「願望実現の法則」を読んで 「守護天使」って「神さん 仏さん」のことですよね きっと

守護天使


 よく、「守護霊」とか「守護神」とかいう言葉を聞きます。
常に見守り守護してくれる存在がいると思えるのは、心強いことです。

 あんまり守護霊、守護神とかは信じない方でも、
神棚をお世話したり、近くに神社があればときどき立ち寄って手を合わせたり、またお仏壇にお花やお菓子をお供えしたり、
「いや、こういうのは別に宗教じゃないですよ」ぐらいの感覚で、何らかの「感謝の機会」を持っている人は、日本人なら大勢いるのではないでしょうか。

 どうして神社に行ったりお仏壇の前で拝んだりしてゆるく感謝の機会を持っている人が守られていたり運河よかったりするのか、
「振り子の法則」シリーズのヴァジム・ゼランド氏が、シリーズ第2巻の「願望実現の法則」を読んで「そういうことか」と思ったところがあったので、今日はそれについて書きたいと思います。

守護天使
人の魂は守護天使が守ってくれていると、多くの人々が信じている。もしあなたが自分の守護天使を信じているのなら、それはとても結構なことだ。それはつまり守護天使は存在するということになる。あなたは守護天使について考え、期待し、感謝する。こうした思考が守護天使をリアルなものとし、その存在に疑念をさしはさむことができない。バリアントの空間にはすべてがある。もし想念が独立したエネルギー情報体を作り上げるという考え方があなたにとって好都合なら、そう考えることも可能だ。あなたが守護天使を心から愛し、どんな些細なことに対しても感謝を示すと、守護天使の存在は確固たるものとなり、それによって彼らはますます大きな支援の手をあなたに差し伸べるようになるだろう。結局のところ、守護天使が独立して存在するのか、それともあなたの想念によって作り上げられたのかは、大した問題ではなくなってくる。
 ではもし守護天使を信じないとしたら、それによって悪いことは何も起こらない。信じないほうがあなたにとって心安らぐのであれば、それはそれですべては平穏無事だ。つまり、信じるものを受け取るということだ。私があなたの立場だったら信じることにするだろう。ひょっとしたらあなたが信じるかどうかとは関係なく、守護天使が存在していて、あなたをいとしく思い、できる限り心配してくれるのに、あなたの方は、守護天使のことを忘れ、放っているのかもしれない。守護天使にはあなたからの愛が足りないため、次第に弱っていき、エネルギー不足になり、自分が保護すべき人を助けてあげられなくなる。その一方で、あなたは自分のエネルギーを様々な破壊的振り子たちに分け与えている。振り子たちもあなたを助けてくれる場合があるだろうが、それはそうすることが振り子の利益にかなうからだ。本来は、破壊的振り子にとって、誰かの個人的幸福などどうでもよいことだ。しかし、あなたの守護天使は、あなただけを心配してくれる。
 守護天使の姿は好きなようにイメージしてかまわない。翼をもった赤ん坊、雲、鳥など何でもかまわない。姿は重要なことではない。どうやら守護天使は人に姿が見えるものらしい。守護天使の姿を想像してあげるのはあなただ。だから、好きなように思い描こう、守護天使を自分の魂と同一視することさえ可能だ。もしあなたに超能力が備わっているとしたら、守護天使と交信することもできる。超能力がなくても、心配には及ばない。守護天使は、何らかの方法で、あなたを真実の道へと導く手段を見つけるだろう。肝心なのは守護天使を決して侮辱したりしないこと。まして、腹を立てるなどはもってのほかだ。守護天使は、何からあなたを守りどこへ導くべきかをよく知っている。なぜなら、守護天使から見ると、あなたは無分別な子猫のようなものだからだ。守護天使を非難してはならない。守護天使が一体どのような災難からあなたを守ろうとするのかについて、あなたは全然知らないからだ。
 天国で神様と出会った人間についてのこんな寓話がある。神様は人間にこれまで歩んできた人生の道筋を見せてあげた。そこについている足跡からすると、いつも神様が並んで歩いていたことは明らかだった。そこで人間は自分の人生で最も苦しかったところに視線を向けた。しかし、そこには一人分の足跡しかなかった。人間は神様の方を向くと、非難めいた口調でこう言った。「なんということでしょう。私が苦しかったとき、あなたは私を置き去りにされたのですか!」これに対し、神様は次のように答えた。「誤解じゃよ、あれはお前さんの足跡ではない。お前さんを両手で抱き上げて運んだ私の足跡じゃ」
 守護天使の役割をいくら高く評価してもし過ぎることはない。あなたのことを心配してくれて、できるかぎり守ってくれる存在がいるということを認識するだけで、ますます自信が溢れてくる。自信は心の安らぎを産み出し、人間の人生において非常に大きな役割を果たす。もしあなたが一人ぼっちでも、守護天使と孤独を分かち合える。あなたの喜びも悲しみも、やはり簡単に守護天使と分かち合える。ところで、守護天使にはほかに素晴らしい資質がひとつある。それをあなたは利用することができる。それは、守護天使はあなたと違って平衡力の作用を受けることがない、というものだ。
 何か個人的にうまくいったことがあるのなら、自分を誉めてあげよう。誇らしく思おう。これはとてもよいことだ。自分を叱るよりは、誉めすぎるほうがまだよい、しかし、自分を誉める際に、たとえ小さくても過剰ポテンシャルを作ってしまってはいけない。せっかくあなたの魂が喜び、はしゃいでいるのに、平衡力のせいで台無しになってしまうからだ。あなたが自分自身を過剰にほめると、それに続いてあなたは失敗をしたり、忌々しい出来事に見舞われることになる。だから成功をこっそり喜ぶことも怖くてできなくなるとしたら、いったいどうすればいいのだろう。
 過剰ポテンシャルを作らずに喜びや誇らしい気持ちに浸ることのできる方法がひとつある。自分の喜びや誇りを守護天使と分かち合うことだ。守護天使はあなたのことを心配し、助けてくれるのだから、あなたから誉められ感謝されるに値する働きをしているのだ。あなたが自分の成功で喜んだり誇らしく思ったりするときは、守護天使のことも思い出して、一緒に喜ぼう。言葉も交わしてみよう。自分への賛辞や感謝の気持ちを守護天使に譲渡そう。そうしてもあなたが失うものは何もない。自分の分はすでに受け取ったのだから。今度は守護天使を誉めてあげて、感謝するべきである。
 あなたの成功は守護天使による功績と考えていただきたい。そうすることで何が起こるだろう?誇らしい気持ちから発生したあなたの過剰ポテンシャルは、徐々に散っていくのだ。そして、あなたは余計な心配をすることなく、楽しい気分でいられる。思う存分喜びに浸ろう。喜びは自分に残し、誇りは守護天使に譲ろう。そうしても、誰もあなたの功績を奪ったりはしない。
 誇らしい気持ちから過剰ポテンシャルを発生させたり、あなたを幸せにしてくれた振り子に感謝する代わりに、誉め言葉と感謝の気持ちを自分の守護天使に譲ろう。守護天使はあなたにエネルギーをねだったりしないが、エネルギーを必要とはしている。もしあなたが、振り子から助けてもらったと思うなら、振り子にも感謝することはできるし、そうしたところで誰にも害はない。そうはいっても、振り子はいつもあなたからエネルギーの一部を当然のように奪っている。振り子は決してただでは何もくれないのだ。守護天使のことだけは忘れてはいけない。いつも守護天使に感謝し、愛していると告げよう。守護天使は力強さを増し、あなたに何倍ものお返しをしてくれることだろう。

ヴァジム・ゼランド著「願望実現の法則」リアリティ・トランサーフィン2 魂の快・不快の選択
第3章 魂と理性P202-206


 振り子の法則シリーズでは、「見返りを求めない愛」と「感謝」以外のいかなる感情も、たとえそれがポジティブなものであったとしても、「過剰ポテンシャル」を産み出し、
「平衡力の作用」によって揺り戻しが起こり、「こんなはずでは・・・」というような事態に見舞われるということが、何度も警告されています。
 そのため、何事にも重要性を持たせず、過剰ポテンシャルの産生を避けることが大切になってきます。

 そうは言うてもですよ、何か物事がうまくいったら、喜んだり誇りに思ったりしたいではないですか。
そのときに、平衡力の作用を受けることなく受け止めてくれるのが、守護天使だというのです。

 「守護天使」というのは私たちにはあまりなじみがないですが、でも私たちには「神さん、仏さん」という、「あいまいな尊い存在」があります。
 何か良いことがあったとき、神棚や仏壇に報告する、お礼を言う、
それが実は、過剰ポテンシャルを産み出したり、平衡力によってしっぺ返しを食らったりするのを防いでくれていたのかもしれません。

 昔、中島らも氏の本で読んだのだったでしょうか、記憶があいまいなところもあるのですが、
らもさんの上司で、ほて、ほて、と歩く人の好いおじさんが、ぼそっといいことを言う人で、そのおじさんが言ってたのが、
「わしがわしがの「我」を捨てて、おかげおかげの「げ」で暮らせ」だったような気がします。

 何か誉められたり、持ち上げられたりしたとき、私たちが「おかげさまです」と言うのは、喜びを「守護天使」に引き受けてもらい過剰ポテンシャルの発生を抑え自分を守る、先人の知恵だったのかもしれません。

 

無意識に習慣になっている「おかげ様」をもう少し意識的にすれば、守護天使が大きな力になってくれるかもしれませんね


 引用中にも「振り子」は出てきますが、
たとえば「ああしろ、こうしろ」と言ってくる、信者を集めろ、●●を買え、〇〇を供えよと言ってくるような新興宗教などは、凶悪な振り子の可能性が大きいかもしれませんね。
というか、まあ振り子ですね。

 ふつうのご家庭の「神さん、仏さん」は、いちおう「しきたり」みたいなものはありますけれど、何か過剰に求めてくるということはないですからね。


 辛いときには、「神も仏もあったものではない」とよく言ったりします。
でもそんな辛い状況でさえ、引用の「人生の道筋の足跡」のエピソードのように、
実は、私たちを守るために大事に抱え上げてくれていて、その結果でさえそのときはしかたがなかった、ということもありうるのかもしれません。

 感謝して喜びを分かち合うことで、害になることは何もなく、
感謝をささげ守護天使にエネルギーを与えることで、それを何倍にもして返してくれるというのです。


 実は、このシリーズ第2巻には「願望実現の法則」とタイトルがついているとおり、願望実現につながる具体的な方法が書いてあるのですが、まあまあ難しい。
特に魂と理性の一致があれば外的意図が望む人生ラインへ運んでくれるらしいのですが、それが一筋縄ではいかない。
とくに、おしゃべりな理性と正反対の、物言わず「感じる」ことしかできない「魂」の快・不快を捉えるのはやはり訓練が必要なようです。
(願望実現にはいろいろ技法はあるようなのですが、それらがうまく行かない場合は、ひたすら、『自分が理想の状態のなかにまさに【居る】ことを繰りかえし繰り返しイメージするように』とのことです。映画のように第三者的に映像を見るような方法ではダメだそう。そのディテールの中に入り込む)

「あなたの守護天使は、あなただけを心配してくれる」
「もしあなたに超能力が備わっているとしたら、守護天使と交信することもできる。超能力がなくても、心配には及ばない。守護天使は何らかの方法で、あなたを真実の道へと導く手段を見つけるだろう。」
「守護天使は、何からあなたを守りどこへ導くべきかをよく知っている

  
一筋縄ではいかないトランサーフィン技法ですが、
「おかげ様」が日常の私たちにとっては、力になる「守護天使」とともに歩むのはかなり取り入れやすい「願望実現法」であり、
このような「守護天使」のガイドがあれば、かなり助けになるのではないでしょうか。

 
 実は私は、自分の頑張りや成果を認めて欲しいと強く思う方なのです。

トランサーフィン的には、自分を認めることはなんら悪いことではないけれども、それが行き過ぎた喜びや傲慢さにつながることは、もうほんとにダメらしいです。

 子供の頃は私は今よりもずっと謙虚で、
それだからか、進学でも就職でも、自分の実力以上の所にポンと行けるということがよくありました。
それこそ、守護天使、「神さん、仏さん」が守り支えてくれていたのかもしれません。

 社会人になって「自分だけが頼りなのだ」と、感謝や「おかげ様」の気持ちを忘れてしまったから、いろいろ大変だったのかもしれません。
 頑張ろうと思うほど、「なんでこんなことに」という結果になったりして、
それは、「過剰ポテンシャル」を引き受けてくれる守護天使をおろそかにして、平衡力のカウンターパンチをもろにくらったからかもしれません。

 
 この第2巻を読んで、最近、
 「守護天使」を意識して、ちょっとしたことに「ありがとうやで」というようにしてから、ものすごく飛び上がるほどいいことがあったわけではないですが、「ああ、よかった、助かった」ということが、そこそこ起きています。
 謙虚だった子供の頃の自分を思い出して、これからもすべて分かち合うようにしてみよう。行き詰っている状況が変化するかもしれません。



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