見出し画像

本当は働きたくないのに。 18日目の朝

容姿を理由にするのをやめたのだ。

私は常に自分がブスであることを意識してきた。
ブスだからかわいい子と自分から仲良くなろうとしてはいけない。
ブスだから男性に告白してはいけない。
ブスだから都内のおしゃれな職場で働くことはできない。
ブスだからブスの自分をわきまえて行動しなければならない。
そういう風に考えて自分を律してきた。

ブスだからといって、ひどいいじめを受けたことはない。直接ブスと言われたのは高校生の時自転車ですれ違った男子高校生生集団にだけだ。
それでも、たとえば一緒にいる友人と比べて私の容姿を下に見たこと、グループに混じっている私を嘲笑していることを、なんとなく感じ取ってしまうことがあって、しみじみと傷ついてきた。

長年の思い込みが、去年さっぱりなくなった。
年を重ねて、「私はブスである」より「私はおばさんである」という自意識の方が強くなり、いかにもおばさんといった図々しいふるまいはすまい、とか、年下に偉そうにしてはならない、とかの方が注意が向けられるようになったからかもしれない。

気負いなく人と接してみれば、みんなごく普通に対応するのだ。
当たり前といえば当たり前である。私だって相手の容姿を見てなにがしかの判断はするが、それで態度を変えることなどしない。
それなりに人生経験を積んだ大人なら誰だって、「人を見た目で判断して態度を変える奴」は他者からの評価が低くなることを知っている。

私は何十年もの間、私の中にだけ存在する「ブスをバカにする人々」に怯え、身を縮こまらせて生きてきたのだ。
ばかばかしい話である。ばかばかしい話ではあるが、人生が終わる前に気づけてよかった話でもある。
まだ「ブスだからできない」と思い込んできたことに挑戦する時間は残っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?