自動管理システム「アス」について ー政治・経済編ー


0.この記事について

 本記事は1960年代ソ連において創設された自動管理システム(自動制御システム)「アス」について、特に政治・経済の側面を解説しております。

1.自動管理システム「アス」とは?

 初期のアス(ASU; ru: Автоматизированная Система Управления)は、数理経済的手法とコンピュータによる MTC(en: Material Technical Supply; ja: 資材・機械補給)の改善を意図して創られたソ連における自動管理システムのことでした [1]。MTC とは、企業が商品や製品を生産する際に必要な材料や部品など(生産財)を供給するための仕組みのことで、ゴススナブ(国家原材料供給委員会)という委員会が運営責任を負っていました [2]。
 使われていた数理計画的手法は、ソ連科学アカデミーの代表的経済学者の論文 [3] によると、少なくとも線型計画法と経済学者オスカル・ランゲ(ru: Оскар Ла́нге; en: Oskar Lange)の最適決定理論が使われており、コンピュータに関してはソ連独自の設計に基づいた BESM シリーズや IBM の System360 をリバースエンジニアリング(逆アセンブル)して造られた EVM(ES EVM)シリーズ [4] を使用していました。これらを用いて各管理業務を数理経済モデル化しコンピュータ・プログラムを作成して管理を「自動化」しようとしました。[1]
 産業用の自動制御システムとして導入されていたアスは時が経つにつれ自動制御システムとしての概念に広がり様々なカテゴリに「アス」が創られました。

2.アスのカテゴリ

 1960年代の初期のアスの大部分は西側の古い ADP(Automatic Data Processing)に対応するものとして認識されていました。目的別に別々に構築されたアドホックな構成となっていて、プログラムは自国製のコンピュータで稼働していました。初期のアスは1950年代のアメリカの ADP にも及ばず、「アス(Automated System of Control)」という名には程遠いものでした。
 アス創設以降、自動制御システムとして概念が拡大し1975年までにアスには用途に応じて様々なカテゴリが創られました。

  • 企業管理情報システム(ASUP; en: Enterprise Management Information System)

  • 技術的生産プロセス自動管理(ASUTP; en: Automatic Control of Technical Production Process)

  • 領土組織管理情報システム(ASUTO; en: Territorial Organization Management Information System)

  • 省庁機関管理情報システム(OASU; en: Ministerial and Agency Management Information System)

  • 情報処理自動システム(ASOI; en: Automated System of Information Processing)

  • 設計計算自動システム(SAPR; en: Automatic System of Design Calculations)

  • 科学調査自動システム(ANSI; en: Automated System of Scientific Research)

上記カテゴリーは安全保障に関するアメリカのシンクタンクのハドソン研究所の文献 [5] によるもので、他にも様々なカテゴリーが存在します [6]。

3.どういう経緯でアスを創ろうとしたのか?

 1928年、第一次五か年計画が実施され急速かつ大規模な工業化が目指されました。経済資源の非適正配分、使用の非効率は当時からあったものの、急速な経済成長によりそれらの問題は無視されてきました [7]。
 1948年、ゴススナブが活動を開始し生産財の供給を管理し始めました。
 1950年代に2桁の成長率に到達したものの、1960年に入ると経済成長率が1桁へと鈍化し、経済資源の配分と効率の2つの問題に対して経済改革の必要性に迫られました [7]。
 その様な中、1965年9月、経済改革(コスイギン改革)が開始さ
れ、その一環として MTC の改善の方針が打ち出されました。
 翌年1966年8月23日の閣僚会議決定*1において補給・販売管理局、地域資材・機械管理局、倉庫、基地に本稿の主題となるアスを創設することが決められました。

*1 「数理経済的手法とコンピューター利用による資材・機械補給管理システム創設に関する緊急措置について」

4.アス創設に至るまでのソ連の経済はどのようなものだったのか?

 1960年から低下していた経済成長率(国民所得など)の問題を打開すべく将来実施されるであろう経済改革に対して様々な提案がされてきました。
 1962年9月9日、ソ連共産党機関紙「プラウダ」において経済学者エフセイ・リーベルマンの論文「計画、利潤、および報奨金」が掲載され、その中で2つの対照的な改革路線が示されました。
 一つ目は、行政の資源配分を最小化し企業の自主性を最大化する市場社会主義(Market Socialism)の導入、二つ目は、数理経済的手法とコンピュータによる中央集権的な計画編成によってソ連の経済的問題を解決していく方向です。前者に関しては経済学者や党政治局から「市場無政府主義を解放する」と警告され、後者に関しては巨大で複雑なソ連の情報と意思決定を処理しきれないということが分かってきました。
 1965年9月、ソ連共産党中央委員会のコスイギン報告「工業管理の改良、工業生産の計画化の改善と経済的刺激の強化について」において、行政による資源配分を維持するが、その大枠のなかで企業に自主性を与えるという2つの案の妥協案が示されました。各説明は省略しますが、具体的には、主に以下の改革 [7, 8] が開始されました。

  •  企業活動の実績を判定する指標を粗生産高から利潤、販売高に変更

  • 生産フォンド使用料、定額納付金の徴収

  • 報奨、開発及び住宅建設、文化フォンドの設定

  • 工業製品卸売価格体系の全面的改訂

  • 国民経済会議(地域別経済管理制度)の廃止と省制度への復帰

  • 新技術導入の導入

  • 資材・機械設備供給の改善

 1966年4月8日から14日の7日間、第23回党大会が開かれ第8次五か年計画が発表されました。特に注視すべき点として、科学技術の発展と社会的生産の効率化が述べられました。
 科学技術に関しては自動化や経済管理など高効率化技術に応用すること、生産の効率化に関しては包括的な機械化と自動化を促進することが述べられました。
 特に資材・機械供給に関してソビエト連邦閣僚会議は効率化のための新システムを導入し「上から下へと」改善していくべきだと述べられました。この新システムによって企業の不況が大幅に改善し労働者の生産性の向上と低コスト・高品質をもたらすだろうことが期待されました [9]。そして1966年8月23日の閣僚会議において第8次五か年計画を成功に導くための新システム「アス」を創設することが決定されました。

5.年表

1928 年 第一次五か年計画
1948 年 ゴスナブによる生産財供給の管理開始
195x 年 経済成長率2桁
1960 年 経済成長率1桁に低下
1962 年 9 月 9 日 リーベルマン論文掲載
1965 年 9 月 コスイギン改革、MTC の改善方針
1966 年 4 月 8 日 - 4 月 14 日 第23回党大会開催、第八次五か年計画、自動化と高効率化の方針
1966 年 8 月 23 日 「アス」創設の決定

6.用語集

ソ連科学アカデミー

ソ連の最高科学機関。活動の目的は、ソ連における共産主義建設の実践に科学的成果を完全に導入することを支援することでした。政治との関りが強かったため、例えば遺伝学を否定しスターリンの政治運動と相性が良かった「ルイセンコ主義」は3千人以上の主流生物学者を投獄しソ連の遺伝学研究を 1920 年代末から 1964 年まで約 40 年立ち遅れさせました。また、アスに関してもソ連経済の数理的方法やコンピュータの研究も行いサイバネティクス研究を担いました。
* アスに関連するソ連科学アカデミーの人物について科学技術編で詳述します。

IBM(冷戦期)

アメリカのテクノロジー関連企業。1960 年代にはコンピュータで大きなシェアを占めていました。1960年代にソ連と一時的な取引をしており、1964 年に発表された System/360 のアーキテクチャはソ連の ES コンピュータシリーズへコピーされており ES コンピュータと互換性があります。

ハドソン研究所

1961 年に設立されたアメリカの軍事・防衛・経済などの分野のシンクタンク。

第一次五か年計画

1921 年の新経済政策(ネップ)による貧富の差と社会主義の理念との矛盾を解消するために 1928 年にスターリンによって発表された経済政策。重工業化、コルホーズ(集団農業化)、ソ連全土の電化(電力網の整備)などが行われました。ロシア内戦時の都市部と赤軍への武器・食料の供給の政策(戦時共産主義)による国民の疲弊を回復するためにレーニンによって新経済政策(ネップ)がとられました。この政策は都市部の小規模商工業者(ネップマン)や農村の自営農民(クラーク)に営業を認め、貧富の差が生じさせました。これは社会主義の理念と矛盾するものであり、この矛盾を解消するために第1次五か年計画がスターリンによって作成・発表されました。

経済成長率(国民所得)

国民が一定期間に生み出した付加価値の総額であり、物的生産部門(工業、農業、建設、貨物輸送と通信及び商業、物財供給、農産物の調達)の所得総計。

7.関連動画

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参考文献

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