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さかさまになったUTOPIAの意味するところは?

僕たちがいるのはユートピアではないが、それを実現できる可能性についても伝えたかった。言葉で語るのではなく、それを見ることができる。そして、その心地いい手ごたえを感じることもできる。
(デイヴィッド・バーン)

AMERICAN UTOPIA(アメリカン・ユートピア)は、デイヴィッド・バーンのブロードウェイショーをカメラに収めたライブ映画だ。
監督がスパイク・リー。この2人の組合せなら観ない訳にはいかない。

上映終了日の今日、妻と一緒に観てきた。観終わって思った。これを劇場で見逃していたら、人生の大きな損失だったなと。
D・バーンに思い入れがあるから感動したと思ったが、D・バーンをよく知らない妻も同じくらい感動していた。
この映画には純粋に人の気持ちを動かす力があると感じた。

しかし、この映画の音楽とパフォーマンスについてはプロの批評を見てほしい。私が今日ここで書きたいのは「メッセージ」についてだ。

ポスターを見るとUTOPIAという文字が天地さかさまになっている。
その意味は、冒頭に引用したD・バーンの言葉の中に語られている。
要は、現状に問題があるとしても、それを変える可能性は残っているので、あきらめず行動を続けようというものだ。

具体的にはちゃんと選挙に行こうよ、と。
D・バーンは映画の中で、投票率を上げる運動をずっと続けているのだ、と語っている。

映画全体を通じて、多くのメッセージ(主張)が語られる。どれも過激なものではないが、共感できない人もいるだろう。政治的メッセージは映画ビジネス的にはリスクだが、最近のアメリカの状況を考えると、言わずにはいられないのだろう。

音楽とダンスで感情を揺さぶり、そこに強いメッセージを組み込むことには批判があるかもしれない。
冒頭の引用にも、「言葉で語るのではなく、それを見ることができる。そして、その心地いい手ごたえを感じることもできる」とある。パフォーマンスの力でメッセージが受け入れられやすくなることに自覚的なのだ。
しかし、この映画にはしっかりとしたメッセージがあるからこそ、感動がより深くなったと考えている。

日本では、政治とエンターテインメント、政治とスポーツは別物と考えることが一般的だが、東京五輪や大坂なおみの件を見ても、これからは分けて考えるのは難しいのではないかと思う。



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