たこ虹メンバーみなさんへのお手紙②

↑こちらの続きになります。
(この手紙は前振りがめちゃくちゃ長くて、ほとんどアニメのはなしやん!って感じられると思うんですけど、重要なのは最後の部分なので、ささっと読み飛ばしてお読みいただけたらと思います)

話はとりとめもなく変わるのですが、最近のアニメがめちゃ面白く感じています。私自身、黎明期からのオタクだったようでテレビの前に三脚立ててリアルタイムで放送しているアニメの写真を撮ったり(当然フィルカメラですね😅)、テレビの前にラジカセを置いて録音していました。当時、アニメージュに付録でカセットテープのラベルが付いてきてたりしてたんですよね。カリオストロの城のLPレコードが出た時は即買いしましたし、初めてベータ方式のビデオカセットが発売された時も1万2,800円っていう法外な値段でも即買いしました。結構なシーンがカットされててめちゃくちゃショックだった思い出があります。

最近のアニメは、当時よりも遥かにたくさんの作品が量産されて面白さを全く感じなかったんですけど、れんれんの影響でいろいろ見始めたんですが、これがホントに面白い。今は異世界転生ものが多いですけど、それって昭和における時代劇と同じ構造なんだなということには気がつきました。
時代劇はお約束がいっぱいあって、悪代官とか忍者とか、お姫様とか、決まって越後屋とかの守銭奴な商人とかが出てきますが、同じような約束事が異世界転生ものにはたくさんある。
そして、量産されることでありとあらゆるパターンが作られて、駄作も山ほどできるけど、だからこそ名作や傑作が生まれる土壌となっている。
転スラや無職転生はホントに良くできていて、でもこの二作品の裏設定で、どう考えても萩尾望都の「銀の三角」の引用としか思えないところがあったりして、そう感じるところも面白い。
ぼっち・ざ・ろっくはこれまた凄い作品で、丁寧な作りと音楽で高い評価を受けてますけど、私は人の描かれ方がすごいと思っていて、この作品、登場人物のほとんどのコミュニケーションが取れていない、会話が噛み合っていないように感じられて、その切り口や表現が上質な文学にも感じられます。
着せ恋もすごくて、これは1970年台後半から続くオタク文化の積み重ねがあってこそ成立している作品になってて、たとえば、ヌル女の設定は2001年の恋愛アドベンチャーゲーム「君が望む永遠」からの引用だったりします。
この作品が爆発的に売れたことで、美少女ゲームがアニメ化されるという流れができて、たとえ18禁でもシナリオが良かったらそれは良作として認められるようになった。それまで名前を伏せて出演していた声優も実名で出演するようなことにもなって、この作品をきっかけに時代の空気感が変わったという経緯があります。(私の主観ですが)(ちなみに私はこのゲームをしてないです)(察してください)

ジャンルや18禁といったものに関係なしで良いものは良いという自由な価値観。それって、着せ恋の喜多川海夢というキャラクターを生み出す土壌にもなっています。

なんだか前置きがめちゃくちゃ長くなってしまったんですが、私が手紙に書きたかったのは「メイドインアビス」のことなのです。
れんれんはこの作品を「観る人を選ぶ作品」と言ってましたけど、ホントにその通りで。でもだからこそ日本のアニメの先端をいく作品になってると思うのです。完結したら日本のアニメを代表する作品のひとつになるんじゃないかとすら思います。
世間的には、可愛いキャラクターと内容のエグさ、残酷さばかりに注目されていますけど、古今東西の神話や伝承、逸話、寓話といったものが散りばめられている。
物語の基本的なところは、西遊記ととても重なっていると思うのです。三蔵法師がリコならは、レグは孫悟空。旅を続けていく中で、沙悟浄や猪八戒が加わるように、ナナチやファプタが加わって目的地を目指すという物語ということ。更に言うと澁澤龍彦の遺作である「高丘親王航海記」にも通じるものがあって、主人公の高丘親王とリコが、それぞれの目的地に行きたいという強く激しい衝動を描いているところが共通している。そういうところは、映画監督リュックベッソンの初期作品「グランブルー」にも通じるところがあります。

主人公の名前は「リコ」ですけど、これは「利己的な遺伝子」からきてると思うんですよね。「利己的な遺伝子」というのは、40年ほど前に発行された学術書で、そのタイトルのインパクトから私の世代はとても印象に残っているのです。イギリスの行動動物学者の書籍で、決して遺伝子は意思を持っているわけではなくて、あくまでも比喩としての表現なのですが、でもそのタイトルから受ける印象から、遺伝子は人間の意思のチカラによって変化していくのかなって思えてくる。現にスポーツでは記録が更新されていき、身近なところでは昔と比べで、人の身長が高くなって手足が長くなって、スタイルが良くなってカッコよくなっている。
こうなりたいという願いや切望は遺伝子を変えるチカラになりうるんじゃないかなという気にさせてくれる。そういった考えは遺伝子学からしたら噴飯ものなのかもしれません。でも案外そういうものなんじゃないかって思えるんですよね。

メイドインアビスは、そのような物語。リコは奈落に行くことを切望し行動する。それは、水生生物が陸地を目指すようなものなのかと思うのです。
でも、水生生物が陸地に上がったところで、待ち受けるのは死しかない。絶望でしかない。でもその強い衝動を抑えることはできない。この行動によって何かが変わるかもしれない。
まだ、この物語は完結してないのでまったく違う展開になるかもしれません。でも、アビスで描かれている世界や生物たちは下層に行くほどに海の底のようで、生き物も水性生物に近づいてきてるように感じますし、それ以外考えられないなぁと思うのです。

最新の「烈日の黄金郷」は価値とはなにか?がテーマになっています。
黄金とは変わることのない普遍的な価値の象徴。リコたちがたどり着いた「なれ果て村」で、さまざまな出来事を通じて価値とは何かを問いかける物語になっています。
その中でもマアアさんのエピソードは、象徴的でリコのメイニャを傷つけてしまったことで、なれ果て村の清算によって大切にしているぬいぐるみや身体の一部が失われて、それが対価となってリコにお金として支払われたり、でも、その出来事によって、マアアさんはリコと親しくなったりするのですが、マアアさんはそのぬいぐるみのような外観とはそぐわない部分もあったりして、案外、元はいい歳をしたおっさんなのかもなぁと思ったりもするのですが笑

物語の終盤、キーパーソンであるワズキャンの台詞に、このようなものがあります。

「積み重ねだけだ。それらの積み重ねだけが、人を人以上たらしめる」

当たり前といったら当たり前の言葉。この物語で、スルーしてしまってしまいそうなありがちな台詞。
でもこれこそがこのシーズンのテーマを的確に表しているのではないかと思うのです。

価値とはすなわち「積み重ね」そのものなのではないかということ。たとえば水生生物が陸地に上がったところで意味はない。でも、同じようなことを繰り返したら、積み重ねていったら、一億、十億、百億と続いていったら、いずれ肺呼吸できるようになるのではないか、ということだと思うのです。

たこ虹メンバーのみなさんは、もう既に十分過ぎるくらいの努力を積み重ねてきて、たくさんの経験をしてきたのですから。あとはもう「積み重ね」ていくだけでいいと思うのです。

誤解を恐れずに言うならば「頑張らなくていい」。頑張ったら気持ちも筋肉も萎縮してチカラが発揮できないものです。スポーツでも仕事でもなんでもそう。気負わず頑張らずリラックスしたメンタルを保つことがいちばん大事。
更に言うならば手を抜いていいと思うのです。その代わりに、気は抜いてはいけない。そのことは、たこ虹の卒業が決まった時にムチャミタスの関係者の方がツイートしていたことでもあるのですが。たこ虹メンバーの実力と経験は相当なものですから。そういう段階にきていると思うのです。

慎重に丁寧にひとつずつ大事に積み重ねていけばいい。
まわり道をしてもしてもいい。
まわり道こそが面白く楽しいものなわけですし、疲れちゃったら休めばいい。

そして、積み重ねさえ続けていれば、自然と自ずと行きたい場所に連れて行ってくれると思うのです。

積み重ねてきたものは、一瞬で分かる人には分かります。くーちゃんは、さくちゃん生誕イベントで感じましたけど、その地声の強さに。さくちゃんは大阪環状線の舞台終盤でみせた初見の人をも魅了したダンスに。さきてぃは持ち前の華やかさに。まいまいは、重ねてきたこれまでの努力に。れんれんは、大切にしているものに対しての真っ直ぐな気持ちに。

時として残念な気持ちになったりガッカリすることもあるかもしれませんけど、少なくとも自分自身の積み上げてきたものは裏切らないし、助けになって、のちのち教えられたり気付かされるようなこともある。
物事は勝ち負けでは判断しない方なのですが、あえて言ってしまえば、地道に積み重ね続ける人が勝者になると思うのです。

ここまで書いたところで4/1になって、さくちゃんがスタダを退所することを知りました。
さくちゃんにはびっくりすることがホント多いですけど身軽になることは、とても良いことだと思うのです。
表現においていちばん大切なことは、気持ちとカラダを軽く保つことですから。
自由に奔放に軽やかに、さくちゃんの表現をみることができたらとても嬉しいです。

2023年4月2日
もんじ



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