映画 RICHLAND
今年の終戦の日は
映画「リッチランド」を見て過ごした。
アメリカ、マンハッタン計画における
核燃料生産の拠点ハンフォードサイト。
この場所は福島浜通り地域の「福島イノベーションコースト構想」のモデルにもなっている。
ハンフォードサイトの核施設の従事者と家族のために作られた街がリッチランドであり、
高校の校章が、悪名高いキノコ雲だ。
(しかも可愛い。本当に嫌だ。意味を知らなければ着てしまう自信がある)
この映画は、住民へのインタビューをもとに
構成されている。
長崎で被爆した母を持つ私と、
原爆を作った人の暮らす街の人々。
私と、その業績を誇りに
インタビューに答える人々の思いは
完全に分断されていて、交錯することがない。
いい仕事だった。懸命に働き,その仕事で子供を大学にやることができた。戦争を早く終わらせたことを誇りに思っている。
奇妙に画一的な価値観を語る人々を、私たちはどこででもみることができる。
戦時中の私たち日本人も、平板な言説を信じていただろう。だからこそ、彼らもまた、自分自身でありうる可能性を、考えざるを得ない。
汚染されたハンフォードサイトにはもともと6つのネイティブ・アメリカンの部族が住んでいた。
彼らの聖なる土地、信仰の対象であり、生きる術を与えた大地は汚染され、尊厳は失われた。
同時にこの土地に暮らす人々の
異常に高い新生児の死亡率や、
子供達を大学に行かせるため、
進んで危険な仕事に従事した父が被爆で
若くして亡くなったことに涙する女性が登場する。
唯一日本側の意見として取り上げられた、被爆3世のアーティスト川野ゆきよさんの言葉が印象に残った。
「最初は長崎の鐘の音を、この土地を所有していたネイティブ・アメリカンの人々に捧げようと思ったんです。でも思い直しました。彼らについてはまだ"和解"の段階には至らない。認識さえも乏しいんですから。だからプロセス自体始められない」
「それにこの部屋に有色人は私しかいないですよね。それがかなり居心地悪くて感じられます」
問題はどこにも悪人がいないことだ。
それをいつもとても残念に思う。
でも小さくても、人がなにをどのように考え、
そこで生きているのか
を知ることからすべては始まるだろう。
大切な人を失っていく悲しみを丁寧に掬い上げることで、私たちはより大きなものにつながっていくことができる。いのちはいつも、未来から過去に流れている。