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元気になれるかな? 闘病記プロローグ

ご無沙汰しています。お元気でしたか?
パティシエナナオです。
こんな停滞しっぱなしのノートに来て下さるあなたはいい人ですねー(笑)

さて、すこしづつ話していますが私はおととしから去年にかけての約一年間、がんの治療をしていました。
病気の話が怖い人、苦手な人は無理して読まないで下さいね。


病気の話は書くべきか書かないべきか。私にとって大きな問題でも、聞きたい人はいるかな?聞きたくないかもしれないな。。ずーーっと逡巡していました。家では家族にたまに話します。がん専門病院で希少がんの病棟ではありますが、面白い事も、感動したことも、嬉しかったこともいっぱいあるんです。
それ書いたらいいのに。ってシェフにたびたび言われていました。
「うーん、でもね。。」ってはぐらかしていました。
私の性格上、ふざけちゃうんです。病気の話でも(笑)
そうするとね、同じ種類の病気の人に怒られちゃうんじゃないかとか。おふざけのくせに気は小さいんです。あと、辛くて思い出したくない気持ちもありました。
でもこんな私の経験がだれかの勇気になったらいいな。

人間ってね、信じられないようなショックなことが自分の身にふりかかってきた時、頭で何を考えているか。私の場合、「なんでやねーーんw」ってツッコミ入れてました。びっくりですよね(笑)
しまったぞ、これは誰かに話す時なんて言えばいいか。どうやったらボケられるか「美人薄命ってほんまやったわー」って言おうかな。いやウケへんよなさすがに💦笑ってもらえれば気持ちも楽になるんだけどな。
親になんて言おうか、どうやったら怒られないか。。(ショックのあまり怒り出すだろうと思いました)
そのあともショックを受けるたび、頭の片隅でボケるネタを捜す私がいたのでした。でも決してストレスに対して強いほうではないんです。だからこそそうやってストレスを逃していたんでしょうね。今になってそう思います。
だいたいお医者さんは悪い話をします。リスクの説明の責任がありますからね。私はどんな話でも他人事のように聞き、「なにこれ、ドラマみたいやん」とか考えながらなんとか乗り切って(逃げ切って)いたのでした(;^_^A

検査を重ね病院を4軒回り、まだ他の病院を紹介されそうになったとこで、もうええわ。。とか心でツッコミを入れました。がんの種類は分からないまましびれを切らして「もう待てない!!」って担当医が言った事で治療が始まりました。増殖スピードだけが最悪な数値と分かり、大きくなりすぎて手術も出来ない。。「とりあえず効きそうな薬から試します!!」
生きた心地がせんとはこのことね💦
結果、担当医の経験と勘で試した薬は当たり、がんがちっちゃくなりました。
すごーーい、名医にもほどあるーーー!!(笑)
いやいや最初からここの病院がいいと思ってたよーーーー(ウソ、もう他の病院を回るのがイヤになっただけw)
なんとか下肢切断を免れる話が出てきたのでした。
もうガンが大きすぎて切断の方向で話が進んでいたので。
でもね、切断になったとしても生きる希望を失ってはいかんのです。最初はショックで先生の言葉が遠くに聞こえました。
なんとか絞り出した声で、「切断しないとダメなんですか?」ってやっとそれだけ聞きました。
「確実に完治を狙うなら。」
申し訳なさそうに答える先生の声で頭が真っ白になりました。
家族のお荷物になりたくない。って想像すると辛くて涙も出なかった私は、たとえ足を失ってもちゃんとお菓子をつくり、家事をこなし、人前に出られる自分になるっていう目標を持ちました。だってね、最近の義足の進化はめざましく健康な左足より機能性で遜色はなく、むしろ優れてるって説明を受けたんです。杖もなしで歩けるようになると。
ずっと厳しい顔だった先生は、義足の話になると少し顔色が明るくなりました。
義足の事なんて今まで考えたこともなかったのに、私の知らない間に
義足は進化し、急な原因不明の病気になった私に生きる希望をもたらしました。

そんな希望を持ちながら、訳の分からん病気に挑んだのでした。



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