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私はまだ猿なのかもしれない

4月の最終日を迎えた。
入院による治療のおよそ半分が終わった。
これがただの休暇だったら、もう半分かと寂しくなるのだが、
治療となると話は違う。まだ半分だ。

入院以来、日記替わりにnoteを書き続けた。
始めてのことなので、おっかなびっくりというところだが、書くことの面白さを改めて認識できた。
治療の辛い部分を文章にすることで、ポジティブな体験として記録出来るようになった。これが自分のメンタルを支えているのは間違いない。

私は昭和31年生まれ(65歳)なのでクリエイター名を丙申(ひのえさる)とした。生まれ年の干支だ。
長年、猿という動物にあまりよい印象はなかった。小賢(こざか)しくて騒々しい印象だったので。
しかし、猿を広義に解釈するとゴリラ、オランウータンなどもいるではないか?私も彼らのように悠然として生きたいものだ。
ということで、私は河原で拾った石に、今の自分を猿に置き換えて絵を描いた。それをアイコンとした。まだ小賢しい猿だ。いつかは植草甚一さんのようなオランウータンになりたい。

一方で、年齢と共に魅力的な猿に気づき始めた。
「キングコング」「猿の惑星」「モンキービジネス」(映画)、ホンダのモンキー(小型バイク)、MONKEY(柴田元幸責任編集文芸誌)などなど。
この猿たちに共通するものを感じる。既成の概念をひっくり返すユーモアだ。猿のように立場が低かったとしても卑屈にならない諧謔(かいぎゃく)精神があるように感じる。これを私という猿に援用すると治療生活にも諧謔精神が不可欠だな、と結論付けられる。

昨日の私は管(パイプ)だったが、今日は猿になった。これは進化か?

◎今回の蛇足
最後にふと思い出した。昔好きだった歌を。
「今日人類が初めて木星に着いたよ。ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ」
たまの「さよなら人類」という曲だ。
最後のフレーズが「猿になるよ、猿になるよ」。
歌詞全体がシュールだった。
で、どういう意味なの?これ。

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