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ゾンビテレビ ーYOUTUBEで「ナンシー関のいた17年」というドラマを見ましたー


youtubeのお勧めにナンシー関のドラマがでてきました


 数日前のブログで「年を取ってくると、すっすっと払ったような弱い細い線でしか絵が描けなくなるってナンシー関が言ってたのを思い出した」とか、書いたと思います。

 それだからなのか偶然なのか、youtubeのお勧めに、ナンシー関を描いたドラマが出てきました。


 NHK BSプレミアム制作のドラマで、メイプル超合金の安藤なつさんがナンシーさん役、編集者など身近な人たちのインタビューも差しはさんだ構成になっていました。

2014年に放送されたそうですが、初めて見ました。
アップしてくださった方、ありがとうございます。

以下敬称略。ナンシー関、「敬称なんていらないから」っておっしゃりそうだし。

 
 ナンシー関がいとうせいこう氏に見いだされて消しゴム版画家の仕事をはじめ、才能が認知されて文章なども担当し、どんどんと人気者になっていく様子が描かれていています。

 テレビに関しては辛口で容赦なくバッサリ斬る一方で、
仕事は遅いながらも決して原稿は落とさず、周りには低姿勢で、礼儀正しく義理堅く、その人柄と頭の回転の速さとおもしろさとで周りの人たちから尊敬され愛されていた様子が伝わってきました。

 出演者の方々の演技もよくて、

一緒に上京した親友や妹さん、周囲の人たちへの愛情深さ、
そして強気でなんでもないように見せていながらも、
誰とも会話を共有することなく部屋で一人でコツコツと仕事に向かうことに寂しさも感じていたのが描かれていて、

私は途中から嗚咽しながら見ていました。

私、ナンシー関のこと好きだったんだなぁ。



 2002年に亡くなった時は本当に驚いて、
私は何を思って何のつもりだったか、当時ナンシー関がコラムを連載していた週刊文春に電話した覚えがあります。
若い女性の方が丁寧に対応してくださった記憶がありますが、今思うと迷惑な話ですね。すみませんでした。

 週刊文春を読んでいただけでなく、書籍も持っていたので、ドラマの中に出てくる版画には見覚えのあるものもたくさんありました。
 
 どの版画も、「似顔絵」としてのクオリティもさることながら、
「この人ならこのカット、この表情」「この人はこんなこと言いそう、思ってそう」というのが白黒なのに鮮やかに、小さな四角の中にすごい説得力で固定されていて。

 私たちがテレビを見ていて、映像から『かすかな違和感や不快感』として受け取ったとしても、でもそれを認知し言語化するだけのセンスがなくて、その時だけのものとして流して忘れてしまう。
そしてテレビが「この人はこういう人ってことなんです!」という「見せたい像」を、ありがたくそのまま深く考えずに受け取ってしまう。

 それをまるで「あの・・落としましたよ」と『見過ごした違和感』をわざわざ拾って声をかけてくれるかのように、ナンシー関は切り取って形にして私たちの目の前に提示してくれる。
 ものすごい観察力と表現力を持った人だと感じていました。

 版画だけではなく、文章も読ませる文体で好きでした。
 『うたたねしていて目を覚まして顔をあげると、いつの間にか日が落ちて真っ暗になっていて、部屋にある数々の家電の小さなランプがポチポチ点灯しているのを見て、多くの家電に囲まれて暮らしていることに気が付いた』というような表現をみて、その様子がありありと想像できて、またそんな一コマを切り取りそこから話を展開していくのを読んで、すごいなぁと思った覚えがあります。
 まだまだお若かったし、版画や社会批評、エッセイだけでなく、もっともっと多方面での活躍もあったかもしれません。

 芸能人、有名人、社会に対する切り口は鋭かったし、手厳しい批評もあったかもしれないけれども、対象者の尊厳や節度は守っておられましたし、
絶妙なラインで切り込むので、読者も気づかされたことに驚き感心はしても不快感は感じることはありませんでした。
 ネタにされた当人たちも、彼女の観察眼、手腕に感服こそすれ、本気になって怒った人っていなかったとおもいます。
本気で反論したのってデーブぐらいじゃないのかしら。
 全国ネットにレギュラーで出るぐらい知名度と影響力のある人が、ナンシー関に対して「深海魚みたいに」などと辛らつな言葉で返すのを、「なんだかなぁ」と思って悲しくみていました。

 ドラマでひょっとしたらデーブのことはスルーするかと思ったのですが、本人へのインタビューとともにちゃんと取り上げられていましたね。

 以前のブログで、ナンシー関が亡くなったのも、個人情報保護法や、テレビでのごり押しが始まったのも、同じ2002年と書きました。

 ナンシー関が亡くなった状況に関して、
ずっと生活を共にして家事などを担ってくれていた妹さんがご結婚を機に離れて暮らすようになり、ご本人が日頃あまり健康に留意せずお酒たばこを続けていたことと、連載を10本も持つほど激務だったこと、
そして、ある晩友人たちとの会食に参加した後、仕事をするために中座し、家に戻る帰りのタクシーの中での急死として描かれています。

 おそらく健康上の問題を抱えていて、そのうえに過労がたたったのでしょう。

 それでも、あれほどの才能を持つ人が亡くなるなんて。

「今ここが、この人が、これが人気なんです!これが真実なんです!これが正しいんです!」とテレビが提供するものを、私たちがなんの違和感も疑問ももたずに、ただただ口を開けて受け取って、黙って言うことを聞いて欲しいと願う者にしてみれば、
裏側も、隠したいものも隠されたものも、淡々と見透かしてぶった切るナンシー関の急死は、願ってもないことだったかもしれません。

 
 もし今の時代を生きていたら、ナンシー関はどんな活躍をしていたでしょう。

 どんどん下品で何でもありになっていくテレビや芸能界や社会に幻滅し、嘆いたでしょうか。
 皆が気づかない違和感について発信しようとして、やめたほうがいいと周りから止められていたでしょうか。
 雑誌や書籍などの既存の媒体だけでなく、ネットやSNSも活用して発信していたでしょうか。
 今の「誰でもが『世界』に向けての発信者になれる世の中」で、彼女はどのような発信をされていたでしょうか。

 青森の親御さんから人の悪口を描くなと諭され「仕返し」を心配されても、「批評だから。これが仕事だから」と姿勢を崩さなかったように、
巨大な「振り子」に立ち向かおうされていたでしょうか。


 ドラマでは最後に不思議なシーンが差しはさまれています。

47:40から
(亡くなって横たわるナンシーさんを見つめる妹さん)
●ナンシー関「まり、ねぇ、まり。ちょっとこっち来て。」「まり、こっちだって」「こっちこっち」
(声に呼ばれて妹さんが廊下に出ると奥のベンチにナンシーさんが座っています)
〇妹さん「おねえちゃん」
(となりに座るように促すナンシー関)
〇「おねえちゃん、死んだんじゃないの?」「幽霊?」
●「はぁ・・まいったなぁ。今夜締め切りの原稿が二つあってさ。申し訳ないことしちゃった」
〇「おねえちゃんは本当に律儀な人だね」
●「ナンシー関の読者を裏切るわけにはいかないからね」
●「そっか、ナンシー関はもうこの世にはいないのか」
●「ああ、あんた、お願いだから版画彫った消しゴムなんて棺桶にぜったい入れないでよね。火葬されたら不完全燃焼で、ゴムの臭いがたいへんなことになるからね」
〇「そういう冗談やめてよ。」
〇「ねぇおねえちゃん、どうして死んじゃったの?」
●「それ本人に質問するってどういうこと?非常識でしょ」
「・・・テレビがつまらなくなったから」
「テレビの寿命がナンシー関の寿命ってことだね」
〇「ほんとに?そんな理由で?ひどいじゃない、おねえちゃん」
(ナンシー関、指を口に当てて)
●「シー 冗談だべさ。」
●「天国でも地獄でもええけどさ。そこってテレビあるべかな?」

2014年・NHK BSプレミアム「ナンシー関のいた17年」https://youtu.be/gzVNnnLn_Gs?si=P3ApOL8-zwPjGMs0

 

 テレビは2002年にすでに死んでいて、今のテレビは操られているゾンビなのかもしれません。

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