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ウーのこっそりおやつ「熱血じーさん」

私は他に類を見ないほどの前向きな性格である。
まず落ち込むということがない。
ないわけではないが、寝たら忘れるので結局落ち込んでいない。

自覚したのは中学の頃だった。
彼女にふられた私はそれまでにないくらい落ち込んでいた。
悲しみのまま寝た。
そして朝起きた私は、
「よし!次の恋を探そう!」
と本気で考えていた。
普通もっと落ち込むものなのだろう。
異常である。
他の人とはちょっと違っちゃってると自分でそう感じた。
だが、この異常な前向きな性格を私は結構気に入っている。
私がそうなった理由は私の周りにいた人たちにある。
その中に、私のじーさんがいた。

私のじーさんは昔から声がでかかった。
そして耳も遠かった。
だから、でかい声はさらにでかくなった。
そして熱かった。
怒りやすいという意味でもあるが、ハートが熱かった。
小さなことなど気にせず、人を励まし、背中を押し、悩みなんぞでかい声で笑い飛ばしてしまうような男だった。
何とも豪快なじーさんだった。

私は子どもの頃、本当によく失敗する子どもだった。
人が話していることもよく理解できていなかったし、周りも見ていなかった。目の前にあることをとりあえず頑張って、そして失敗するという、ちびまる子ちゃんに出てくるアホの山田みたいな子どもだった。
だから、よく怒られたし、失敗して人の足も引っ張ったし、みんなを傷付けもしたと思う。

でも、じーさんは私の失敗を聞いても、
「何だ!そんなことか!!!っはっは!!!」
とそのでかい声で笑い飛ばし、背中をぶっ叩いて励ました。
小さかった私はその凄まじい勢いにたじたじするしかなかった。
だから少し苦手でもあった。

でも、気持ちは救われていた。認めてくれる人がいるということは幸せなことだと感じていた。
そして、じーさんは私のことをとても可愛がってくれた。
不器用な優しさで、私だけでなく、ウーママとウーのことも、私のように可愛がってくれた。
だから、じーさんのことは好きだった。

今になるとよくわかる。
その失敗の多さが、そして、その失敗をでかい声で笑い飛ばして背中をぶっ叩いてくれたじーさんが、今のとんでもなく前向きな私にしてくれたのだろう。
私が世話になり、恩人だと思っている、そんな一人だった。

そんなじーさんが先日亡くなった。

葬式にはたくさんの人たちが来た。
お別れの時、みんな感謝の言葉を口にしていた。
たくさんのありがとうが聞こえてきた。
そして、みんな涙を流していた。
優しさ、悲しみ、感謝、そんないろいろな形のたくさんの涙だった。

私も
膝をついて、顔を覆って、涙を流して…

ということはなかった。

悲しくもあり、寂しくもあった。

けれど、私は落ち込むことはなかった。

なぜなら

私は、あの凄まじくでかい声の熱いハートのじーさんの孫だからだ。
その熱いハートを受け継いでいるからだ。
私とじーさんは涙なんて流しあう仲じゃない。
そうでしょ、じーさん。

だから、私はありがとうと心を込めて 胸を張って見送った。

じーさんが、雲の上かどこからかは知らないが、
「あれは俺の孫なんだよぉぉぉ!!!っはっは!」
と胸を張って言ってくれるのが聞こえてくるような、そんな男にならなければ。
ウーママやウーやたくさんの人たちを、ぶっ叩きはしないが背中を押して笑顔にしてあげられるような、そんな男になれるように、もうちょっと頑張ってみるよ。

サンキューじーさん。
生まれ変わっても、また俺のじーさんやってね。

(6/25にInstagramに掲載したものです)


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