見出し画像

「やりたいこと」と「本気でやりたいこと」

3/24~29にかけて開催されたMAKERS UNIVERSITY U-18 THINK BIG CAMPに参加してきた。
このキャンプは「全国から集結した “やばい” 30人の同世代と、15人もの “やばい” 起業家たちが、まだ見ぬ理想の未来を “共に” 創る、5泊6日のスペシャルプログラム」。

僕はこのプログラムにある種の「祈り」を込めて応募していた。
僕が高校1年生の頃から薄々感じていた「何か」を晴らすきっかけにどうかなって欲しい、という。

はじめに

「何か」は気づいたときにはいつの間にか僕の背中に覆い被さり、常に重さを与えてきていた。
「何か」はそれが「何か」分からないが故に取り除こうにも取り除けなかった。
そんな「何か」の重さに耐えられなくなり泥沼に落ちたことはこのnoteで書いた。

結論から言うと、その「祈り」は届いた。

いま僕は僕の背中から「何か」が徐々に剥がれていく感覚を覚えている。
いま僕は剥がれていく「何か」が初めて僕の目の前に現れ、その正体と向き合える可能性を感じている。

このnoteは剥がれゆく「何か」の正体についての現時点での一考譚と、今を生きる僕と将来を生きる僕とで交わすこれからの僕についての覚書である。

「何か」とは何であったか

その「何か」が僕に覆い被さり始めたのは、確か高校に入学した頃だったと思う。それは後から考えるとそう思うのであり、当時はまだ気づいてもいなかったと思う。それくらいまだ軽いものだった。

なぜその時期だったのか。
中学3年生の終わり、僕は軽い燃え尽き症候群に陥っていた。
とにかく充実していた中学3年生だった。課外活動ではアースデイ東京やその他イベントでの学び。テニス部での活動。文化祭ではJugglers,それからステージ、HR演劇での最優秀俳優賞獲得。ロードレースでは学内1位。
経験ないほどの忙しさとその忙しさ以上にそれを楽しむことのできる自分がいた。とにかく自分の好きなことをやって生きていた。

しかし、それは崩れることになる。一言でいえば自分の価値を見失い始めた。ちょうどその頃、今までの人生のなかで一番の人間関係の拗れ、将来を見据えるという視点が現れたことによる焦燥感、一通りやりたいことを実現したあとに残る生きる動機の喪失など不安定になるには十分な材料が揃い始めていた。

僕はそれから逃げるように自分の価値を感じられる場へと自分の身を誘うようになった。「やりたい」より「できる」を優先し、自分の価値を確かめられる機会を持つようになった。

しかし、そこで評価されるのは「やりたいこと」を実現した自分ではなく、評価されるがために動く「できること」を淡々とこなした自分であった。評価されようとする度に、そのズレによってむしろ自分の首が絞められていくのを感じていた。

かといって自分が評価される生暖かい環境から抜け出せるほどの強さも持っていなかった。それに「できること」をやっていたとはいえ、「やりたいこと」と「できること」の交わることをやっていたことのほうが多かった。そして自分は「やりたいこと」をやっているんだと言い聞かせ納得していた。

そのループに陥った僕は、表では「やりたいこと」をやり、周りから求められる自分の価値を発揮し、実績をあげ、評価され、一見充実してそうに見える。そして内面でも自分は「やりたいこと」をやっているから大丈夫だ、と信じ込み、自分は評価されているから大丈夫だと、安心し、しかしその度に背中に覆い被さる「何か」の重みが増していく状態であった。

そして前述の通り、この重みが増していく「何か」からの解放を祈り、応募したのがTHINK BIG CAMPだった。

5日目。キャンプのなかで最も注目され、最も熱いプログラムの日。
メルカリ社長の山田進太郎さんや、ベンチャーキャピタリストの佐俣アンリさんなど日本を代表する起業家と、高校生が1対1でぶつかり合うプログラム。
ここで遂に僕の「何か」が暴かれた。

「そこそこできて、そこそこ評価されて、そこそこ期待されちゃうとその枠に収まって、自分の本当にやりたいことができないよ。」

「早く小さくまとまる器用貧乏になるな」

こんな言葉が飛んできた。

まさにこれであった。

僕の17年間の人生を捉えるならほとんどこの言葉で片付いてしまうだろう。

自分が幸せだと感じられるくらいには、それなりに能力があり、それなりに分かりやすい実績もつくってきたし、それなりに評価してくれる人も周りにいた。そしてそんなそれなりの状態に納得できる価値を見出せるくらいにはそれなりに頭が良かった。
自分の置かれた場で、何が求められているか察する能力はそれなりにあったし、求められるそれに自分がなるくらいにはそれなりに器用だった。

結局は、周りの環境が第一にあり、その環境のなかでいかに自分が納得できるかということを考えてきた。

THINK BIG CAMPでは一貫して「それ本気でやりたい?」という問いを投げかけ続けられた。
そしてハッと気づいた。僕はいつも「それやりたい?」という問いしか自分に投げかけてこなかったと。

これが「何か」の正体の種明かしである。(と今は思っている)

中学3年生までは本能で感じた「本当にやりたいこと」に手を出し、いくら忙しくなろうともそれを実現しようと努力できる自分でいた。
しかしそれ以降、分かりやすい価値を追い求め、「やりたいこと」と「できること」の重なる部分をこなし、やった気分になる受け身の自分に変化してしまった。

「何か」とは「本気でやりたいこと」から目を背け続け、早く小さくまとまろうとする自分への「抵抗」だったのである。

僕は残念ながら、それなりの人生に満足できない人間だった。ここでハッキリと証明された。
それなりの人生を歩もうとすると、抵抗がどんどんと強くなり、生きるのが辛くなるのだ。

これからの僕についての覚書

ついに「何か」の正体が暴かれたいま、これからの僕がやるべきことは明確である。

「本気でやりたいこと」をやる。

しかし、本気でやりたいことをやることは難しい。

まず本気かどうかの判断が難しい。
ただこれは考えていてもしょうがない。とにかく手を動かし、やってみて「これだ!」と思うものを見つけるしかない。動きまくろう。

次に「本気でやりたいこと」をこの世の中でやり続けることが難しい。
恐らく「本気でやりたいこと」はお金にならないことが多い。「本気でやりたいこと」をやることをよしとしない勢力がいる可能性が高い。佐俣アンリさんの言葉を借りれば、「大学・企業は自分の本当にやりたいことを簡単に忘れるくらいには面白くて忙しいタネが落ちている」

人間が「本気でやりたいこと」を忘れたり、それから目を背けたりするには簡単な環境が僕らの周りには整っている。

しかし、僕はこの2年間で学んでいる。僕が「本気でやりたいこと」から目を背けると「何か」が重く覆い被さることを。

これからの僕は中学3年生を簡単に超えるくらい「本気でやりたいこと」に向き合う。
そして「何か」からの完全解放を目指す。

今回のMAKERS UNIVERSITY U-18 THINK BIG CAMPでは、一緒に「本気でやりたいこと」に向き合う熱い仲間との出会いを手に入れた。
僕らは前半3日間のアジェンダワークで1人ではできないことも力を合わせればできることを知った。
そして後半3日間で「本気でやりたいこと」に向き合うことの尊さを学んだ。

2051年3月29日。
みんながみんな、それぞれの「本気でやりたいこと」に向き合っている状態で会いましょう。

P.S. 特にお世話になったみんなへ

>せい
一番話してくれてありがとう。せいの抱える悔しさが最初理解できなかったけど、今は分かった気がします。その悔しさ、忘れずに生きましょう。

>みれい
やべぇ人と出会った。MAKERSで一番の衝撃的で貴重な出会いでした。本当にありがとう。これからもその姿を見せてください。

>まの
自分と向き合っている姿がとてもかっこよかった。常に上へ上へともがくその姿勢をぜひこれからも。

>りっく
りっくの「ワクワクで生きる」姿への見方が変わった。本当にかっこいい。絶対超えてみせる。

>はやと
自分への圧倒的な自信と、それに対抗しようとする自己検閲の狭間ではやとの強みが発揮されると思います。またコーヒー飲みながら話しましょ。

>こうへいくん
自分が変わってしまうことへの恐れを誰よりも感じていたのではないかと思います。その恐れが現実にならないようにもいっぱい喋ろう。

>はな
その真面目さが時に障碍になることを今回のキャンプで学んだのかなと思います。良い子ちゃんじゃない良い子になる。見えないものを見える人間になる。実現しようね。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?