一緒に試合に出れなかった友達の話

高校1年生の時、3年生が引退した後の時点で、自分が所属していた野球部は総勢40人以上の部員を抱えていた。練習試合は通常ダブルヘッダーで、一試合目が本気のメンバー、二試合目が控えのメンバーの実力を見るという感じで行われる。大体が一試合目はスターティングメンバー9人が交代せず出場するので、二試合目で残りの約30人の部員が出場機会を争う。
練習でいい評価を得られないと実践の機会すらもらえないのだ。

せめて何かのキッカケに繋がればと、監督の印象に残るため、試合に出れないメンバーも、バッターが打った後のバットを引く係、スコアを書く係、審判、ホームランボール拾いといった仕事を積極的に取り組んでいた。

でも自分は殆どやらなかった。こんなとこで頑張ったってどうせ監督は自分の名前も覚えてないのだ。練習で他の同級生が練習に参加してる中、先輩に苛められてなぜか球拾いとバッティングピッチャーしかさせてもらえない。監督の前でまともに野球をプレイすらさせてもらえてないのに、雑用一生懸命やって何になる。なんなら同級生にも割と苛められてたし。坊主を同クラスの女子に触ってもらえたこと以外何もいいことがない。本当にこんな部活入るんじゃなかった。かなりへそを曲げていた。

こうやって雑用をしない人間は、基本的にベンチで声を出す担当になる。「バッチコーイ」とか「おーい」とかワーワー言うだけだ。そして、椅子に座ることは禁じられているため、ずっと立ちっぱなしだ。他の雑用を何もしないなら仕方ない、自分はこの「立ちっぱなし声出し担当」としてベンチに居座った。そして、その横にはいつも、同様に他の雑用を一切せず、「立ちっぱなし声出し担当」を一緒にやり続けたT君がいた。

T君も私と同様、まともに練習すらさせてもらえなかった。彼は体格が良かったため、代打での出場が一度あったが、見逃し三球三振という積極性まるっきりなしの結果を残し、見事戦力外扱いを受けていた。ポジションが違うため、はじめはそこまで仲良くなかったが、共に「立ちっぱなし声出し担当」をこなす中で、仲を深めていった。

野球の試合は一試合大体2時間くらいだ。ベンチで碌に役目も与えられない者にとってこの2時間は死ぬほど長い。しかも、あからさまな私語は禁じられており、おおっぴらに雑談もできない。そこで、私は彼と、いかにこの時間を潰すかを考えて色々と試した。
例えば、声出しのパターンの増加。通常、声出しは前述した通り「バッチコーイ」とか「おーい」とかが王道だ。そこに我々が考えたのは「シェーイ」だ。いかに違和感無く「おーい」の中に「シェーイ」を入れるか。最初は小さな声でやって、だんだん大きな声で試す。うまく行くたびに声を潜めて二人で笑った。
他にはファールボール永遠に探すとか。探すふりして散歩に出かけて遊ぶのだ。どうせ名前すら覚えられてないのだから、いなくたって気付かれないだろう。そうやって二人で試合を抜け出し、どうでも良い会話を弾ませたりした。

そんな感じで仲良くなって、部活動以外でも遊ぶ機会は増えた。彼はHな方面の知識が豊富で、明らかに歪んだ性癖を抱えた人しか見ないであろうavとかを色々と教え込まれた。今性癖が歪んでいるのは彼の影響がでかい。一緒にカラオケ行くと、いつも、AKBの歌をうたっていた。

部活の愚痴もたくさん言い合った。

辞める時は一緒にやめよう。そんな約束も交わした。

当時の自分にとって最高の友達だった。

しかし、自分が2年生に上がるころ、状況が変わった。自分が春の公式大会で20人のベンチ入りメンバーに選ばれたのだ。愚痴を言いながらも努力したかいがあったなぁと、手渡された背番号20を何度も頬ずりしたものだ。

だが、その頃からT君との間になんとも言えない空気が流れ始めた。T君は相変わらず全然試合に出させてもらえていないし、たまに出てもヘマをして監督の評価が下がるのを繰り返していた。
なんだか彼を裏切ったような気持ちになりながら、自分は試合に出た。そして、ベンチに入れなかった人間の思いも背負えるよう、なお一層努力に励んだ。
そして、上の代が引退し、自分はレギュラーメンバーとして練習メニューを考えたり、周りを指導したりすることも増えた。
T君は新しく入ってきた下級生にも抜かれ、最上級生になっても試合になかなか出れていなかった。

そんな感じで関係性が少し変わってしまったが、T君は自分にとってすごく大切な友人であることに変わりなかった。avの話、彼の好きなAKBの話、将来の話、そういう話は1年生の頃と変わらず沢山した。ただ、同じ野球部であるにも関わらず、部活のことを話すことは減ってしまった。なんだか上手に話せなくなってしまったのだ。

そして、T君は次の年の2月に野球部を辞めた。
彼も色々と苦しかったと思う。辞めたこと自体を責めたいと思ったことはない。

ただ、一言も自分に相談が無かったことが悔しかった。自分は、相談に値する友人ですらあり続けることができなかったのか。

一緒に辞めようって約束したのに。

自分は、彼と最後の大会で一緒に辞めたかった。

彼に何かできたことはなかったのかと、今でも思う。

結局あの日以来、T君とは話せていない。
T君は相変わらずニッチなジャンルのavを見て、大島優子を愛し、夢だった先生になっているのだろうか。

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