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逃げるが勝ちか?

深夜に病室のドアが開く。看護師が入ってきて、寝ている患者の様子を確認する。看護師が出ていくと、患者が静かに目を開けた。
腕に巻いたTIMEX(タイメックス)の竜頭(りゅうず)を押す。暗闇で時計の盤面がぼんやり光る。
「2時25分か」。
深夜の看護師の見回りは3回ある。22時半、12時、2時半頃の3回だ。深夜勤務の看護師は3名。4月なので一人は新人だ。私は毎日この行動をチェックしている。なぜ?

「脱走を試みることはすべての将校の任務だ」。
映画「大脱走」のセリフだ。私は14歳の時、このセリフにグッと来た。捕まったら逃げるのは当たり前の感覚だが、それが任務だと言う。このプロっぽいと言うか、軍人的と言うか少し英国的な杓子定規な言い方が中学生にはカッコよかったのだ。

断るまでもなく、今の私は英国軍の将校ではない、丸刈りしたタダのオヤジである。病院なので脱走する理由もない。ゾンビ、じゃなくてコロナが蔓延する街に出るより、この白い巨塔の方が安全だと思う。

にも拘わらず、このような脱出ごっこをしているのは、何なのだ?
家族を支えなくてはならないという責務か、会社に対する責任感か、日本の未来のためか?

違う、これは逃避だ。

脱走はカッコいい。仏映画「穴」から「大脱出2」まで、脱走は目的を持つ人々の勇気と連携が描かれていて感動を呼ぶ。失敗や裏切りがあっても、たとえ犯罪者だとしても、人は脱走者を応援する。
逃避となると話は違う。

「本当は責任をもって処理すべき事柄を、そうはしないで現実から逃れる(目をつぶる)こと」(新明解国語辞典)

こ、これでは「大脱走」の英国将校と真反対の行動ではないか。50年間、何のために覚えていたわけ?このセリフを。
はい、分かりました。私の任務は治療を受けつづけて、それを全うすることです。以上!

しかし、食事の時に添えられるスプーンを返さずにそっとポケットに入れてしまうのは、どうしてなんでしょう?

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