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小林信彦著「日本の喜劇人」が今年新たに加筆改稿されて出版されたことは大変貴重でありよろばしいことだ。

小林信彦さんのライフワークとも言える「決定版・日本の喜劇人」が刊行された。

本書は1972年に晶文社から刊行され、「芸と芸人を描いて初めて批評の域にまで達した」と評されて現代の古典となった。その後も、晶文社版定本、新潮文庫版、新潮社版定本と、50年にわたって改版されてきた。
内容は、戦前のロッパ、エノケンから森繁、渥美、植木、伊東四朗らを経て志村けん、大泉洋に至る喜劇人の系譜を明らかにしている(以上、新潮社のサイトより抜粋)。

私は新潮文庫版を持っている。冒頭にこんなことが書かれている。

「喜劇的な空間とか映像だけでは物足りずに、それらを作り出している人々――つまり喜劇人たちの素顔を見たい、いや、できれば彼らの生理のようなものをじかに掴んでみたい、という欲望にとりつかれてしまった」

この本は、喜劇の歴史を資料に基づいてまとめた通史ではない。小林さんが自ら取材をして、舞台や映画で観た当時の記憶と体験を元に、独自の視点で綴った芸人のリアルな記録だ。まだ評価が定まらず大物化していない時点での評論でもある。何度も改版されたのは次々に登場する喜劇人たちを追い続けたからだ。

私は小林信彦さんの他の著作にも相当影響を受けている。喜劇や映画評論はもちろん、小説もずいぶん読んだ。初期の「怪人オヨヨ大統領」の頃からのファンだ。筒井康隆さんと並んで、パロディ小説を日本に根付かせた作家の一人だろう。
中でもW・C・フラナガンと称する米国人作家の著作を小林さんが翻訳する体で作られたシリーズがお気に入りだった。「素晴らしい日本野球」はフラナガン氏が日本の野球をアメリカ人的な思い込みで評するパロディだが、あまりに手が込んでいたので、当時の野球評論家が本気にして、見当はずれの批判をしてきたほどだ。これこそパロディだ。

今やお笑いは社会的・文化的な価値を認められる時代になった。「日本の喜劇人」は、お笑いを記録すべき文化として認めた、日本で最初の書物と言っていい。
しかし、お笑いを記録することに最初はずいぶん迷いもあった、と小林さんはどこかに書かれていた。人生を賭けたライフワークは迷いと葛藤の連続なのだと思う。だからこそ50年間続けられたことが尊い。

小林信彦さんは今年88歳なので、これが最後の改訂になるかもしれない。
できればどなたかがこの本の改訂を引き継いでくれたらいいなと思う。
サグラダファミリアのように。



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