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精神病院での日々

持病の精神病が酷くなり、
精神病院に入院したときのこと。

入院回数は4回。

その中でも、最後に入院した
2017年8月〜2018年3月の8ヶ月間、
この期間に色んなことがあった。

一つ前の入院で、仲良くなった男性看護師さんが居た。Kさんという。
そのときKさんは一年目の新人看護師で、
よく私の病室に遊びに(?)来てくれて、色々話をした。
monicoさんのこと、患者と思ってないからね、と言ってくれて友達みたいに接してくれた。

その次の入院(最後の入院)で看護師3年目になったKさんに再び会ったとき、
貫禄が出ていてしっかりしていて、
私は彼に恋をした。

うわ言のように告白したこともある。
もちろんKさんは看護師だから、気持ちに答えてくれることはなかったけど、それからもKさんが居てくれたおかげで、楽しく入院生活を過ごせた。

でも私の病気、楽しいばかりじゃない。

症状がひどくなったときには保護室という、独房みたいな部屋に入れられた。

ご飯は小さい窓から入れられ、
ダンボールでできた机で食べた。
孤独だった。

さらに症状の悪化が進み、
上の階の保護室へ移動が決まった。

Kさんと離れたくなくて行きたくないと駄々をこねたがだめで、移動することに。

その階の保護室では、不思議なことが起こった。

両親が面会に来てくれたとき、ある漢方を飲ませてくれた。

妄想?だと思うけど、
自分の姿が全世界に生中継されている感覚があって、
「親は適当に飲んだけど私は真剣に飲んだ」
と言った。

そしたら、
壁からライフルのような銃が出てきて
パーン!!と撃たれた。
持っていた夜ご飯のカレーの皿が手から滑って落ちた。

この入院生活で一番不思議だったことだった。
まぁ、私の妄想だったんだろうけど…

それからも自分の妄想に囚われて、色々苦しい思いをした。

Kさんのいる病棟に戻れても、症状が悪化して前みたいに楽しく話せないときもあった。

でも、なんだかんだで8ヶ月を経て、退院できた。

看護師さんや、入院患者さんとも仲良くなれたり、
なんだか忘れられない体験になった。


精神病患者は、辛いことは忘れるようにできている。


保護室に居た頃、この病院の会長?をしていた方にもらった言葉。

精神病患者じゃなくても当てはまるかもしれないけど、響いた言葉。
確かに、辛いことは忘れた、というか、
良い思い出に変わっている。

人生でなかなかできない経験をしたと思う。
もちろん二度と入院しないように、服薬と睡眠はこれからも大事にしようと思う。

だらだらと、とりとめの無い記事を最後まで読んで下さってありがとうございました。

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