日々の何か

一日一つ何か文章を書いていたことがある。
基本は小説を。日によっては詩のようなものだったり、とにかく何か文。
特に上達を狙ったわけではなかったし、実際そんな意識なもので上達もしなかったけど。強いて言うならばとにかく何も思いつかずとも、気が乗らずとも何とか体裁だけそれらしい形に仕上げるというその場しのぎの逃げの姿勢だけが培われた気がします。まあ生きていく上ではそういう力も重要かもしれない。

もうあんなことわざわざしたいとも思わないんですけど、毎日短い日記程度には何かを書いてみようかと久しぶりに思ったり。
本当に見たものをこんな景色だったとか、こんなことがあったとか文章として完成する必要もない何かを。

何故なら、あまりに日々を漫然に過ごしている
と、最近感じているから。

日常に何もなさ過ぎる。
私の日常にあるものといえば、違法駐車を禁止する看板と違法駐輪の自転車が交互に並ぶカスのミルフィーユぐらいですよ。
毎日を振り返ってこんなものぐらいしか思い出せないというのは問題じゃないか?しかし、本当に日常に何もないのではなく、きっと私がただ何も見ずに生活しているだけなんだと思う。
もっと視野を広げ日々の情景に目を向けていきたい。日々いろんなものに感動したい。あとリリシストになりたい。

そのために強制的に周りを見ていなければ立ち行かなくなる状況に自らを置こうということになりました。

一日目

窓の先に見える柵。色あせてほとんど白っぽくなった水色と、その合間にまばらにある塗装のはげたさび色。その向こう側には赤い屋根
風を通すために窓を開け放つ、暑すぎず寒すぎない晴れの日にしか見えないコントラスト

二日目

なんだか無性にソース焼きそばが食べたくなり、スーパーへ行った。
作ってもよかったが、総菜コーナーにあれば今すぐに食べられる。そう思って総菜コーナーへと直行すると、目当ての物の前に親子。

どうやら少年も私と同じものが欲しいらしい。
しかし家にはすでにご飯があるようで、彼らはおかずを買いに来たようだ。父親が「焼きそばはおかずにならない」「炭水化物と炭水化物になってしまう」と少年を必死に説得している。
彼らが焼きそばを買わないことは明白であったが、とはいえ欲しがる子供の脇からかっさらうような真似はさすがの私にも憚られたので、仕方なく他のコンビニへと向かった。
ところが、そこにはソース焼きそばは売られていない。

仕方がない。作るしかないか。
そう思い再びスーパーへと引き返した。
大して時間もたっていなかったが、もしかしたらと期待し総菜コーナーを覗くと、親子の姿はすでになくなっていた。
どうやら決着はついたようだ。

そこには最後の一つの焼きそばが残っていた。

三日目

坂道にある駐車場のシャッター
斜面に合わせてきっちり締まるように坂道の傾斜に合わせて下が斜めになっているのが、開いている状態だとちょっとギロチンの刃みたいに見えてなんだか良かった。

四日目

道端に花が落ちていた。
踏まれて崩れてたのでなんの花かはわからなかったけれど、崩れた断面を見たら花びらがびっしり詰まってて一瞬果物のようにも見えた。
なんというか、花びらがぎゅうぎゅうに詰まったものが割れたように崩れて転がっている様を見て、ジューシーだな。と。
みずみずしく思わず喉が渇いてくるようだった。
あれはなんの花だったのだろう。

五日目

私とドライヤー
遡ること昨日の晩、突然ドライヤーが止まった。
原因はわからなかったので諦めて自然乾燥に切り替え、気味が悪いのでコンセントを抜いて眠ることにした。なにせドライヤーというのは風を送る機械であり、そういうものは大概回る。回る機械というのは止まると大概火を噴くものだと私は思っているからだ。
さて、実際のところ原因はモーター部分ではなく断線によるもので、まあ試しにつけてみたタイミングで火花が散ったので気づくことができた。幸い家事にならずに済んだが、危ないところだった。
恐ろしくなったので寝る前に部屋中のコンセントを可能な限り抜いておく。

そういえば、自分が子供の頃人とは必ず一生のうちに一度は家事にあって家が燃えるものだと思っていたことを思いだした。
幼少期の私はいつか来る家事の日を思って大切なものを一つの鞄に詰めて持ち歩いていたし、何かあったときもそれだけは守れるように枕元に置いていた。防災用品ではないが、考え方としては防災バックと同じである。
しかしこの歳になると大切なものを鞄に詰めて一つにまとめておくというのはもはや不可能である。今の私は失うときは失うと開き直って生きている。
おおらかになったのかもしれないが、そこまで心血注ぐ宝物が今はもうないと考えると、なんだか寂しい人間になったものだ。

六日目

朝昼の日差しは強いけれど、日差しの弱まった午後の気温暑すぎずちょうどいい。真っ赤な夕焼けもいいけれど、あまり派手過ぎない多少紫がかるも青の強い空の色も好き。

梅雨の少し前の夕方の風は心地いい。

七日目

晴れの昼の商店街ってなんかいい。
朝一番で髪を切って、お昼を買って帰る。
明るくて、青空の下に生活している人が行き来している。
チェーンのお店もあるけど、個人のお店もある。
行きつけの美容院から初めてじゃないけど日常でもない商店街で、行ったことのないパン屋で総菜パンを買う。
一番充実した時間かも。

八日目

風がない。
湿度も高い。
汗が乾かずじっとりする。
気温はさほど高くなくとも熱さの不愉快さが欲張りフルコース。
今でこれなら、このまま夏になったら怒りのあまり獣になってしまうかもしれない。

九日目

ゴミを出しに行くと、ゴミ置き場に枝の詰まった袋がいくつか置かれていた。きっと街路樹を選定したものだろう。
今日だけではなく、先週も同じように置かれていたそれを思い出し
嗚呼、換毛期だな。と思った。

十日目

飛行機が大きくはっきり見えた。
思ったより低い位置を飛んでいるものだ。
そうして海で空を見上げた時のことを思いだした。
街中の空は建物も多くて奥行きが感じやすいが、海で見た空は全く奥行きがわからず遠近感が感じられないので、近くに小さい何かが飛んでいると思ったものがすごく遠くの飛行機だった。飛行機がコメ粒ほどに見えるほどの遠くがすぐ目の前がのように見える。

遮るもののないと言うとすごく広い空を想像するが、寧ろすべてがすぐそこにあるかのように感じられて、その状態の空は意外に小さく見えるのかもしれない。

十一日目

暑い季節がやってきた。
日は入るが風の抜けづらいサウナのような部屋で過ごすことを余儀なくされているので、生きているだけで汗だくである。

ここ数年背中が荒れて収まらない。数日収まったと思ったらぶり返すようなことを繰り返し続けている。冬は乾燥、夏は汗、と一年を通して全く治まる気配がない。嫌な枕草子か?
背中だけでなく喉の中心あたりもずっとかぶれているような気がする、こちらは冬は治まっている気配を見せるが、赤黒く変色した箇所の色がいつまでも治らない。そうして滝のように汗をかくと思いだしたかのようにかゆみを主張をし始めたりする。

このようにずっと治らないと思っているものがいくつかある。手首の赤く点となった傷のようなものだったり、左手の水かきのところにある肌荒れのぽつぽつの群れが去った後に取り残されてしまったような一匹だったり。しかし私は時間経過の感覚が死滅しているので、少なくとも一年二年はずっとあると思っているものが果たして本当にそうなのか、自分の中で大袈裟になっているのではないかと判断がつかずにいる。
なので、毎日文章を書くのにかこつけて記録をしておこうと思う。少なくとも今日この日には上記のすべてが治らずにずっと鎮座していることを。
数年後思い出したときの為に。

嫌なタイムカプセルか?

十二日目

今日は何もなかったな。
何もなかったってことはないはずだけど、空はどんより、気温はあつくて、湿気もあって、いいな~と感じることはなかった。
湿度って嫌かも。汗が嫌いなので。
湿度が高いと、一度かいた汗がいつまでも図々しくまとわりついてくる。
憂鬱だ。

十三日目

髪がなびく程度のものだがアニメーションをかいてみようと思って描いてみた。1フレーム1フレーム本当にこれでいいのか?よくわからんと思っているけど、通して流すと思ったよりちゃんと動いている。
人生と一緒だ。

十四日目

いつも通る道でなんとなく空を見上げたらマンションの屋上の柵が一部倒れているのか歪んでいるようにみえた。危ないななんて思いつつ。
そういえばマンションの屋上って大概入れないなと思いだした。詳しくはないが、親戚、友人宅など私の知る家は大概そうだった。屋上で騒がれると近隣クレームになりそうだし、落ちたら危ないし、落下対策とかまで考えたらそこまで管理しきれないものな。

きっとあのマンションも屋上は立ち入り禁止なのだろう。そうするとあの柵も修繕は後回しになってしまうのだろうか。そもそもいつからああなっているのだろう。
もしかしたらずっと前からあのままなのかもしれない。
だとしたらこんなことにずっと気づかずに歩いていたんだな。

十五日目

帰り道
向かい風に吹かれて飛んできた葉っぱが肩に当たった。
ああ、今初夏とすれ違ったなと、肩をぶつけて去っていったのを振り返り思う。
もう夏か

十六日目

寒い。
昨日まで六月ながらに真夏のように暑かったのに。
暑いより寒い方が好きなのだが、それにしたって季節外れに寒暖差をぶつけられれば腹の一つもたつというもの。
いや私は怒りの人間なので、そうでなくとも日々怒って過ごしているが。

十七日目

久しぶりに実家の周りを歩くと驚くことがある。
夜間のみ押しボタン式だった信号が、24時間完全押しボタン式になっていたことに気づかずぼーっと信号の前で突っ立っていた。

十八日目

親族に久しぶりに会ってみると、自分と承認欲求の間には確かにDNAの存在があることに気づく。

十九日目

日常的に同僚や友達と、最近これが多いからもうこの時期の季語にした方がいい等と好き勝手なことを言って暮らしている

今日の創作季語は【冷やし二の腕】
夏場冷たい風に当たってひんやりした二の腕を表す趣深い言葉

例)濡れた袖冷やし二の腕露光る

二十日目

あの遠い 宙の向こうで燃え盛る 星の欠片がこの肌を焼く

最近は日差しが強くて暑いですね。

二十一日目

そらもちろん金のために神明奉仕してるわけじゃあないけど、お供えをするには野菜や果物が必要で、祭祀をするには人や道具が必要で、それらを用意、維持するには金が必要だから、金を稼がにゃ神明奉仕はできんのだろうなと考える今日この頃

二十二日目

三月分からサボっていたアルバム作成をまとめてやった。
写真を切り取ったりシールを貼ったり工作は楽しい。

去年から出かけるときはなるべく人の写真も撮るようにしていたが、ここ数か月はちゃんと撮影できていなかったな。
というわけで、なるべく誰と何をしたか、どこに行ったか、そういうのをわかるように記録するよう心がけよう。

二十三日目

雨だ。
ずっと自分は雨が好きじゃないのだと思っていたけど、外を出歩くときに降っているのが嫌なだけで、室内で雨音を聞くのは好きかもしれない。

二十四日目

なんか甘いもの食べようってその場でマップ検索して入った店が、なんといっていいかわからんが気難しそうというか...…
詳細(システム?)はWEBでと言われて見たところ、そんなに複雑なことは書いてなかったけれど、入ってみるとなかなか閉鎖的な雰囲気で、ふらっと入ったの場違いか?失敗したか?とずっと不安だった。
しかしいざ注文となると意外と普通な金額でちゃんと美味しくて安心した。

ぼったくり店とかも世の中少なくないので、飲食店って性悪説前提に見てしまいがちだけど、勇気をもって行き当たりばったりに行動すると意外といい出会いがあるものだ。

二十五日目

今日は朝から頭が痛かった。
昔から定型の頭痛がたまにあって、SNSなどを見て気圧のせいというやつかもしれない。と最近考えるようになった。
音に聞く酷い片頭痛の人に比べればこんな日もあるわよね。って程度に怠いだけで生活に支障はないので、この歳になるまで法則性を追求するに至らなかったが、もしかしてと思うものがあると気になってくる。
しかし頭痛の日に気圧などを調べても特に全然頭痛に関する注意情報は出ていなかったり、逆に全然問題なかった前日が要注意になっていたりとあまり気圧との因果関係は感じられない。

そういえば、気圧を疑う前は食事量が足らないからだとずっと思っていた。確かに一食抜いた日、遅れた日に症状が出ることが多いからだ。
しかし、そういう日も毎回なるわけではない。あと、普通に意識して食事量のバランスをとろうとしても、何をどれだけ食べようとその日一日は改善しない。
こちらも気圧と同じく、症状と原因が被る日もあれば被らない日もある。

そういえば、昨日の夕飯抜いたに等しい軽さだったな。とか、いろいろ思い出される。
かと思えばだんだんと雲行きも怪しくなり、空気は湿って気づけば外は雨。調べると今日は気圧にも注意情報が出ているではないか。

結局どっちなんだ。

おわり

キリがいいのでここで終わります。
いや皆さんから見たらどこがどうキリなのかわからない感じの記事になってしまったんですが、書いてるときにはここでキリがいいので。

いやでもこれをキリがいいとするのはやっぱり独自の感性かもしれない。

ということで、全く何か生活にも意識にも改革が起きた気がしない。
というか読み返した感じあまり日々に喜びを感じて生きていないな。もっといいことを探せ。やっぱり本当に何もない日々なのかもしれない。

ここで今更ながらに、じゃあ一口にリリシストになりたいと言っても自分がどういうものを書けるようになりたいのかということを突き詰めると、鍵は郷愁にあるのではと気づいた。
例えばこの中で言うと、子供の頃人は一生に一度絶対に家が燃えるものだと思っていた。というのが日々の出来事や情景からさっと思い出されたのはいい線なのかも。

今は何でもない日として過ごしているわけですが、これが過去になった瞬間にノスタルジーというものになって価値を帯び始めたりするのか?
じゃあこのカスみたいな文章も10年経ったら私にとっては価値ある文章に一つの素材になれるのかもしれない。でも今じゃない。し、私は終わったものは終わったなと思ってすぐ忘れてしまうような薄情無情緒人間なので、未来で「あの頃毎日通っていた道の~」みたいな情景を思い出せはしないんだろうなぁ。
じゃあ無理か。

ということでここで終わるけど、気が向いたらまたやります。

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