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価値判断は必要か?

スピリチュアル において、ジャッジや価値判断は、なんだか嫌がられることも多かったりいたしますが・・・。

この理由が、曖昧な方は大変多いかもしれませんね。ジャッジや価値判断は良くない!と思いつつ(まぁ、これも価値判断なんですが・笑)何故なのか?は、よくわからない。みたいな。

中には、なんとなく「自分がダメ出しされたくない」からジャッジや価値判断はダメ!と言っているような気がしないでもない方もチラホラお見受けします(笑)まぁ、ダメ出しされるのは誰でも嫌ですもんね。

ただ構造から見ますと、価値判断やジャッジが嫌われやすいのには理由があります。

その理由とは、スピリチュアル において、振動数(抽象度)を上げるというのを目標にしている人が多いからです。

(構造についてのお話でもお伝えしましたが、振動数(抽象度)を上げるというのは、ゴールではなく「その先」というのがあります。なので、振動数を上げることだけを目標にするのは、如何なものか?というところもありますが・・・笑)

まぁ、ここら辺については、ここでは割愛いたしますね。

で、振動数(抽象度)を上げることを目標とする場合「価値判断やジャッジ」というのは物事を分ける(分離の)意味合いがあるため、振動数を上げる障害になりやすく、そのため「嫌われやすい」のです。

振動数(抽象度)を上げるためには、別々のものを一つ上の視点で同じだ。と見る必要があります。これは、リンゴやみかんを「果物」として見るというようなことです。リンゴやみかんは違うものですが「果物」としてみたら同じモノみたいな感じですね。

振動数(抽象度)を上げることのとりあえずのゴールがワンネスなのだとしたら、違うものを同じモノだと見ることが、振動数を上げるために重要だということは、わかりやすいかも知れませんね。コレは「全ては自分である」へ進むってなことですね。

一方、価値判断やジャッジというのは物事を分けるために必要なモノです。こちらは同じみかんでも、良いみかん、悪いみかんというのを分ける基準となるモノです。

同じみかんなのに!良いとか悪いとか!分けるのはおかしい!という意見もあるかもしれませんが。もしも、これがみかん販売業者の言葉だとしたら、ちょっと困ってしまいますよね。

「価値判断やジャッジ」は、分離と比較で認識される三次元(一般社会)において共通認識のある枠内では必要なモノなのです。

みかんの販売という枠を共通認識している枠内の人達(みかんを売る人、みかんを買う人)の間には、より美味しいみかんのほうが良いという「価値判断やジャッジ」が必要なのです。

これはスポーツする場合にはルールが必要というのとも、似たようなモノです。

価値判断やジャッジにおいて、揉め事が起きる場合。この枠の共通認識がズレている場合が多いです。

要するに枠内での価値判断を枠外の人に強制する。もしくは、枠外の人が枠内の人の価値判断を批判する。というようなことです。

これは、サッカーをしていない人に「ボールを手で持つな!」というのはヘンテコだし。サッカーの試合中に、部外者がコート内に入り「ボールを手で持ってもいいじゃない!」というのもヘンテコだ。ということです。

このように、スポーツで例えてお話すると単純なことに感じますが。日常に当てはめると、この共通認識の「枠」というのがね。目には見えないものですから、非常に分かりにくい。というところがややこしいところです。

目には見えない「枠」は自分が枠内にいるのか、いないのか?すら気が付きにくいし、中にはそこに「枠」があるということ自体がわからない人もいたりします。

「枠」に気がつくためには「枠外」を知る必要があります。なので価値判断やジャッジについて考えることは「枠」に気がつくためには、必要なことです。 

もしも、自分には相入れることができない価値判断やジャッジがあったとしても、その「枠」においては、自分自身が単に「お呼びでない」ということなのかも知れません。

とはいえ「枠」は絶対ではありません。たとえ今なんらかの枠内にいたとしても、出たかったら出れば良いだけです。そのためにも、まずは価値判断やジャッジには意識的でいる必要があります。

自分が今どこにいて、どのような役割や枠内にいるのか?を知ると「価値判断やジャッジ」との付き合い方も自ずから見えてくるということです。まぁ構造からいえば、分離と統合は表裏のセットですから「価値判断やジャッジ」というものですら幻でしかないのですけどね(笑)


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