守護天使
よく、「守護霊」とか「守護神」とかいう言葉を聞きます。
常に見守り守護してくれる存在がいると思えるのは、心強いことです。
あんまり守護霊、守護神とかは信じない方でも、
神棚をお世話したり、近くに神社があればときどき立ち寄って手を合わせたり、またお仏壇にお花やお菓子をお供えしたり、
「いや、こういうのは別に宗教じゃないですよ」ぐらいの感覚で、何らかの「感謝の機会」を持っている人は、日本人なら大勢いるのではないでしょうか。
どうして神社に行ったりお仏壇の前で拝んだりしてゆるく感謝の機会を持っている人が守られていたり運河よかったりするのか、
「振り子の法則」シリーズのヴァジム・ゼランド氏が、シリーズ第2巻の「願望実現の法則」を読んで「そういうことか」と思ったところがあったので、今日はそれについて書きたいと思います。
振り子の法則シリーズでは、「見返りを求めない愛」と「感謝」以外のいかなる感情も、たとえそれがポジティブなものであったとしても、「過剰ポテンシャル」を産み出し、
「平衡力の作用」によって揺り戻しが起こり、「こんなはずでは・・・」というような事態に見舞われるということが、何度も警告されています。
そのため、何事にも重要性を持たせず、過剰ポテンシャルの産生を避けることが大切になってきます。
そうは言うてもですよ、何か物事がうまくいったら、喜んだり誇りに思ったりしたいではないですか。
そのときに、平衡力の作用を受けることなく受け止めてくれるのが、守護天使だというのです。
「守護天使」というのは私たちにはあまりなじみがないですが、でも私たちには「神さん、仏さん」という、「あいまいな尊い存在」があります。
何か良いことがあったとき、神棚や仏壇に報告する、お礼を言う、
それが実は、過剰ポテンシャルを産み出したり、平衡力によってしっぺ返しを食らったりするのを防いでくれていたのかもしれません。
昔、中島らも氏の本で読んだのだったでしょうか、記憶があいまいなところもあるのですが、
らもさんの上司で、ほて、ほて、と歩く人の好いおじさんが、ぼそっといいことを言う人で、そのおじさんが言ってたのが、
「わしがわしがの「我」を捨てて、おかげおかげの「げ」で暮らせ」だったような気がします。
何か誉められたり、持ち上げられたりしたとき、私たちが「おかげさまです」と言うのは、喜びを「守護天使」に引き受けてもらい過剰ポテンシャルの発生を抑え自分を守る、先人の知恵だったのかもしれません。
無意識に習慣になっている「おかげ様」をもう少し意識的にすれば、守護天使が大きな力になってくれるかもしれませんね
引用中にも「振り子」は出てきますが、
たとえば「ああしろ、こうしろ」と言ってくる、信者を集めろ、●●を買え、〇〇を供えよと言ってくるような新興宗教などは、凶悪な振り子の可能性が大きいかもしれませんね。
というか、まあ振り子ですね。
ふつうのご家庭の「神さん、仏さん」は、いちおう「しきたり」みたいなものはありますけれど、何か過剰に求めてくるということはないですからね。
辛いときには、「神も仏もあったものではない」とよく言ったりします。
でもそんな辛い状況でさえ、引用の「人生の道筋の足跡」のエピソードのように、
実は、私たちを守るために大事に抱え上げてくれていて、その結果でさえそのときはしかたがなかった、ということもありうるのかもしれません。
感謝して喜びを分かち合うことで、害になることは何もなく、
感謝をささげ守護天使にエネルギーを与えることで、それを何倍にもして返してくれるというのです。
実は、このシリーズ第2巻には「願望実現の法則」とタイトルがついているとおり、願望実現につながる具体的な方法が書いてあるのですが、まあまあ難しい。
特に魂と理性の一致があれば外的意図が望む人生ラインへ運んでくれるらしいのですが、それが一筋縄ではいかない。
とくに、おしゃべりな理性と正反対の、物言わず「感じる」ことしかできない「魂」の快・不快を捉えるのはやはり訓練が必要なようです。
(願望実現にはいろいろ技法はあるようなのですが、それらがうまく行かない場合は、ひたすら、『自分が理想の状態のなかにまさに【居る】ことを繰りかえし繰り返しイメージするように』とのことです。映画のように第三者的に映像を見るような方法ではダメだそう。そのディテールの中に入り込む)
一筋縄ではいかないトランサーフィン技法ですが、
「おかげ様」が日常の私たちにとっては、力になる「守護天使」とともに歩むのはかなり取り入れやすい「願望実現法」であり、
このような「守護天使」のガイドがあれば、かなり助けになるのではないでしょうか。
実は私は、自分の頑張りや成果を認めて欲しいと強く思う方なのです。
トランサーフィン的には、自分を認めることはなんら悪いことではないけれども、それが行き過ぎた喜びや傲慢さにつながることは、もうほんとにダメらしいです。
子供の頃は私は今よりもずっと謙虚で、
それだからか、進学でも就職でも、自分の実力以上の所にポンと行けるということがよくありました。
それこそ、守護天使、「神さん、仏さん」が守り支えてくれていたのかもしれません。
社会人になって「自分だけが頼りなのだ」と、感謝や「おかげ様」の気持ちを忘れてしまったから、いろいろ大変だったのかもしれません。
頑張ろうと思うほど、「なんでこんなことに」という結果になったりして、
それは、「過剰ポテンシャル」を引き受けてくれる守護天使をおろそかにして、平衡力のカウンターパンチをもろにくらったからかもしれません。
この第2巻を読んで、最近、
「守護天使」を意識して、ちょっとしたことに「ありがとうやで」というようにしてから、ものすごく飛び上がるほどいいことがあったわけではないですが、「ああ、よかった、助かった」ということが、そこそこ起きています。
謙虚だった子供の頃の自分を思い出して、これからもすべて分かち合うようにしてみよう。行き詰っている状況が変化するかもしれません。