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元気になれるかな5 術前治療編

こんにちは
ニックネームはナナオです。
珍しい病気ゆえ、このブログが病院にバレそうで急にニックネームに改名(笑)もう遅いww
いえ別にバレても困ることは書いてませんが、恥ずかしいんです(〃▽〃)

手術までに、抗がん剤6回(+1回)(←試しにやった一回目はノーカウントサービスになりましたw)の頃のお話です。

最初の頃の私は、自分がしばらく働けなくなった事にショックで塞いでいました。家族の迷惑になる自分が辛かった。家事や仕事は必要だからするというだけでなく、自分が必要とされているという幸せを感じるためにもあるものだと気づきました。働けなくなった私から見る働く人たち。医師、看護師さん達、リハビリの先生、看護助手さん、人の役に立てる働く人たちが輝いてまぶしく見えて、心から羨ましかった。何としてでも良くなって働きたい!って強く思いました。普通に働けていた時は何とも思わなかったのに。
だからいま、仕事で心が疲れていたり、意味を感じなくなっている人がいたら知って欲しいです。
お仕事や家事は自分が思うよりたくさん人の役に立っていて、その姿は第三者から見るととても尊く輝いている。
でも、もし病気や何かの事情でそれが出来ない人もまた、生きる事だけで救われる人がいるのも事実です。

車いすになったらどうしようと考えていた時、そうなったらどんなに家族に迷惑をかけるだろう。そんなに迷惑をかけるくらいなら生きていたくないと思いました。
そんな時、エレベーターで車いすを押すご家族と乗り合わせました。私の病棟は同じような病気ですから足をなくして車椅子の人も多いです。ご家族たちにとって、車いすに乗っている人をとても大切にしていて、その気持ちで家族全員がひとつになっているのが見て分かりました。一緒にいる時間がとても楽しそうでした。
車いすなら生きていたくないと思った私の目に、車椅子でも幸せそうな人の姿が写りました。私はなんて無知やったんやろう。失礼やったんやろう。家族に囲まれて笑顔を見せていたこの人が幸せじゃないと私が決める事じゃない。

そして、その後に知った作家の岸田奈美さんのNoteで、岸田さんのお母さんが病気で車いすになったいきさつや、その時のやり取りを知りました。

一生車いすならもう生きていたくないと泣くお母さんに奈美さんは言いました。
「じゃあ私が車いすになったら、お母さんは迷惑と感じるの?」

って。
そんな事思う訳ない!!ってお母さんが泣きながら言ったっていうお話。
同じですよね。

もし、考えたくないけど私の娘が車いすになったとして、それを迷惑だと思うか。
そんなん思うわけない。


だから先の事は分からないけど、もう車いすでもなんでも、みんなに甘えて生きてやろうと思ったのでした(笑)
そう思うと急に気が楽になりました。私の力の及ばん事なら、なるようにしかならんし。
自分を苦しめたのは、自分が作った偏見だった。不自由な車椅子は不幸だという勝手な偏見。

そんな事はきっと他にもあるのかもしれません。自分が苦しいと感じた時、自分の作った偏見に自分で苦しめられてるんじゃないか?自分で被害者になりきっていないか。
そう考えてみるとまた何か気づくことができるかもしれない。


病気になってからも、不運と幸運に小さく枝分かれを繰り返し、あれ?不運ばかりじゃなかったな。って事に気づいて自分だけの人生が出来上がって行くんでしょうね。

インスタのフォロワーさんが教えてくれました。
「病気は不運だけど不幸とは限らないです」
って。ご自身も長く病気と向き合っているかたでした。
金言みたいな言葉でした。

※写真は病院のご飯
朝ごはんが一番好きでした。
全部の具をパンに挟むサンドイッチを作って食べていました(笑)
抗がん剤の副作用があってもこれだけは食べれました。

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