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「振り子の法則」の「罪悪感」についてのあれこれ

読んだ本の感想を書けと

ブログを書こうと思って開くと「読んだ本の感想を書いてみては?」とnoteから提案する文が画面上に表示されました。

読んでるよ〜

今、振り子の法則第2巻「願望実現の法則」リアリティ・トランサーフィン 魂の快・不快の選択を読んでいます。

1巻目「振り子の法則」で、
私たちが常に振り子に惑わされたり、ちょっかいをだされたりして、自分の人生を生きられず振り子にエネルギーを奪われ続けていること。
自分がどんなマインド、状態でいるときまずいのか?
そのまずい状態から不運や不幸に見舞われる理由、
物事に過度に重要性を与えた結果、必ず平衡状態へもっていこうとするエネルギーにやられたり、「誘導転移」という振り子が仕掛けた負のエネルギーのスパイラルによって、順風満帆な暮らしを送っていたとしてもあっという間に一文無しになってしまう…
なので、一般にネガティブととらえられている怒りや悲しみ、不満や軽蔑の気持ちはもちろんのこと、罪悪感や完璧主義など、とにかく極端な精神状態に陥ることなく、ポジティブな気持ちを抱きつつも平常心を保ち、すこし自分を客観視できるようにすると、振り子のワナに陥るのを防いでくれる。
そして何より、仕切り屋の理性の影で本当の人生の目的についての様々を感じとっている、魂のかすかな声に耳を傾けるのが大切と。
だいたいそのようなことが書かれてありました。

第1巻については私の拙いまとめより、ミルクティー飲みたいさんの動画のほうがよりわかりやすいかと思います。
以前も共有させていただきましたが、再度貼ります。



1巻では、上記のように振り子に支配されていると言っても過言ではないこの世の仕組みと、気をつける点に書かれていて、

2巻はいよいよ魂の快・不快についてなのです。



さて、1巻で述べられている、振り子の餌食となる避けるべき意識状態ですが‥

 
 これはあのベストセラー「パワーかフォースか」をナオキマンさんが動画にしてくれたものです。
(「パワーかフォースか」も一時絶版だったのが復刊したので、「振り子の法則シリーズ」もどうか復刊されますように)

この動画で低いレベルの意識状態とされる赤い色の「フォース」の状態は、「振り子の法則」シリーズでも、振り子に掴みかかられ人生を台無しにする、よろしくない状態とされています。

罪悪感について

よく何かをしでかして悪びれもしない人を目にすると私たちは
「罪の意識はないのか」「恥ずかしくないのか」と憤ったりしますが、罪悪感に苛まれている人の意識レベルは非常に低い。

「振り子の法則」のゼランド氏も、
「罪悪感は、振り子、すなわち多くの場合は人形遣いが、人間を操る時に使う糸となる(第1巻p197)
「誰かが罪悪感を自分に受け入れる姿勢を示すやいなや、人形遣いたちがまとわりついてきて離れず、エネルギーを吸い取りに掛かる。彼らの影響下に陥ることのないようにするためには、罪悪感と縁を切るだけでよい…もし本当に罪があるのならば、罰を受けることはできる。だが責めを負った状態のままでいることだけはやめたほうがいい(第1巻p198-199)
と、罪悪感を持ち続けることを戒めています。

そして罪の過剰ポテンシャルを消し散らすために人間が思いついた興味深い方法として「許しを乞うこと」をあげていますが、ここでも

「許しを請うこと、自分の過ちを認めること、罪の許しを神に祈ること、懺悔することなど、これらはすべて罪のポテンシャルから解放される方法である……ひとつだけ気をつけなくてはいけないことは、懺悔が人形遣いたちへの従属関係に移行しないようにする点である……人形遣いたちは、この過ちを幾度となくあなたに思い出させ、あなたの中に罪悪感が維持されるように挑発する。彼らの挑発に乗ってはいけない。過ちに対する許しを請う権利は、一度行使したら、それでおしまいなのである(ヴァジム・ゼランド振り子の法則第1巻p203)」

※なお、引用中の最後の文、「過ちに対する許しを請う権利」の権利は、義務の打ち間違いではなく、「権利」です。


ということで、スチュワーデス物語の片平なぎさが風間杜夫の前で手袋の先を噛んでギギギと手袋を脱ぐ光景を思い出しちゃいましたが。
あれ、怖かったですね~

ともかく、一度謝るなり相応の償いをすれば、その後ずっと囚われることはないと。
いや、とらわれてはならない。

 
 ‥この精神でいける人が、いわゆる過剰ポテンシャルを発生させることなく、人生をうまく渡っていけるのでしょうね。

 いつだったか、ある本で、
もう何十年前のことであっても、自分が、悪かった、申し訳なかったと思っている人に思い切って会いに行き謝ることで、その後の人生が好転する、とか、そんなことが書かれた本があったと思います。タイトルも著者名も覚えてないのですが。

これも、極めて低い意識状態である罪のポテンシャルを手放すことで、重石が取れたように運命が改善されるということかもしれません。
 ここでも、一度謝るなり償うなりしたら引きずらない意思が必要ですけどね。
ふつう、真摯に謝って来た人に向かって拳を振り上げる人はいないけど、万が一謝りに行った先の人が「手袋ギギギ」タイプの人だったらとか思うと、勇気がいりますよね。
 でも謝罪無しでずっと不問にしてくれていた人に「手袋ギギギ」はいないかな。

ちなみに、
上記動画では、パワーという高い意識レベルについても紹介されていますが、
ゼランド氏によると、過剰ポテンシャルを発生させないのは「愛」、無条件の愛だけだそうです。それ以外の感情はたとえポジティブなものであっても極端に発生させてはならないと。

「パワーかフォースか」のフォースの状態が論外であるのは「振り子の法則」でも一致していますが、パワーの領域に関する部分は違うかも。
「愛」についてなど、これについてはまた。

未来への罪悪感

過去に自分が犯したことに対する罪悪感は、償う、謝る、懺悔するなどで「解消する」、「持ち続けない」ことで手放すことが可能です。
ですが、自分の行動の結果起こりうるであろう、未来の出来事への罪悪感によって縛られている場合もあるのではないでしょうか。


次回は、以前引用させていただいたケルマさんのエピソード、そして「振り子の法則」の罪悪感についての記述の続きが非常に興味深いので、それについて書こうと思います。

明日はパソコンが使えるといいなー
今で2500文字ぐらい。
スマホだとこのぐらいで、いいか。ってなります。
普段の半分から四分の一だけど、「このくらいにしときなはれ」ってことなのかな。

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