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わたし的には第2の仏教伝来

佐々木閑さんのミリンダ王の問い(YouTube版)では、初期仏教において身体の不自由な方に対する差別思想があったかどうか論じている。ミリンダ王の問いにおいて、ナーガセーナは「現在、目や耳や肢体に不自由のある方は、過去の業の因果の結果、すなわち過去生において悪をなしたことの報い」と答えている。このことは今日的な価値観からはちょっと差別的、身体不自由のある方にとって不快な説である。中村元の翻訳においては、この部分をそのまま訳さず、曖昧で、何を言っているのか不明な書き方になっていると。(ところで宮元啓一さんの新訳ミリンダ王はどうなっているか、今度確かめてみよう)。おそらく本当は差別的なことを仏説として言っているが、批判を恐れて誤魔化そうとしていると。佐々木さんは本当のことを学ぶ人に伝えたうえで、どうあるべきか考えることが必要で、中村元はおかしいと。維摩経や法華経の翻訳で知られた植木雅俊さんは釈迦はリベラルで女性差別がなかったと説く。この研究でお茶の水女子大学から博士号を授与された。しかし佐々木さんによれば、初期の仏教において、女性も比丘尼になれるが男性が比丘になるための条件より、例えば保証人の数が多く必要など差別があったと。昨年ベストセラーとなった「ブッダという男」の清水俊史さんはブッダが中村元始め日本の研究者が言うように理想的な人格者ではないと暴露している。大乗小乗の分化におけるブッダゴーサの役割について異論をとなえたせいで馬場紀寿東大教授や佛教大学からアカハラにあい研究者生命を絶たれ有名になったが、清水さんは植木さんが釈迦は女性平等主義者だったと虚言を吹聴していると噛みついた。植木さんは「もう私は年で、清水さんのように若くないので勘弁して」と特に反論を続けなかったが、植木さんは中村元に直接学んだことが自慢な方だけに釈迦無謬主義は下ろせないのだろう。
村上専精は初代東京帝大印哲教授である。日本の宗派宗教者による研究に発した明治の日本の仏教学は、サンスクリットやパーリ語仏典を西欧哲学や神学、文献学の学術的手法で研究確立された欧米の仏教学からみると、すべてが戯言であると喝破した。村上は「大乗非仏説」を著し、日本の宗派宗教は大慌てで宗門の若手優秀者に西欧の学問を学ばせ、自派の宗祖がいかに釈迦と結びついているか必死に研究した。村上は大乗非仏説を著したことで一旦は大谷派を追われる。その後復権するが、真宗大谷派では清澤満之の系統が教理の基本となり、村上は今日に至るまで無視されている。(村上専精は三河豊川の入覚寺の養子住職だったそうだが、筆者の現在の寓居から車で20分くらいで千手観音で有名とのこと。一度行ってみよう。また清澤満之が副住職でその生涯を病に臥すなかで閉じ、現在はお孫さんが住職の西方寺は筆者の祖父の実家のお寺で昨年お邪魔した。これも大浜であるが同じ三河である)。ところで大乗非仏説への日本の宗派宗教(華厳から天台、真言、浄土系、日蓮宗、禅全て大乗)からのリベンジは、初期仏典と言われるものは、釈迦が話したことをアーナンダが口述で教団に披露したとなっていても、記録に残るものは仏滅後数百年を経たもので、いくらでも脚色美化されているだろうという反論研究だった。佐々木さんはYouTubeのブッダの生涯で、梵天勧請の伝承について、すでに教えを広めると過去生で決めていたブッダがゴータマに生まれ変わって悟りを啓いたのに、利己的に布教をためらったのはなぜ?と自問し、本当は釈迦は利己的な人であって、ブッダの生まれ変わりで全能の人だと言う伝承の方がウソッパチだと。佐々木さんは「素の人間」ブッダが好きと。筆者も本当にそう思う。初期の仏典とされるダンマパダは法句経として漢訳され、古来より我が国に招来されていたが、スッパニータは漢訳がもともと存在せず、欧米研究に追随して日本語に翻訳されたのは1930年代、一般に出版されるのは戦後もしばらく経っての中村元「ブッダの言葉」を待つしかなかった。そしてまた今や多くの若者の支持を受けるテーラワーダですら、それが典拠とする本当の釈迦の言葉とするものが、文字に落とされたダンマパダやスッパニータに至る中でさまざまに脚色されているかも知れないのだ。
その意味で現代は日本への「第2の仏教伝来」の真っ最中であり、学会で佐々木閑さんのような大家から清水俊史さんのような気鋭の若手まで、YouTuber世界で佐藤哲夫さんや星飛雄馬さんなどが宗派の外から論じるように、仏教、なかんずく生身の釈迦が何を苦として辛い気持ちで過ごし、どのような思索を通じて悟りに至ったのか、学ぶのに打ってつけの幸福な時代と言えるだろう。

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