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夏至の前でやる気があまりでないなか、それぞれの信じる宇宙について思うこと


長く眠れるようになったけれど

 
 今日は雨、久しぶりに涼しいですね。

 働いていた時は、夜11時か12時に寝て朝4時前に起きるという毎日4,5時間の睡眠で、土日も寝だめしようにも同じぐらいで目が覚めてしまっていました。
 仕事を辞めてからもなかなか長く眠ることができず、まあこれでいいのかな、と思っていましたが、最近になって7,8時間眠れるようになりました。
 別に今まででも「寝不足」とは感じてはいなかったのですが、やはりこのぐらい眠ると「よく寝た」という感じがします。

 ところが、こうして睡眠時間が長くなったからでしょうか、なんだか何も満足にできないような落ち着かない気持ちで、
昨日は思い切ってnoteを書く以外はすべての「やらなきゃ」をやめて、ダラダラyoutubeを見たりしていると、少し取り戻した感じ。

 実はこのところnoteを書いていても、「毎日書くって決めたから何か書かないとね」みたいな感じで、本当に書きたいことが書けていない感じ。
最近暑くなってきたのもありますし、
そしてもうすぐ夏至なのですね。

 夏至や冬至や立春や立秋など、昔は意識することもありませんでしたが、歳を取るにつれて、やっぱりこういうのってなにがしかの節目なんだなと感じます。

 
 前の「妖術使い」がいる会社で、
わざわざ「夏至」をはさんだ前後3日間、まったく関係のない別セクションの仕事に対し、かなり遅くまでの残業の打診をされ、
「やめておきます、夏至ですし」と言って断って、自分でも意味不明なんですが、とりあえず残業せずに済んだことがありました。

今から思えば、「夏至の日」に何か食べさせたかったのでしょうね。
 
けっこうこういう節目のときは油断ならない感じがします。
 

 

繰り返し思い出す理不尽


 そういえば5年前の夏至の日は日帰りで鳥取まで行きました。
働き始めで自由になるお金もない中やりくりして。もうあれから5年も経ったんですね。良く晴れた日でした。

 朝いちばんに飛行機で鳥取へ、バスで移動して美保神社にお参りしてからさらに移動して会場へ。
 せっかく楽しみにしていったのですが、
公演終了後、サインをもらうために並んでやっと対面できた主催者からは、なぜか唐突に皮肉めいたことを並んでいるほかの皆さんの前で言われて、
ちゃんとサインはしていただきましたが、なぜ、初参加で会場の中の大勢のうちの一人にすぎなかった私にあんなことを言われたのか、今でも忘れられません。

 公演中、会場の私のすぐ後ろの席でいつまでもひそひそとおしゃべりをやめない年配のカップルがいてそれにイラついてはいたものの、
別に何も言わずに静かに鑑賞していたのです。
 主催者の方は何か察知する能力に長けていて、他の観客と比べて私の集中力、「ファン度」が足りないとか思われたのでしょうか。
 
 それでも、わざわざ遠くから来てなんでこんなことを言われないといけないんだろうと、情けない思いで炎天下、とぼとぼとバス停まで歩いた歩道が雑草だらけだったのが今でも思い出せます。

 私にはこういったことがよくあります。
お金を払って「お客さん」という形で参加しているのに、理不尽なことを言われたり、扱いを受けたりということです。

 以前はこの5年前のエピソードのように皮肉のようなことを言われたり、恥ずかしい、ひどいと思うような目にあうことが多かったです。
気持ちを揺すぶられて取られる感じでしょうか。
木の実じゃないんやで。

 最近では逆に持ち上げられたりすることが多いように感じます。
何人もに寄ってたかって「次回も来るように」と私にだけ何度も念を押されるようなことがありました。

 先日の「お茶会」のこともありましたし、もう何か興味のあることがあっても安易に参加するのはやめておいたほうがよいのかなと感じます。

 
 私自身は、霊感や霊能力などもなく、あるといえばものすごくニッチな感覚が優れているだけですが(説明するのはとても大変)、
どういうわけか、「やってくれたね」と私が思った人は、その後仕事を失っていることが多いのです。
 自由業の人が多いのですが、いつの間にか職を変えていたり、複数あった職の1つを失ったり。
 副業の大学の講師の仕事を失った人もいましたし、地方ラジオ局のパーソナリティの仕事がなくなった人もいました。

 私はその人たちに文句を言ったり抗弁したりしたことはありません。
 いつも、「くやしいのぉ、理不尽やのぉ」と思うだけ。
そして後々まで思い返しては悲しい思いをしたり。
最近は、以前のように繰り返し思い出すことはなくなりましたが。

そしてもちろんその人たちが職を失うことなど全く意図していないので、私のせいではなく偶然だとは思うのですが、やはり頻度が頻度なので気にはなるところです。


ひとり一宇宙


 少し前にyoutubeで、有名なyoutuberの方と霊能力者の方のコラボ動画を見たのですが、
かなり前にネットでまとめられていた、もともとは掲示板に投稿されていた長編エピソード、子供の頃の不注意がきっかけでやむなく「妖怪退治」の道に進むようになった人が話していたことと同じようなことをおっしゃっていて、興味深かったです。
「本当にそういう世界があるんだ」と。

 今ではほとんど人が察知することのできなくなった妖怪などが分かる人もいる、幽霊が分かる人もいる、除霊のできる人がいる、天使とお茶会をする人もいる、大天使にエーテルコードカットをお願いする人もいる、神様の声が聞こえる人がいる、キツネさんなどの眷属が見える人がいる、まったく現実に見える世界しか信じない人がいる、幽体離脱が自在にできる人がいる、宇宙人と定期的に会う人がいる、霊的世界はあるとしても宇宙人は否定する人がいる、自分はプレアデスからとかシリウスからとか言う人もいる・・・
 
 見えない世界や不思議な世界に対する捉え方は本当に人それぞれです。

  
 同じように神様を信じていても「神様に『呼ばれた』ので〇〇神社に行きました」と言う人と、「神様は高いところにおられて声は下に降りてくる間にかき消えて聞こえない」と言う人とがいます。 

 稲荷社に行けば境内にむきゅむきゅのかわいい子ぎつねがいっぱいいるという人もいます。
私は以前『修行中の子ぎつねさん』を預かったご夫婦の話の本を読んだことがあります。「耶蘇のドラムが好き」と、確かX JAPANの音楽がお気に入りのきつねさんの話とか。かわいい。

 そもそも神様を信じない人、初詣だけ行く人、習慣として神棚のお世話はする人、神様を信じていたけれど何度手を合わせても困ったときに助けてくれなかったからもう二度と神様には祈らないと誓った人、神様の力とご加護を信じていて神社へのお参りを欠かさない人、神様は自分で名乗ったりしないので「神様だ」と名乗るものは偽物だという人、神社は神域・聖域だという人、神社は神様を封じる場だという人、神様が神社にとらえられているので自分が封印を解いて回っているという人、
 ・・・神様だけでもとらえ方は様々で、
さらに神社の参拝の仕方や「産土神社」の判定も人さまざま、

 霊や妖怪などの話も加えるとさらに話は広がります。

 霊の話で言えば、佐藤愛子さんの「私の遺言」もすごかったですね。
アイヌの霊になかなか許してもらえず超常現象が立て続けに起きる。その信じがたいような体験を直木賞作家が語るのです。
(最近90歳以上で活躍されている方を取り上げていましたが、佐藤愛子さんはなんと今年101歳ですね!!直近の出版が2023年11月だそうですから、今でもお元気で執筆活動を続けておられるのでしょう)

 そして近年になって取り上げられるようになった、波動や周波数やアカシックレコードやゼロポイントフィールドなど・・・

 「見えない世界」は果てしないです。
 

 よく「盲人が寄ってたかってゾウをさすってどんな生き物か言い当てる」という寓話がありますが、
それにしたって「見えない世界」のことに対して人によって言うことがそれぞれで、誰を信じたらいいのかわからない状態です。
 そして昔のように作家や有名人など一部の限られた人だけでなく、ブロガーやyoutuber、果ては一般人までがSNSで発信するのですから。

 私がこのブログで書いているように、「振り子」やバンパイアに振り回されて日々煩わしい思いをするものもいれば、
そんな不審な目にあったことはないと、自覚のない人も多いかもしれません。

 実は私は何度か、良い意味でも悪い意味でも「神様はいらっしゃる」と確信することが何度かあり、それはとても不思議な体験でしたが、単発的なもので再現性があるものではなく、人に話しても「偶然でしょう」と言われてしまうかもしれません。

 そして「私には霊感はない」と書きましたが、
一時期、家の中で不気味な黒い塊のようなものが見えたり、なにか猫ぐらいの大きさのものが「どすっ」と音を立ててキッチン台とゴミ箱の間に逃げ込むのが見えたことがありました。
「・・・こんなこともあるさ」と流しましたが。

 

 こうして不思議なことを羅列して、何が言いたいかといいますと、

 いつか誰かに、どうして私がこんな、釣りあげられまいとする魚のような思い、職場で執拗に飲食を強要されたりなどの目に合わないといけないのか、私が体験した様々な不思議なことはなんだったのか、
誰かすべてを正しく知っている人に道理を説明してほしいと思っているのですが、
こうして書いてみると、どうも無理そうです。

 
 神様のことでも、中にはでたらめを言って「飯のタネ」にしているかもしれませんが、
ほとんどの人は心からそう信じて、その人の中ではそれが確固としたものとしてとらえていて、
それがこれだけのバリエーションがあるのですから。


 
「振り子の法則」シリーズをはじめ、量子力学をベースにした現実創造の話では、よく「意図したものが現実化される」と言われます。

 これに関しては、たとえば職場での不快な思いなど「私はそんなものは意図したりしていない」と思えるものもありますが、
一方で、たとえば近所の人の目障りな行動など、自分が注意を向けているうちは一向に止む様子がなかったのに、「そんなの気にしてる場合ではない」とこちらの意識がそれたとたんその行動が止んだということもあったので、
自分の意識や意図が、現実に起きる事象と全く無関係と言い切ることもできないのです。

 
 「見えない世界」は広大なもので、
皆がその広大な暗闇に自分の身の丈に応じた光量のライトを当てて、そのライトの当てる向きも様々で、そして「あれが見えた、これがそうだ」と言っている。
 そしてそれは現実に投影される。
その結果皆それぞれ自分の信じるものに応じた体験をして、ますますその作り出した世界を信じていく。

 

 きっと誰かに教えてもらおう、助けてもらおうとしてもダメなんでしょう。
 ひょっとしたらいい話が聞けるかもぐらいに思っていった先日の「お茶会」がえぐかったので、もう誰も信用できる気がしません。

 自分で考えて自分で行動して、自分が持っているライトの光量を上げて暗闇の中をできる限り目を凝らして「見えない世界」を垣間見ないといけない。

 ですがもし、自分がライトを当ててみたものが現実として投影されるのであれば、
食べ物を食べるように強要するような人はおらず、もちろん食べたからといって何も起こらず、理不尽なことを言ってきたりやってきたりする人もおらず、あたりまえの礼儀正しさと親切でおだやかに交流できる、エネルギーを取ったり取られたりの殺伐とした関係ではない、安定した信頼のおける関係を築ける、
こうした世界を意図したらそれが現実化されるのでしょうか。

 「振り子の法則」では、振り子の力は絶対的で、個人ではけっして打ち勝つことはできず、できることはただかわしてやり過ごすのみ。
 なので、どれほど理想の現実を意図しても、これまでどおり注意深くやっていかなければ足元をすくわれるということになります。


2025年への「期待」


2025年のことはもう書かないと書いたのですが、少しだけ。

 よく2025年に何かが起こると言われますが、
なぜか皆共通して「たいへんだけどその後はとてもすばらしい世界が待っている」といわれることが多いようです。

 これはまったくの憶測なのですが、ひょっとしたら2025年に、私たちのエネルギーをゴンゴン吸い上げていた「振り子」の親玉のようなものが壊れるとか、何かエネルギー収奪に関して変化があるとか、そういったことはないのでしょうか。

 私たちが「本来の人生の目的」に向かうことができずむなしく浪費するエネルギーが大好物の振り子、その振り子が私たちからエネルギーを分捕ろうとして、人生の目的を見えなくして妨害したりはげしく揺さぶったり陥れたりするので、私たちは翻弄され失意し、無駄にエネルギーを消耗します。
 
  この「振り子」の妨害がなければ、私たちはもっと楽に軽やかに生きられるはずなのです。

 
 モンスターズ・インクという映画があります。
モンスターの世界の電力は人間の世界の子供の「恐怖」が動力になっていて、そのため電力会社には凄腕の怖がらせ屋のモンスターが揃っていて、夜な夜な子供部屋のクローゼットから忍び込み、人間の子供を脅かして悲鳴をあげさせ電力を奪います。

 ですが、怖がらせ屋モンスターペアのサリーとマイクが、幼い人間の女の子ブーと交流を深めるうちに、「恐怖」よりも「笑い」のほうがダントツに高いエネルギーであることがわかり、
その後は子供たちを笑わせてエネルギーを頂戴するようになる。

 この映画は大好きなのですが、
本当にこんなことが起きたら、などと思うのです。

今までマイナスのエネルギーを糧にしてきたような存在はなぜか滅びていく。

今あまりにも今なりふり構わない人が多いので、本当にそんなことが近々起こるかもしれない、
少なくとも私一人だけでもそれを意図していこうと思います。


 

 



 



 

 


 


 


 

 

 

 


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