小学生はなぜ下校しながら走るのか

 机を窓向きにしてから数日。すこぶる調子がいい。机に向かっている時間はもちろん、机に向かっていない時間まで調子が良くなってしまった。これまで夕方の時間を執筆時間にあてていることが多かったけれど、午前から、最低限の分量をこなして、そこから午睡をはさんで、また夕方から書いたり、みたいなことすらできるようになっていて、びっくりしている。机の向き一つでここまで習慣というものは変わるものなのか、と。

 今の時期は本当にちょうど気温も落ち着いているので、窓を開けながら、机に向かっている。今もそう。
 それで家の下が緑道沿いになっていて、通学路にもなっていて、小学生の子たちが毎日登下校している。窓を閉めているとそこまで気づかないのだけれど、窓を開ける時間が長くなってから、より声が聞こえたり、動きが分かったりするようになった。

 そこで一つ発見があって、それが表題の件。「正」の字をつけて統計を取っているわけじゃないのだけれど、小学生は通学路を走る。大体、肌感で言うと半分の集団は走り去っている気がする。別に緑道がおばけロードなわけもなくて。なぜか分からないが、彼ら・彼女らは、何かを叫びながらタタタッッッと走り去る。しばらく理由を考える。

 ……が、わからない。なんとなくエネルギーが余ってるのかな、くらいしか思いつかない。なんかボケたくて、それも考えたけど、それすら思いつかない。なにも思いつかない。そんなことをしているうちに、今も2組の集団が緑道を走り去った。

 中学になると人は走らなくなる。中学生同士の帰り道、走っている子がいたら多少違和感だろう。高校生でもいない。大学生も。スーツ姿の社会人が一緒に走って帰っていたら……。なんかいいなとは思うけど、まず見たことがない。でも小学生は走る。これはなんなのか。

 とまあ、この話にはなんのオチもないのだけれど、でもこうして日々を生きていて、ふと疑問に思って、ちょっと考えてもわからないことは、そっと脳の中にストックとしてためておいて、なんだかどこかのタイミングで、頃合いを見計らって、ぽんとお話の中に出すと、なんだかいい味になることが多い。こういう個別のエピソードやシーンを僕は、(村上春樹にならって)マテリアルと呼んでいるけど、このマテリアルこそが自分のお話を書くとっかかり、きっかけ、味わいになってくれる気がする。

 ……と、鈴をつけたママチャリのおじいさん(たぶん)が緑道を通った。これもまたマテリアル。

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