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仏教の流れについて(2)無知だったこと、今ようやく成る程、と

廃物毀釈について腹に落ちた。これまで齧って来たことに加え佐藤哲朗、星飛雄馬、岡本直人諸氏の対談を聞いて、そうか、と。これまでは明治新政府の欧化政策のなか、ヨーロッパ王権がカソリックや国教会によって権威付けられている仕組を取り入れて、王政復古とセットで国家神道を新政府に導入するに際し、邪魔だから、さらに神仏習合の下、仏教僧侶の下流に置かれた神道家の積年の恨みもあって、寺や仏像が破壊されたとのみ理解して来た。しかし、梵我一如、国土草木悉皆仏性、ひとはみなそれぞれに仏性を備えており、あるいは阿弥陀の十八願によってすでに一切衆生が浄土にいけると決まっている、という我が国の大乗仏教においては、サンカとしての壮大な仏教伽藍、僧侶集団、寺領がなくとも、在家は成仏できるじゃないか、と。日本の宗派仏教は国家の理念としても民衆の救済においても不要、と理論づけられ、平安、鎌倉以降江戸期まで長年にわたり、あたかも封建領主の如くに安穏と既得権の上に胡座をかいてきた既存宗派は十分反論もできなかったのだろう。大名、藩主、旗本ですら領地を没収され、そこが明治政府や新軍の用地とされる状況では、寺院領が上地令によって没収され学校や病院など近代的な福祉施設となっていくのは至極合理的だった。こうして、宗派仏教は経済的基盤を喪失した。唯一権力による庇護が少なく、親鸞、恵信尼による家族経営だった浄土真宗は復活が早かった。清澤満之が大乗仏教にドイツ哲学的な解釈を施し、大谷大学の初代学長として仏教復権を浄土真宗の立場から推進した。戦争戦後でさらに仏教界が混乱疲弊するなかで、日本の宗派仏教は、護摩を焚いたり、坐禅したり、お題目を唱えたりしても、家族経営、肉食妻帯、葬式仏教と言われる浄土真宗的なフレームワークのうえにようやく成立するものと成り果てた。今、一層の東京一局集中、その地方版たる札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡集中と少子化、非婚化のなかで、葬式仏教としても存続が危ぶまれる。オウム真理教や統一教会、幸福の科学など戦後新興宗教スキャンダルのトラウマで、解脱を目指すさとりの宗教も、苦からの癒しを求めるすくいの宗教も見当たらないなかで、次の世代の日本人はどうしていくのだろう。葬式ですら、故郷のない都市市民は、家族葬、僧侶のケータリング、樹木葬に向かうようだが、ネットで見る限り、葬儀屋と墓石屋のハンドリングで宗派仏教のお寺とマッチングするビジネスに過ぎない。中村元、佐々木閑氏や呉智英氏などによるダンマパダなど釈迦の初期仏教の普及や、華厳教、法華経、維摩経などの大乗基本経典のわかりやすい現代口語化で、大学教養課程あたりでの宗教教育が必要だと思う。就職選択のためのキャリア教育、資産形成のための金融基本知識、プログラミング基礎知識同様にこれからの日本人が誤りのない人生を歩んでいくために不可欠な教育だと思う。これらに欠けることが現代の無明である。

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