っ張られた女の子は、よろめきながらも慌てて足を踏み出す。母親に引きずられるようにしながら、肩越しにこちらを振り返る姿は、どこか残念そうだ。
ぐるぐると色んな感情が渦巻く。いやだって、靴を実際に履くのはお嬢さんじゃないか。本人が丸いヒールが良いって言ったのに。まあ確かに、親御さんに先に聞いてみなかった俺も悪いのかもしれないけど。
いくつかの段差を上がって、女性が玄関扉を押し開いたところで、俺ははっと我に返った。
「ちょ、ちょっと、お客さん! 御代金は?!」
俺としては一番気にかかっていたことだったけど、お客さん的にはこれは今一番言っちゃいけないことだったかもしれない。
入り口でぴたりと足を止めた女性の背中に、止まり切れなかったお嬢さんがぶつかる。長い髪を揺らして、女性は俺の方を振り返った。鬼のような形相で。
「いくら?」
「え」
「いくらになったの? 使う生地や時間や手間によって変わってくるからって話だったわよね? 結局いくらになったのよ」
女性の苛立った口調が、俺の記憶を呼び覚ます。夜会用の靴をということだったから、踊っている間にフォルムが崩れたりしないように、少し硬めの素材を使ってある。赤いつま先のつやを出すのも結構苦労したし、製作期間なんかも考慮に入れると。
俺は引きつった笑顔を浮かべて、お客さんに提示する。
「銀貨60枚、くらいですかね」
ぶちっと、女性の何かが切れたような音を聞いた。
「最初に言ってあった予算より遥かに高いじゃない!」
「いや、でも、妥協して作るのはどうかと思ったんで……」
「妥協していいかどうか決めるのは、客の私! おたくが勝手に決めることじゃないでしょう!」
女性は体中から立ちのぼる怒気を巻き散らかして、一語一語を俺に言い聞かせるように喚いた。
「大体、どうして注文と違うものにお金を払わなくちゃいけないのよ?! ふざけないで!」
工房の中に、女性の怒りが反響する。ばん、と盛大な音を立てて、力任せに扉を閉められて、俺は顔をしかめた。
しばらく閉まった扉を眺めてから、俺ははあと溜息を吐く。
小さい頃から窮屈なヒールの中で足を縮こまらせてしまうと、成長してから響いてくる。指が変形してしまったり、靴を履いていると足が痛くなる人だっているのに。まだ成長途中で、これからどんどん足も大きくなるような子に、先の狭くなる踵の高いヒールはやめておいた方がいいよ。
そもそも、実際に履くあの子だって、先が丸い靴の方が可愛くて好きって言ってたんだ。親としては着せたい服、それに合わせて履かせたい靴があるのかもしれないけど、本人の希望を無視するのはどうかと思う。小さくたって、あの子にはあの子なりの夢と希望があるっていうのにさ。
俺は誰にも履かれることのなくなった靴に視線をやって、呻き声を漏らす。
「あー、俺の馬鹿。またやっちゃったよ……」
靴を作る目的、履く人のことを考えて、より良いものを作るのが俺の仕事だ。でも、それでお客さんに納得してもらえなければ意味がない。
丹精込めて作った靴だって、履いてもらえなきゃ意味がないんだから。飾棚のインテリアじゃないんだぞ。誰かの足元を彩って、色んな危険から足を守るのが、靴の役目だ。
溜息をひとつこぼして、俺は戸棚へ歩み寄る。靴のデザインやお客さんの連絡先、帳簿が立てられている合間から、ファイルを引っ張り出す。
重たい気分になりながらめくれば、何枚もの借用書。どうにか返済が終わっているものもあるけど、返済が終わっていないものもある。借入先の金貸しの顔を思い浮かべて、溜息をこぼした。借用書に書かれた金額を合算しながらめくっている内に、一気に疲労感が押し寄せてくる。
一番近い期限は再来月。再来月までに、ひとまずこの分はどうにかしないと。
「今日の分も当てにしてたんだけどなー……」
ぴかぴかの赤い靴が現金に化けなかったのは痛い。どうにかこうにか、再来月までに一部でも返済しないと。
肩を落としながら借用書をしまって、赤い靴の処遇について考える。近所の子にあげるわけにもいかないし、解体して、使えそうな材料は再利用するしかないかなあ。
「なんか、こう、ぱーっと、一攫千金みたいな話転がってないかなあ」
そんなことを考えていた矢先、工房の扉がノックされる。
まさかさっきの親子が戻ってきたわけじゃないだろう。きっとあの足でレドリク工房に向かっているに違いない。ごめん、レドリク。ややこしいことにした挙句に丸投げしたみたいな形で。
じゃあ誰だ、と考えて、もしかして新しいお客さんでは、と思いつく。珍しい! 一日に何人もお客さんが来るなんて!
俺は喜び勇んで扉を開けて、営業スマイルを浮かべる。
「はいはい、どちらさまでしょうか?」
「エインズワース工房というのは、こちらで間違いないか」
「はい、そうですけ……ど……」
思わず語尾がつまる。
扉を開けた先にいたのは、討ち入りでも仕掛けに来たのかと思うほどの詰襟軍団だった。目の覚めるようなブルーの詰襟には、上等な金糸のライン。裏地に上品な赤を使った純白のマントを見ても、かなり金のかかった格好だ。
一様に帯刀している10人程度の制服軍団は、綺麗にぴしりと背筋を伸ばしたまま、俺に視線を集めていた。同じように無表情の軍団の中で、一番前に立っている奴が、平坦な声を出す。
「国王陛下からの勅命を伝えに来た」
「なっ……! なんで、国王陛下?!」
ま、まさか返済できない借金についてだろうか。金貸しのところでは話が止まらず、国家機関にまで通達がいってしまっているのか。返済能力無しと判断されて、今から一切合財の財産を取り上げるとか言われたらどうしよう!
俺はすぐさまその場で地べたに這いつくばって、頭を下げた。
「お、お願いします! あと一ヶ月待って頂けないでしょうか! 来月中には2割、いや、3割はお返ししますから……!」
「国王陛下より直々のご依頼だ。エインズワース工房には、我が国の姫様の靴を作って頂きたい」
「……は?」
降ってきた声に、俺は思わず素っ頓狂な声を出した。見上げたところで、待ち構えているのは人形のように揃っている無表情だ。俺の間抜けな格好に笑いひとつ無い。これはこれで辛い。
いやそれよりも、と俺は立ち上がりながら目の前の制服さんに詰め寄る。
「こ、国王陛下からのご依頼?」
「そうだ。ただし、もう一ヶ所、別の工房にも依頼しているので、どちらが良い靴かはコンテストを開催して競ってもらう。製作期間は一ヶ月。製作費は全て国で負担しよう。コンテスト自体は来月行うこととする。コンテストに勝利した暁には、製作費とは別に褒賞も用意しよう」
「製作費は国負担?!」
ちょっと待ってくれ、突然のことで頭がついていかない!
お姫様の靴を作って欲しいと国王から依頼。しかし、その依頼は俺の工房と、もう一ヶ所別の工房にしているので、どちらが良い靴かコンテストをして決める。製作期間は一ヶ月。
そしてこれが大事。製作費は国負担!
俺はわなわなと震える自分の手を見つめた。
国が製作費を負担してくれるなら、どんな生地や材料を使っても、予算を越えたと怒られることはない。客の予算と要望が釣り合わないからといって、うちの工房が赤字になったり妙な妥協をする必要もない。
更に、コンテストに勝てば褒賞が出るなんて! 国がコンテストまで開いて姫様の靴を作らせるんだから、はした金ではないだろう。一攫千金、借金なんて怖くない!
ついでに、そんな大々的にやってくれるなら、コンテストに出品するだけでも工房の名前が広まって、株は上がるはずだ! そうなれば客も増えるはずだし、いい事づくめじゃないか!
「引き受けるか?」
「はい、やります! 張り切って引き受けます!」
これは一世一代の大チャンスだ! 俺は一も二もなくその話に飛びつく。
万年赤字経営の、金貸しにすら借金返済の目処が立ってから連絡をくださいと憐れまれた、エインズワース工房が、再起を賭けるにはこれしかない!
俺は歓喜と決意に奮い立つ。その様子を見て取って、制服さんはひとつうなずいた。
「質問はいつでも受け付けよう」
制作に必要な、いくつかの懸念事項を口にしようとすれば、制服さんは先に小さな紙を差し出してくる。
「ああ、姫の足のサイズは記載の通りだ」
受け取った紙には、至極平均的な女性の足のサイズが書かれていた。
うん、まあ、このサイズと、作りたい靴のイメージがあれば、作れないことはないんだけどさ。
俺は手にした紙から顔を上げて、目の前の人に尋ねる。
「姫様にお会いできますか?」
「必要ないだろう?」
その言葉を聞いて、俺は言葉に詰まった。
必要ないなんてことはない。絶対に。
既製品を渡す仕事じゃないのだ。いや、既製品を渡す仕事だって、本当にその品が客にとって必要なものかどうか、吟味するのが仕事人の務めだろう。本人から話を聞けるに越したことはない。ましてや、俺たちのような、客の要望に沿って一から創り上げるような仕事なら。
「可能であれば、実際にお会いして、きちんとお話を伺って、測らせて頂きたいのですが」
一通りは靴の基本形になる木型も揃ってはいる。だけど、ご本人の足の形によっては、今ある木型じゃ合わない場合もある。取り掛かる作業が違ってくる可能性もあるんだから、正確な仕事のためにも姫様にはお会いしたいんだけど。
抗議するような思いも込めて、じっと目の前の相手を見つめる。相手も、色の読み取りにくい瞳で俺を見ていた。
「必要ないだろう?」
話が通じない。内心で盛大なため息を吐く。
いやしかし、大事な上客でもある。ここで変に機嫌を損ねて、やっぱりこの依頼はなかったことに、なんて言われでもしたら困る。
俺は頬をひきつらせながらも、どうにか笑顔を作った。
「えーと、じゃあ、どのような靴をお求めなんですか?」
「ああ、婚礼用の靴を作ってもらいたい。姫様が実際に、婚礼の際にお召しになる」
「その、婚礼の際にお召しになるドレスなんか、見せて頂けたりは……」
俺の度重なる申し出に、常にキリリとしていた眉がひそめられる。もう言い飽きたと言わんばかりの調子で。
「必要ないだろう?」
ですよね。
俺は、はいと答えて引き下がる以外できなかった。
さて、どんな靴を作ろうか。婚礼用と言うからには、白いヒールが定番だろう。ドレスの裾から見え隠れする度に視線を独り占めするような、派手な主張をする靴じゃいけない。純白のドレスの引き立て役でなくては。
ああでもない、こうでもないと考えながら床に就いたら、あっという間に夢の世界へ入っていた。
工房の扉を強めに叩く音で、目を覚ます。こんな朝早くに客ってことはないだろう。
いつものように、まだ薄暗い世界で寝ぼけ眼を擦りながら、上着を羽織って扉まで。向かう間にも、延々とノックは続けられる。
「はいはい。そんなに強く叩かなくたって聞こえてるよ、マリシャ」
扉を押し開きながら言えば、そこには予想通りの人物が立っていた。
「あんたがいつまで経っても郵便受けを作ってくれないからよ。どっか遠い市場から重い生地が届いた時なんか大変なんだから、早く郵便受け作ってよね」
赤茶色の髪を短く整えた女の子。ダークブラウンのベレー帽と揃いの色の制服は、郵便屋のしるしだ。肩も細くて小柄で、ちょっと何かあったらポキポキ折れてしまいそうな体なのに、朝早くから街中を走り回って重い荷物を配達してるんだから、恐れ入る。
俺は肩をすくめて答える。
「まあ、そのうちね。今日の一面は何?」
毎日マリシャに届けてもらう国内新聞。その配達を目覚まし代わりにして、マリシャと一面記事について少し話をするところまでが日課だ。
マリシャは俺に新聞を一部手渡しながら、身を乗り出してきた。
「そう、それ! あんたどんな魔法使ったの? 国のお偉方の弱みでも握ってるんじゃないわよね? 何であんたが国王様の依頼を受けて靴を作ることになんのよ? 万年赤字経営のくせに」
渡された新聞のトップ記事に踊る、「コンテスト開催!」の文字。やっぱり昨日の制服の一団の話は夢じゃなかった。
「うるさいよ。昨日突然依頼が舞い込んだんだよ。俺だってびっくりしてる。っていうか、この情報どこから漏れたの?」
「別に機密事項じゃないんでしょ。コンテスト開催するんだから、一般大衆に見せるのが目的に決まってるじゃない。ちゃんと国から公表があったのよ」
ああ、なるほどね。コンテストなんて言うけど、具体的にどういう人たちがどういう点を見て、優劣をつけるんだろう。
一面記事に目を落とす。大きな文字で「姫様のヒールコンテスト開催」と書かれている。
俺は昨日の制服さんの言葉を脳内で再生しながら、はっと思い出す。きちんと記事に焦点を合わせて、俺は気にかかっていた内容を探した。
「待って。俺ともうひとつ、依頼が来た工房があるだろ?」
必死で指でなぞりながら記事を追う。俺がその単語を見つけると同時に、マリシャが肩をすくめる。
「あっきれた。対抗馬も知らないの? 我が国一番の靴職人、天下のレドリク工房よ!」
記事に踊る文字、それから耳に飛び込んでくるマリシャの声で、脳裏にさわやかな笑顔が浮かぶ。
俺は新聞記事にぐりぐりと頭を押しつけながら、言葉にならない呻き声を出す。
レドリク。俺の対戦相手はレドリクなのか。
国一番の靴職人。毎日朝から晩までひっきりなしに依頼が舞い込むという噂。その理由は何と言っても、客の満足度だろう。客の要望に合った靴を提供する天才職人だ。望んだ通りのものが作ってもらえるんだから、そりゃ客はことあるごとにレドリクに依頼する。
技術力に付随する集客力もさることながら、工房の経営だって素晴らしい手腕で黒字続きだそうだ。毎年のように売り上げも利益も伸ばし続け、もう靴を作らなくても生きていけるんじゃないかって程の大金持ちだって噂はよく耳にする。
俺は後頭部を掻いて、ひとつ溜息を吐いた。
「決まったものは仕方ない。全力を尽くして、勝つだけだ」
報奨金も、コンテスト勝者の名声も、俺が手に入れてやる。相手が誰であろうと、それしか俺に未来はない。
俺の確固たる意思表明を聞いたマリシャは、呆れたように聞いてくる。
「そんなこと言って、あんな大きな有名工房よ? あんたを勝たせないように裏から手回されたりしないわけ?」
「レドリクとは同じ師匠の下で勉強した、いわば同期だよ。そんな卑怯なことするような奴じゃない」
「あんたの人を見る目は当てにならないわよ。いつぞやあんたが信用して靴を作った客が、支払いは後日持ってくるからって消えちゃって、一ヶ月後にどっかで無銭飲食で捕まってたの、私は覚えてるからね」
「あの人とレドリクを一緒にしないでよ」
同期なんて言うものの、最近会ってないな。同じ工房で腕を競い合った日が懐かしい。
ぼんやりと懐かしい昔なじみの顔を思い浮かべていたら、マリシャが俺の手元の新聞をのぞきこむようにして尋ねてくる。
「それにしても、作るのはあのヒメルダ様の靴なんですって?」
「ヒメルダ様?」
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