なぜ文章なんか書くのだ

タイトルは自分宛であります。
本日は休日で

・コーマックマッカーシー「ブラッドメリディアン」読
・YouTubeで「佐久間宣行のNOBROCK TV」「イスラエルパレスチナ戦争関連」視聴

などした。

休日は「今日こそは何か生産的なこと(大きなこと)をしなくては」
という焦燥に駆られ、
それでいて大きなことなんてできた試しはない。
午前の早い時間帯は「まだ何とかなりそうな気」がするのだが
昼が希望と絶望を分かつのである。
午後とはきっと絶望の別名なのだ。

そして…
今22時。
こうして文章なんか書いて生産的な一日を捏造しようとしている始末だ。
履歴書を立派にしようとするみたいに…。

そもそも。
なぜ生産的なことをしなくてはいけないのだろうか。

きっと「今が充実してないから」なのだと思う。
今充実していない分、頑張って生産的なことをすることで
素敵な未来に出会えると思っているのだ。
ゆえに、非生産的であることは未来に対する裏切りだと思っているのだ。

そして一方、こうも思うのだ。

「今を犠牲にして頑張ってるうち未来を通り過ぎてしまったらどうする?」
「未来が、今を犠牲にし続ける最新版に過ぎなかったらどうする?」

とか。
これはシリアスなので、そういう声が聞こえてくるときはこう思うことにしている

「お前誰だよ!?」
「お前は天使なのか悪魔なのかどっちだよ!?」
「っていうか、安全圏からプレーヤーに物申してんじゃねーよ!!!」

未来なんて仮想のものでよいのだ。
「今頑張っていればよい未来が待ってる気がする」と思うことで
逆算して今がちょっと充実してきたりするのだ。
それでいいのだと思っている。

そして。
プラシーボ充実を時短で生成できるのが、作文なのである。
ほらね。
俺はもう、充実している。

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