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取り返しのつかないことへの恐れからリスクを取らない私 そして解決法は「すぐ近くにある」ことについて

地下鉄の広告 目の下の脂肪除去

 
 働いていた頃私は地下鉄を利用していました。
 
 行きも帰りもけっこう座れることが多かったのですが、場合によっては座り損ね吊革につかまって立っていることもあり。
そんなときに目に映るのが電車の窓ガラスに映る自分の顔。
 地下鉄ですから朝でも昼でも、夜のように自分の顔が映るのです。
 もちろん暗く影が強調されることもありますが、映った顔を見て、
「終わってんなー」と思うことも多々ありました。

 やはり若い頃の顔全体に均等に脂肪の乗ったつるんとしたhハリのある顔と違って、肉が落ち骨格が目立つ部分が出てきたりシワなどもでき、
さらにあのような環境ですから、どうしても凹凸が協調されるのでしょうね。

 ちょうど半年ぐらい前でしょうか、そんな地下鉄利用者に狙いを定めたような広告がありました。
 女性の顔写真を使った広告で、目の下に膨らみがあり、それがあるためにその下に丸く影ができている様子の大きな写真が紙面いっぱいに使われています。
とても感じのよさそうな美人さんなのに、暗い表情で、さらにライティングで目の下のふくらみと影が協調されるように映っています。
 そして、「目の下の脂肪を除去すればこんなに表情が明るく!」みたいな感じでアフターの笑顔の写真も脇に載っていて、
 要は目の下の脂肪除去を勧める美容整形の広告ですね。
当時けっこう大規模に広告展開されていて、女性バージョンだけでなく男性バージョンもあったかと思います。

 確かに、地下鉄に映る顔は時にむごいことがありますよ。
でもね、電車の窓に映る顔って、仕事で疲れ切っているときの、ライティングも上からの最悪のコンディションで、そりゃあ厳しく映ることもありますって。

 地下鉄の窓に映る自分の顔を見て、そしてあの広告を見て、いったいどのくらいの人が目の下の脂肪除去を試みようと決めたのか。

 人によっては、骨格の関係で年齢を経るごとに目の下のたるみが目立ってくる人もいますので、したほうがいい人もいるのかもしれませんが、
私は、今はなぜかなくなっていますが、いっとき、痩せたわけでもないのに目の周りの肉が落ちくぼんで段になってしまって
「ひぇーなんで~~」となったことがありますし、
 一般的に年齢が高くなるにつれて脂肪が落ち、顔をふっくらやさしく見せるのは難しくなると思うので、

言うたら、顔の脂肪なんて財産やん!
なかなか思い通りに戻ってきてくれへんで!
もったいないやん!取らんでいいやん!
と思うのです。

何か「除去」とか「後戻りのできない方法」ではなく、
もっとソフトになんとかする方法を考えたほうがいいんじゃないかと思ってしまうのです。


バッカルファット除去というのを最近知りました

 
 海外セレブがこぞってやっているという「バッカルファット除去」というのを最近知りました。
 どうやらほほの肉を取ってしまう施術のようですね。

 
「バッカルファット セレブ」 とかで検索するとけっこう去年ぐらいの記事が多くヒットします。
 バッカルファットという施術自体は、検索のトップページに2018年のyoutubeの動画が出てくるので、そんなに去年出たばかり!という技術ではないようです。
 
 いくつかサイトを見てみると、海外セレブの「酸っぱいお口」をしたときみたいなガッツリとした取り方でなく、日本の場合の施術は控えめなものが多いようですが、それでも「えええ、取っちゃうの」と思うのです。

 上記の参照リンクからの引用です。

バッカルファット除去は、彫りの深い顔立ちの印象を与える。しかし、頬はイキイキとした若々しい顔立ちをキープする上で大きな役割を果たすため、老けてみえるというリスクもある。実際、アストン医師は、バッカルファット除去への関心の高まりを認める一方、施術を希望する多くの若者に対し、「今は良くても、年を重ねた時に嫌になると思いますよ」とリスクについても言及しているという。年齢を重ねると、顔の脂肪は自然に減少し、より痩せた印象になる。「考えてみてください。お年寄りの見た目の印象はどうですか?頬がこけていますよね」とアストン医師は言う。

最大のリスクは、元に戻すことができないということ。「特にモデルのように元々かなり痩せている人は、25歳のときに脂肪を取ると、頬の輪郭がきれいになったように感じるかもしれませんが、問題は、私たちが日頃行っている施術とは異なり、元に戻すことはできない点にあります。脂肪除去により、空いた頬の隙間をフィラーでうまく埋めることはできません。脂肪移植で埋めることもできないのです」とアストン医師は言う。

出典:

The MAJOR downside to the latest celebrity plastic surgery trend

'You can make a 25-year-old look 45 with a 15-minute procedure' — the pros, cons and risks of the latest celebrity cosmetic surgery craze

ヨガジャーナル オンラインhttps://yogajournal.jp/16847 


 調べていたら、バッカルファットという部分を除去したためにかえってその下がたるんでしまった人に対して脂肪注入を施したという記事もありました。


人相学でのほほ

 たるみが気になったり、また若い人で、体はほっそりしているのにお顔の肉付きのいい人は実際より太って見られがちなため、つい「取りたい」と思ってしまうのかもしれませんが、

人相学ではほほの肉は「情」を表し、ほほの肉付きがいいのは愛情深いことをあらわすようです。

〇ホホのパーツ
 ホホ骨は褒められたいという気持ちで頑張ります。意地も張ります。
世間へ出ていく力を示します。
 ホホ肉は、仲間に愛されたい気持ちが強く、つるむのが好きです。結婚すると妻より友人重視になりがちです。
 奴僕(どぼく)は目下の面倒みたい人です。人徳の有無はここで見ます。
 エクボは愛嬌をふりまく人です。              P54

〇愛するより信頼されたい
 ホホ骨が張って、口の横のホホ肉がない人は「愛されるより信頼されたい」という人です。                     P55

〇ホホ肉
 ダイエットをして人柄が変わった人がいます。その人はお子さんが小学校に入ったので、ご主人の衣料品店を手伝うようになりました。ふっくらしておだやかな人だったのに、ダイエットをしてホホのぜい肉ナシ。眼光鋭く時々目を細めてものをいいます。
 その人の店では店員さんに売り場を任せています。当然ノルマがあります。店員さんはノルマを果たすために自分の売り場から自分の服を買います。二年ぐらいたつと春夏秋冬の服を買ってしまいます。買う服がなくなると店をやめます。店側の思う壺だそうです。店は繁盛していますが、私はため息がでました。                     P55-56

〇奴僕
 口の横あたりに肉付きがあると、頬がふっくらして見えます。
 この場所を奴僕といいます。面倒みたい気持ちや弱者を助ける気持ち、人徳などの意味があります。
 肉付きがブルドッグのようにあるとボスの相です。
 自分を頼ってくる人を見捨てませんが、さからうと逆にやっつけようとします。                           P56

やすこ 顔占い 運が開ける人相術 (旧版)

 
 ※この本では奴僕は(どぼく)となっていますが、人相学の本によっては(ぬぼく)となっているものもあります。

 この本の引用部分を読むと、ダイエットして人柄が変わってしまった衣料品店の奥様の話が出てきます。
 これを読む限り、ホホの肉を手術で取ってしまうと、性格、人格も変わって、優しい性格だったのが冷たく自分本位になってしまうのではないかと思います。

 ちなみにこの本の「整形」について書かれた部分ではこう書かれています。

〇整形で補う
 整形でもホクロ取りでも、シミ取りでも、傷にならなければいいのです。
 整形手術は運勢にどのように影響するでしょうか。
 気に入った姿になって、自信を持つのが整形手術のメリットです。
 美容整形でより美しくなって自信がつくと、性格が変わります。もとの性格が弱気であれば明るくなります。
 元の性格が強気であれば益々強引になります。当然、運勢に影響するはずですが、どのような影響があるか人それぞれです。      P91-92

〇気をつけたい鼻の整形
 鼻は自分自身を示します。整形前の鼻が本来の自分です。整形すると生地が加工されるわけです。
 整形後は、本心とは別の選択をしがちになります。これがストレスになるかもしれません。鼻の手術は成功しても、本来の自分の思いとズレができやすいです。                         P92

〇美しい表情
 ソバカスの多い人ですが、笑顔の美しい人に会いました。ソバカスは気にしなくてもよいのです。美しい表情は補相です。整形するより確かな補相だと思います。                        P92

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「どのような影響があるかは人それぞれ」とありますね。
 本人がやりたいと思うのならリスクを考えたうえで自由に試してみていいのかもしれません。

でも、おばさんからしたら、ハリのあるホホなんてあふれんばかりの若さの象徴ですし、
また私自身、若い頃から顔の肉付きがよかったのですが、そのせいもありシワができるのは若干遅めではないかと感じているので、
セレブがしてるから、とか、痩せて見られたいから、とかいう理由だけで決めるのではなく、
「本当にしたいの?」ってそれこそ自分の本当の快・不快を「魂」に聞いてみるのが必要ではないかと思います。

 年を取ってから振り返ると、
そのときはものすごく重要に思えて、「なんとかしなきゃ」とあたふたしてしまったことも、あとから考えると「なんであんなに必死だったんだろう」と後で呆れることは多々あります。
 いやほんまに。
 いったい何に振り回されてあんなに必死になっていたんだろうと。
 
 「振り子の法則」では、過度の重要性は必ず揺り戻しを引き起こしよい結果にならないとあるので、「振り子」に振り回された結果浮足立って重要な決断をしてしまおうとしているのではないかと、「重要性を放り投げてみる」のはとても大切だと思います。

  

リスクを取らない私

 
 美容整形の広告を本当によく見かけるので、儲かっている、つまり施術を受ける人も多いのでしょう。
みんな勇気があるなぁ、ちゃんとリスクが取れるんだなぁと半ば感心してしまいます。

 人の手にゆだねて、万が一失敗してしまったりしたら、あとで謝られてもどうしようもないと思いますし、
特に今話題になっている「バッカルファット除去」なんて後戻りできないのですから、
眉毛の形ですら流行が変わってしまったと言ってアートメイクを後悔する人もいるのですから、本当に慎重にしたほうがいいと思うのです。

 
 ただ、私のリスクの取らなさ加減はひょっとしたら普通の人からしたら極端かもしれません。
 
 昔よく扁桃腺が腫れて熱を出すことがあり、耳鼻科医に切除手術を勧められたのですが、「手術して入院」というのがどうにも怖くて気が進まず、直前でキャンセルしたことがありました。

 また、昔から歯並びをキレイにしたいと思っていて、その準備のために親知らずの抜歯までしたのですが、
その後、矯正がうまくいかなかったり、もとに戻ったり、骨格が変になり身体がつらくなったり、顔が間延びしてしまったりなどの失敗例を見ると、「失敗するよりはいいか」と断念。
 そしてまた歯の綺麗な人を見ると歯並びを治したくて、でもやっぱり決心がつかなくて、というのを定期的に繰り返しています。

 まあ、やりたくてもやれなかったのは、そのときはやらなくて良かったのだと思いたい。
 

 リスクの少ない現実的な方法としては、抜歯などをせず、気になる前歯の並びだけを部分矯正で整えて、歯の色がもともとよくないので、歯の表面を削らずに貼るタイプのもので色調調整をしたいと思っているのですが・・・。

 先日「永久歯が生えてくる治験を開始」というニュースを見ましたが、


 一方で、youtubeでは「歯が生えてくる動画」というのは前から転がっていましてね。


 こういうのを聞いていると、気のせいなのかもしれませんが、なんだか歯がムズムズしてくるから不思議です。

 
 以前読んだ引き寄せ系の本で、「歯並びも整った」というのを読んだことがあります。
これは勝手に歯並びがキレイになったというのではなく、何回矯正を繰り返してもひどく後戻りしていたのが、整ったまま戻らなくなった、という事例だったと思います。

 また、歯並びではありませんが、奥平亜美衣さんだったでしょうか、
自分が心から幸せと思える日々を過ごしていたら自然と後遺症がよくなっていたというエピソードを拝見したと思います。

 そんなわけで、何か大々的にチャレンジしなくても、本当に身近なことで変わったり治ったりということは往々にしてあるようです。

「振り子の法則」ではゼラント氏が理系の人らしく「たいていのことは最小限の労力で事足りる」ことを説明してくださっています。

自然は最初から完成されている。そのため、小流には、理性による最も懸命な考察と比べて、ずっと多くの合理性と論理性がそなわっている。理性が常識的な思考にどれほど自信があったとしても、やはり理性は間違いをおかすのである。しかしながら、もし理性がその熱意をほどほどに抑え、自らの積極的な干渉なしに問題が解決されることを可能な限り赦すとすれば、理性による間違いはずっと少なくなるだろう。これは、状況と少し距離を置く、と表現できる。言い換えると、状況を抱え込んでしまわず、コントロールを弱め、流れを妨げず、周りの世界により大きな自由を与えるということだ。
 世界に圧力をかけることは無駄なだけでなく有害でもあることを、あなたはすでに知っている。流れと折り合いをつけないでいると、理性は過剰ポテンシャルを作ってしまう。そこでトランサーフィンはまったく別の道を提案しているのだ。第一に、過剰ポテンシャルの圧力を上げながら障害を作り出しているのは、私たち自身。だから重要性の程度を引き下げればよい。そうすれば、障害はひとりでに消えてなくなる。第二に、もし障害が解消されないのであれば、それと闘うのではなく、脇を迂回すればよい。この際、助けてくれるのがサインなのだ。
 理性による災いはほかにもまだある。それは、理性が、自分のシナリオに載っていない事柄を障害としてとらえる傾向を持つことから来る。通常、理性はすべてを前もって計画し、計算する。もしその後で予期せぬことが起こったら、それを自分のシナリオに取りこもうとして、それと激しく闘い始める。結果として、状況はますます深刻さの度合いを増す。理性は、その事柄を予定に組み込んでおく能力を持っていないことは明らかである。だから流れにもっと大きな自由を与えることが必要となってくる。流れは、あなたの運命を破綻させることに関心はない。ここまで読んで、これはどうもつじつまが合わないと、あなたは思われるかもしれない。しかし、運命を破綻させるものは、理性が取る不合理な行動のほうなのだ。
 理性の観点から見た合理性とは、用意したシナリオ通りにすべてが進んでいくことである。折り合いの付けられないことはすべて望ましくない問題として受け取られる。とにかく問題は解決しなくてはならない。そのために理性は非常に熱心に取り組む。そして、その過程で新たな問題を作り出す。このようにして、理性自身が自分の進む道の上に障害を山と積み上げるのだ。
 自分自身で考えてみていただきたい。人が幸せで、喜びを感じ、自分に満足しているのはいつだろう。それはすべてが予定通りに進んでいる時である。何かがシナリオから逸脱すると、それは失敗とみなされる。内的重要性は理性がシナリオの狂いを受け入れることを許さない。理性は思う。「私は前もってすべてを計画し計算した。自分にとって何が良くて何が悪いのかもよく知っている。私は道理をわきまえているのだから、」人生はしばしば贈り物をもたらすのに、人々はそれをしぶしぶ受け取る。なぜなら、その贈り物が予定外だったからだ。「私が欲しかったのは、こんなおもちゃではない!」現実はと言えば、予定していたものとぴったりのおもちゃをもらえることは滅多にない。だから、みんな苦虫をかみつぶした様な暗い顔や不満そうな顔をして歩いている。さあ、ここで、もし理性が自分の重要性のレベルを引き下げて、シナリオからの逸脱を認めたとしたら、人生がどれほどたのしいものになるか、想像してみよう!
 人それぞれが自分の幸せのレベルを自分で調整することができる。幸せのレベルの最低のハードルを、大部分の人々はかなり高く引き上げている。だから、自分が幸せだとは思わないのだ。今ある状態で満足すべきということを言いたいのではない。「幸せになりたければ、そうなったらいいではないか」という怪しげな文句も、トランサーフィンにはふさわしくない。あなたは自分のおもちゃを手に入れるだろうが、これについては後日述べることにする。今話しているのは、いかにして不快なことから逃れ、問題の数を減らすことができるかということである。
 自分のシナリオからの逸脱を望まないという理性の在り方こそが問題である。なぜなら、バリアントの流れの小流に潜んであらかじめ用意されている解決方法を、理性が自身が活用できなくなるからだ。すべてをコントロール下に置きたいという理性の偏執狂的な傾向が、人生を流れとの絶え間ない闘いへと変質させている。流れが理性の意志に従属することなく、自分のテンポで進むことを、果たして理性は許せるだろうか。さあ、ここで私たちは理性の最大の過ちに近づいてきた。理性は、バリアントの流れに沿った自分の動きではなく、流れそのものを制御しようとするつもりなのだ。これがあらゆる問題や不快な事柄が発生する主な原因の一つになっている。
 自然の法則にかなった小流は最小限の抵抗で済むルートを進むため、問題や障害を生み出すはずがない。それらを生み出すのは、聞き分けの悪い理性の方である。見張り役の働きを活発化させたうえでたとえ一日でもよいから、いかに理性が流れを制御しようとしているかを観察してみよう。何かについて意見されたら、あなたは拒否する。何かを知らせようとしてきたら、あなたは首を横に振る。誰かが自分の見解を話してくれると、あなたは言い争う。独自のやり方でやっている人がいたら、あなたは正しいやり方についての教訓を垂れる。解決方法を提案されたら、あなたは反論する。あるものを期待しているのに別のものをもらったら、あなたは不満を口にする。誰かが邪魔をしたら、あなたは猛然と腹を立てる。何かがあなたのシナリオと食い違ったら、必要とされる水路へ流れそのものを向けようとして、あなたは正面攻撃に打って出る。おそらく、あなた個人にとっては幾分違うことが起こっているのだろうが、それでもとにかくそれぞれに一理ある。そうではないだろうか。
 さて、ここでコントロールしようとするたずなを緩めて、流れにもっと自由を与えてみよう。すべてに同意し、すべてを受け入れるように、と提案しているわけではない。ただ戦術を変更し、コントロールすることから見守ることへと重心を移すよう提案しているのだ。コントロールしようとせず、なるべく見守るようにしてみよう。首を横に振る、反論する、言い争う、自分の説を立証する、干渉する、取り仕切る、批判する、などの行為に性急に出てはならない。あなたからの積極的な介入や抵抗なしに状況が解決されていくよう、猶予を与えてあげよう。きっとあなたは、呆然自失とまではいかなくても、大変驚くに決まっている。まったく逆説的なことが起こるだろうから。コントロールすることを諦めることで、あなたは状況に対してこれまで以上に大きな監督権を手に入れるのだ。岡目八目、すなわち外部の観察者は、直接参加している者よりも、常に優位にあるということになる。自分をリースに出そう、と常々私が繰り返している理由はここにある。
 振り返ってみると、あなたによるコントロールは流れに逆らっていたことが納得いくだろう。他者からの意見は、故あってのことだった。そもそも言い争う必要はなかった。あなたからの干渉は余計なことだった。あなたが思い悩んでいた障害は、決してそのようなものではなかった。問題はそのままにしておいても、あなたの知らぬ間に、うまく解決されされる。あなたが期せずに受け取ったものは、そんなに悪いものではない。偶然に投げかけられた言葉は、本当に力を持っている。あなたの魂の不快は警告となる。あなたは余計なエネルギーを使うことなく満足していられる。これこそが、私が冒頭で述べた、流れから理性に与えられる豪華な贈り物なのだ。
 さて、以上述べたすべてのことに加えて、私たちの「仲間たち」についても思い出してみよう。流れと折り合って進むことを振り子は邪魔する。振り子は人が一歩進もうとするたびに挑発してきて、両手で水面を叩きつけるよう仕向ける。流れの中にある小流の存在は、小流自体が最小限のエネルギー消費で動くという単純な理由から振り子にとっては許容できない。人が流れとの戦いで消費するエネルギーは、過剰ポテンシャルの発生源と振り子の動力源として利用される。内的重要性と外的重要性のレベルをコントロールすることこそ、非常に大切なことなのだ。この重要性を与えるということが、理性が状況から少し距離を置こうとするのを妨げるからだ。是非このことを忘れないでいただきたい。

ヴァジム・ゼランド著 「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン 幸運の波・不運の波 P324-329


 引用が長くなりましたが、「振り子」「理性」「魂」「サイン」「状況と少し距離を置く」「重要性を引き下げる」「小流は最小限のエネルギー消費で動く」などのキーワードが出てきました。

あるひとりの女性を想定して架空のストーリーを作ってみたいと思います。

 ★★★
 子供もようやく手が離れたのでフルタイムの仕事をしている。駅に着いたら急いで買い物をして帰宅し、夕飯を作らなくては。
地下鉄の鏡に映る自分の顔は、疲れからか表情も暗く影が目立つ。隣の若い女性と並んで映るのがうらめしい。
 ふと目を上げると美容整形の広告が目に入った。自分と同年代の女性だが、この人も目の下のふくらみと影が目立つ写真だ。広告は目の下の脂肪を切除するだけで見違えるように若返るとして、同じ女性の晴れやかな明るい笑顔の写真も横に載せている。
「このぐらいの金額でできるのか」「みんなやっているのだろうか」
 
 実は、美容整形の広告は「振り子」のゆさぶりである。
もうこの女性はしばらくこの広告のことが頭から離れないし、一度施術を受けてくれれば「メンテナンス」としてこれからもずっとお金というエネルギーを投入し続けてくれることになる。
 
 いつものように買い物をすませ食事を作りながら、頭では整形手術のことを考えている。
 費用は大丈夫そうだ。会社は有給でなんとかなるだろうけれど、手術の後すぐ働けるのだろうか。電話して聞いてみようか。家族には何と言おうか。
 もうこの時点で女性の目的は「若返って美しくなること」ではなく、その手段のひとつにしか過ぎない「手術」を遂行することが「理性」で決まってしまっている。
 本来「小流は最小限のエネルギー消費で働く」ので、ほかに楽で簡単な方法があるのだが、
金額、時間の捻出、手術のリスク、仕事の段取り、家族の同意などてんこ盛りの課題を乗り越えなければならないものをわざわざ選択しとらわれている状態。
そして「理性」はこれらを重要事項とし、自らの力で障害を克服しようとしている。
 
 次の日の朝もまた電車で同じ広告を目にする。
スマホをチェックしていると、有名芸能人が手術の経過が思わしくなく再手術をすることになったとのニュースがトップに載っていた。
「やはり手術は必ず成功するというものではないのね」
一つ目のサインである。

 同僚とお昼を食べていると、「肩こりがひどかったのが、わきの下や腕をもむマッサージの動画をまねしてやっていたらよくなったの」と話を聞いた。「直接肩をもまなくても効くの?」「けっこう1週間もしないうちに楽になったよ」
そうなんだ、やってみよう。これが二つ目のサイン

 教えてもらった動画をやってみると、普段滅多に触らないわきの下やその下あたりというのは想像以上に縮んで固くなっていて、さすったりもんだりするだけでとても気持ちいい。
最近ちゃんと身体のケアをしてあげてなかったな。
風呂上りには毎日続けるようになっていた。
 
 関連動画で「ストレートネックを解消する」というのも出てきた。そういえば一日パソコン仕事だし、電車の中ではスマホを眺めていて、
他の人を見ていると「そんなにして首が疲れないの?」と思うほど首を前に突き出したり不自然にあごを引いたりしてスマホを見ているのだが、きっと自分も同じなのだろう。
そのストレートネックを解消する動画も併せてやってみることにした。
 
 肩こりもよくなったし、頭の血行がよくなったのか、顔色が一段明るくなったようだ。
 同じ人が顔のマッサージの動画も出していた。あまり力を入れず手のひらを密着させて動かすだけなので肌にも負担がなさそうだ。手持ちのオイルを顔につけてそれもやってみることにした。

 仕事が立て込んでなかなか休みも取れそうになく、有給を取って手術を受けることはいつの間にか忘れていたけれど、気が付いたら、気になっていた目の下のふくらみやその下の影も目立たなくなっていた。
 そのうち、その美容整形の広告はフィットネスクラブの広告に入れ替わり、手術を受けようと思っていたこと自体も忘れてしまっていた。
                           ★★★★★

 ときに、「振り子の挑発」に乗って、同じ目的を叶えるためならば、もっと楽で簡単な方法があるはずなのに、それがまったく考えつかなくなって、周りの意見も耳に入らなくなってしまうことがあります。
上には書きませんでしたが、女性が旦那さんに相談して反対されたりしたら女性の「理性」はますます何とかしようとして言い争いになっていたかもしれません。

 最悪の場合、
 旦那さんとの仲はまずくなり、強行して手術を受けたけれどなかなか腫れが引かず職場にも迷惑をかけ、手術の結果も思わしくなく、また受けなおすことになって費用がかさみ、 と、振り子の「誘導転移」はそのくらいのことは平気でやってくるかもしれません。

 もちろん手術が必要な人もいるでしょうし、本人が、十分満足して幸せを感じられればそれでもいいのでしょうが、

この量子物理学者がいう「小流は最小限のエネルギー消費で働く」というのは、昔から言われている「案ずるより産むがやすし」みたいですが、心にとめておいたほうがいいと思うのです。
 結局女性は、何度か訪れた「サイン」を見逃さず、マッサージという「魂」が心地よく喜ぶようなことをすることで、当初の懸念だった「目の下のふくらみ」が気にならなっただけでなく、肩こりを解消し顔色も明るくなりストレートネックもよくなってしまいました。
 「振り子のゆさぶり」によって理性が決めた「手術を受けること」よりもはるかに安全で、リスクも少なく、数倍ベネフィットがあるという、目的達成への最短経路の「小流」を「魂」は知っているのです。


実はかくいう私も、
こだわりが強く、自分が「理性」で決めたことは遂行せねば、と思ってしまいがちなタイプで、くだらないことに必死になったり、思い込みが激しかったり、これまでたくさん失敗をしてきました。

これからどれだけ重要性を手放して、振り子を手なずけ、深刻になりすぎず「ちょっと状況に距離を置く」ということを習慣にすることができるか。

 偉そうにいろいろ書きましたけれど、そういうしがみつきやこだわりをこれからどんどん手放していきたいと思っています。

 そして今日ここでこれを書いたことで、私がキレイな歯並びを手に入れるリスク最小限で最短の「小流」につながる「サイン」がくればいいなと思っているのです。


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