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【連載予定】月収250万から手取り23万円の風俗業界に堕ちた話【その1】

どうも、まねおにこと金森です。Twitterはこっち→https://twitter.com/moneyonii

資産形成のコンサルタントとしての実業や、PPCアフィリエイトなどの基本的の放置で収益の上がるものをやっています。

この記事では(一応連鎖予定…長くなりそうだし)僕が月収250万から手取り23万円の風俗業界に堕ちた話を書いていこうと思います。

元々ネットビジネスでそれなりに稼ぎつつ、それなりに長生きしつつ生活していたんですが、とあることがキッカケで社会の底辺(業界の人ごめんね)ともいえる風俗業界に堕ちた話をしていきたいと思います。

別に不幸話をしたいとかってわけじゃないし、風俗業界を馬鹿にするつもりもありません(必要な業界だと思っています)

なんかネットビジネスやってる人ってキラキラしてるよなーとみんな思うと思うんですが、実際には僕みたいな超失敗して堕ちたやつも沢山いるし、実際ネットビジネスの世界ってドロドロしてるし、弱者から金を吸い上げる業界の話とか、風俗業界の話とかを知ってもらえたらいいことあるのかもしれないと思って書こうと思いました。


一番の理由は今やっている実業でお世話になっている社長さんに「その話マジで面白いからみんなに聞かせてあげなよ!」と言われてことが一番のキッカケなんですがね…(笑)


文章が拙い所もあるかもしれませんが、暇つぶし程度に読んでもらえたらと思います。


第0章:学生時代の僕


○中学時代

話は僕が中学生のころに遡ります。僕は長野県の人間なのですが、中学時代に10か月ぐらいの期間イジメを受けていました。中学1年の冬から中2の秋ごろかな。

今まで仲の良かった友達がある日突然僕を無視するようになる。原因は本当に些細なことで、ボールを投げて遊んでいたらそれが相手にあたった、とかそんぐらいのものです。僕は元々スクールカーストの上位にいた自覚はあるのですが、相手もまたスクールカースト上位の同級生。

僕のいじめがスタートすると一瞬にして周りは敵ばかりになりました。誰も僕に話しかけてくれない、無視をする、私物を隠される、陰口を言われる、とりあえず当時考えられるいじめを一通りされたと思います。幸いにも暴力系のイジメはありませんでした(多分僕が空手をやっていたから)

今の時代のいじめだとSNSを使ったものがあるみたいなので、それに比べるとまだマシだったなぁ…なんて思います。

さて、そんないじめ時代が比較的長めに続いていたのですが僕自身、1対複数の構図には抗うことが出来ずに考えた手段が「空手でめちゃめちゃ強くなって暴力で対抗する」というものでした。

無視をする、私物を隠す、こういった陰湿な方法にはもう暴力で対抗するしかないだろうと。何かやってきたら問答無用で相手をぼこぼこにして力関係を分からせてやればいいんじゃないか、ということで週2でやっていた空手を週4に増やし、家でも筋トレをするようになりました。とりあえず「喧嘩では絶対に負けない体づくり」に励んだわけです。

もう思考が田舎の中学生って感じそのままなのですが、結果的にイジメはなくなりました。僕が暴力に訴えた結果としていじめが無くなったのではなく、いじめを受けていたころに別の中学校に通う友人ができ、彼らと一緒に遊ぶようになって結果的にイジメが無くなった感じです。

別の中学の友人はもうまさに田舎のヤンキー中学生。バイクにも乗るし酒も飲むし、夜遊びするし、そういった仲間と一緒にいれば僕も必然的にヤンキーみたいな格好になってくるわけです。おそらくその様子を見て周囲のイジメに参加していた人間たちはイジメを辞めたのだと思います。


また、イジメから逃げるためにやっていた空手も練習量が多くなったおかげか北信越大会で優勝し、全国大会に進むまでになりました。


中学時代の経験は僕に「何かに熱中すること、集中することで結果は生まれるのだ」という成功体験を与えてくれました。


それと同時に「世の中には自分が理解できないほど不条理で抗えないことも有るのだ」という厳しさを教えてくれる結果となりました。


その後、中学3年になり進学を考える事になるのですが母親の「一番の進学校に行けば、バイトもしていい、バイクも乗っていい、タトゥーも入れて良い」という一言で進学校に行くことに決めて、見事に合格することとなったのです。



○高校時代

なぜか進学校に入学できた僕はそのギャップに驚きました。どこを見渡しても真面目一辺倒のような人たちばかり。

僕のように中学時代にバイクを乗り回し、警察のお世話になり、みたいな人は全く持っていませんでした。なんか目立つ人といえば隣のクラスにいた金髪の長身男。(彼とはゆくゆく親友となります)

なんか「ずっと勉強頑張ってました!」みたいな人が沢山いる中で完全に浮いてしまった僕は友達はできるのかな…と不安に駆られることとなり、入学2週間後に髪の毛を青色にする暴挙に出ます。青色にしたらなんか目立って友達出来るやろ!ぐらいの軽いノリで青色の坊主頭で登校。お陰様でそれなりに友達を作ることが出来ました。


進学校の良い所は「周りのみんなが頭がいい」というところでしょう。

家がお医者さんだったり、会社の社長の子供だったり、中には地元の大きな大きな産廃系のグループ会社の開帳の息子だったり(彼とも後に仲良くなります)、一般的に言う「勝ち組」の子供が集まるところであり、リテラシーが高いというか、基本的な能力が高い(学生時代でいうところの学力)おかげでなんか自分まで凄い人間泣きになることが出来ました。

とはいえ、長野県の中学で成績がいい人ばかり集まってるので僕は見事に下の下の下の成績になります。

いつかのテストで320位を取ったことがあります。僕らの学年は324人いたので「俺より勉強できない奴がいるとか草wwwww」と思っていたら担任の先生に「お前の下の4人は不登校だから実質お前が最下位だよ」と言われこともあります。


高校時代で感じたのは「この世には敵うことのない頭のいい人が沢山いる」ということと「神様は不公平」ということです。

中には全国模試で10位以内の成績をあげながらイケメン+高身長、なんていう超ハイスペックの人がいたりしました。ああ、神様は不公平なのだと。

僕は僕の戦える土俵で戦わないととてもじゃないが戦えない相手がいる、努力がどうしようもない世界もあるのだと高校時代に知ることが出来たのは大きいのかなと思っています。


さて、気付けばもう高校3年生です。進路をどうするんだ?って話になります。

うちの高校は進学校なので基本的にみんな進学です。僕もそれにならうことにしました。特に大学へ行って何がしたい、というものもなかったので進学理由は「とりあえず大学に行きたいから」という超フワフワした理由での進学です。

何と残念なことに僕には姉がいて、その姉が私立の大学に行ってしまったもんですから進学するとしたら国立大学しか無理(学費的に)という条件を親から出されて担任の先生に「国立大学に行きたいです。滑り止めも受けません(受けられません)」と伝えることにしました。

「え、お前進学するの?」と言われました。

そりゃないぜ先生。一応進学校に通ってるんだから進学しようとすること褒めてくれよ。

でも実際のところ僕の偏差値はマジで超低く、とりあえず僕の学力で行けそうな、希望のある国立大学脂肪ということで始動。

模試のたびにE判定が連発で大変でした。1日12時間ぐらい本気で勉強してなんと国立大学に現役合格することが出来たんですね。まさに奇跡。みんなに奇跡と言われました。

こうして僕の高校時代は良い幕切れを迎えてくれました。めでたしめでたし



○大学時代

富山県の国立大学に入学することになりました。経済学部の経営法学科、なにやってんの?みたいな状態で入学することになったんですが、大学時代はもうまさに「今どきのダメな大学生の典型」を楽しむこととなります。


大学の単位って講義によって違うんですが、毎回の講義で出席を取るタイプ、講義の出席は取らずにテストで規定の点数を取れば単位が取れるタイプ、テストですべてが決まるのに持ち込みOKなタイプ、と様々です。


僕は可能な限り「楽に単位が取れる講義」を受講することにしたんですが、これが大きな間違いでした。


まず、講義に出る必要がないので大学に行きません。朝は超ゆっくり好きな時間まで寝てます。

そして夕方からバイト。

バイトが終わると、そのまま友人宅で朝まで麻雀→就寝

起きたらその足でパチンコ屋へ行き、バイトの時間までスロットやパチンコ

その後バイト、そして朝まで麻雀、のループです。

僕は合コンとかそういった遊びはしなかったので基本的にパチンコ屋にいるか、友達の家で麻雀やってるか、バイトしてるか、のどれかでした。

そんな大学生活をしていると、大学で得るものは何もありませんでした。本当にお母さんごめんなさい。

大学で何かを得るのではなく「大卒、という資格を得る」ためだけに大学に行っていたような生活です。当時はそんな毎日を楽しいなーとか、なんか大学生やってるぜ!ぐらいにしか考えていなかった自分を殴ってやりたいです。


さてさて、そんな生活の中で僕の人生を変える出会いがあります。それが当時車屋さんを営んでいた5歳年上のとある社長さん。この社長さんと出会ったことで僕の人生は大きく動き始めるのでした…。



第1章:大学卒業後、秒速で失速する男の話


その社長さんとの出会いは大学時代に乗っていた車のカスタムをしたくなって、目にとまった車屋さんに車を持ち込んだところから始まります。

お洒落な外車が多数ある車屋さんで、カーカスタムをやっている車屋さんです。そこに車を持って行くと僕より少し年上の社長さんが出迎えてくれました。

はじめましてから始まり、大学生であること、将来的に何をしたいのか特に考えていないこと、色々と話をする中で社長が一言「とりあえずうちのグループでバイトしてみる?」

おお、なんかいきなり話が飛んだぞと思いつつも車のカスタムを考える大学生です。奨学金を貰いながら大学に通っていたぐらいなので貧乏人です。二つ返事でOKして、その社長の下でバイトをすることになりました。

バイトの内容はというと、富山県の歓楽街にある小さな飲食店のスタッフ。

どうやらその社長さんはホストクラブやスナック、風俗関係の店を経営していたらしく自分のグループで働くスタッフの食事をするところとして飲食店を買い取ったようで、そのスタッフとして僕を迎え入れてくれたのです。

店長と2人の小さな店でしたが時給も悪くなく、そして基本的に暇だったので「こんな感じで稼げるならまぁいいかなー」なんて思いながら毎日のらりくらりバイトをしていました。


夜の業界にいると本当に色々な話を耳にするようになります。僕がバイトしていた飲食店の店長は元々裏カジノのディーラーで、反社の人とトラブルになりガラを攫われた際にその社長に助けられた、とかどうやらその社長は金貸しもやっていてそこで大きなお金を作った、社長は他にも裏カジノなどをやっていてそこでお金を作っていた、とか本当に色々です。


ちなみに元ディーラーの店長さんは、Gacktがディーラーをやっていたころに一緒に仕事をしたことがあるようで、裏カジノの仕組みや悪いことを色々とうぶな僕に教えてくれました。今は派遣系の風俗屋さんの雇われ店長をやってるみたいです。

その飲食店の店長の数年後に、風俗関係の店長をすることになったものの店の金をちょろまかして詰められて、社長づてで身売りされたらしいです。

そこら辺の話も需要があればそのうちブログ的な感じで書こうかな・・・(noteで公開しても問題ないかは不明)


とまぁこんな感じで自然と夜の世界に入っていってしまい、そこで「夜の人はなんか金持ち」という価値観が生まれます。

まっとうに商売している人も、そうでない人も、田舎であってもそれなりにお金を持っている人に囲まれて大学生活を送ります。現に車屋の社長は昼職として車屋をやっていましたが、20代半ばにしてフェラーリを扱っていたり、2ヶ月に1回は車を乗り換えていたり、やたらと高そうな時計をしていたり、と非常にはぶりがよかったのを覚えています。

例え田舎のホストであっても、No1とかになるとそりゃもう大学生からしたら信じられないお金を持ってるんですよ。外車のオープンカーを乗り回してみたり。

冷静になって考えれば金持ちのふりをする方法はいくらでもあるんですが、当時の僕は無知も無知。目に見えるものすべてをストレートに受け取っていたので「自分のこの社長の下で働いたら金持ちになれるのかな」なんてことを考えていました。

そして大学2年生が終わろうとしているころに「お前、このまま大学卒業したらうちのグループ入社すればよくない?」と非常に軽いノリでスカウトされ、就職先は決定しました。


長野県の進学校に行き、国立大学に現役で入った。なんて言えばド田舎の長野県民からしたら大そうなもんです。地元に戻って就職活動すりゃそれなりのところに就職できたんでしょうが、若干20歳の僕は頭がパーなので「やった!就職活動しなくていいじゃん!しかもこんな金持ちの社長の下で働けるなら俺も自然と金持ちになるやつ!超ラッキー!入社したら夜職とかでいきなり沢山給料とか貰えるのかなー」なんて糞しょうもないことを考えながらオファーを快諾。

こうして警戒に人生を踏み外していくのでした。

その後の大学生活も特に代わり映えが無く、就職が決まったので飲食店のバイトの他にホストクラブでボーイのバイトをしてみたり、その社長が立ち上げたデリヘルのドライバーのバイトをやってみたり、そしてなんやかんや飲食店に戻って今度は店長職をやってみたりしながら卒業を迎えます。


そして卒業してからどうなったかというと・・・・


3ヵ月のスピード解雇


今となっちゃ笑い話でしかありませんが、当時の僕はマジで社会の仕組みを知らない。

何となく進学校に入ってしまって、何となく国立大学にも入ってしまった、そしてなんとなーく惰性で就職先も決まり、謎の自信に満ち溢れた20代前半の社会を知らない痛い子だったのです。

新卒で入社したのは社長のやっている車屋だったのですが、基本的に給料も少ないしやる気もない。基本給が少ないんでより一層やる気はどこかに飛んで行って、遅刻に次ぐ遅刻、そして居眠り。

社長の鉄拳が僕に飛んでくるのに時間はかかりませんでした。気付いたら僕の顔面はぼこぼこのパンパンに…。原形をとどめないほど腫れあがった顔を鏡で見ながら長野に戻ることを決意したのでした。


卒業からわずか3か月後。「新卒のカードを使いきった無職」爆誕。



第2章:やることないから営業職に。ネットビジネスとの出会い


長野に戻った僕は悩みました。長野に戻った直後は「無職生活を謳歌しよう」ぐらいのことを思っていましたが、貯金も何もない20代は暇です。

何をするにも金がかかる+大学まで出させてもらったのに新卒で入社した会社は3ヵ月で解雇、そんなポンコツに家族の風当たりはキツイ。


早く就職しろ!このごくつぶしめ!そんな勢いで1週間後には仕事を探す必要が出てきました。

実家で不動産をいくつか保有しているのですが、そういったこともあり求人票に載っていた某大東建託の求人に目がとまります。

知ってる人は知ってると思いますが、D東さんは超絶ブラック企業なんです。その代わりと言っちゃあなんですが、ぐらいのレベルで中途採用でも基本給はしっかりしているし営業職で成果を出すと給与も爆上がりする、そんな噂は聞いていました。

というわけで特にやりたい仕事もなかったので即日面接。

なんか常に人不足らしく、面接希望の電話をすると2日後には面接となりました。面接内容は簡単な筆記試験と面談。そして「えーっと、来週の月曜日から来れる?」

もう音速で転職完了でした。

事前に僕が所属する営業課の課長さんから「うちって本当に大変だけど大丈夫?みんな3か月ぐらいで仕事辞めちゃうけど大丈夫かな?」と念押しされたのは覚えています。

そうして新卒解雇から1か月後には晴れてD東の営業マンが出来上がりました。


第2.5章:サラリーマン生活

D東のサラリーマン生活は時間的な拘束と数字に追われる生活でした。営業会社なので「数字をあげなければただのゴミ、会社のお荷物」な扱いは至極当然。


D東は当時、不動産を立てる契約を取ってくる建築営業と、不動産にお客さんを入れる「テナント営業」とに分かれていました。そのどちらの営業職にもノルマが定められており、既定の数字以下の成績しか上げることが出来ないと毎日の朝礼時に社員の前に立たされて反省スピーチをしなければならない、なんて感じでした。

入社して3ヵ月はノルマが無く、4ヵ月目からノルマが採用される形式となっていました。幸いにも僕はノルマを下回ることが無く反省スピーチをしたことはないのですが、反省スピーチをした翌日に会社に来なくなった同僚を何人も見てきました。

給与面非常によく「数字をあげている人は高給取り」でした。建築営業の方がテナント営業よりも給与がよく、僕はテナント営業でしたが24歳で毎月60万~70万ぐらい稼いでいた記憶があります。

建築営業で稼いでいる方は月収100万~300万ぐらい。年収で言うと多い人歯5,000万ぐらいいってる人もいたらしいです。


テナント営業は「D東の物件に沢山入居者を入れた人が正義」だったので僕は近隣のミニミニやエイブル、アパマンショップに営業をかけて仲介業者にD東の物件を決めてもらう、という方式で数字を稼いでいました。

なので出勤した後は外回りをしつつ、自宅に帰って昼寝→記者時間に会社に戻る、なんて感じの糞営業マンをやっていましたが長野県は仲介業者が強く、極端なこと言うと自分で営業する必要なんかなかったんです。

業者さんにぺこぺこして、お客さん紹介してもらえば勝手に自分の給料が上がっていく。

当時のD東はコンプライアンス系がガバガバだったんで、業界的にヤバい事をやってクビになる社員が続出していたんですが、僕も色々社内的に面倒な感じになってきていたのと、サラリーマン生活が辛すぎて1年ぐらいで退職を考えるようになってしまいました。

給料は良かったんですよ、マジで。数字だけ挙げてればよかったので頑張りました。


そんなタイミングで中学時代に知人とばったり会う機会があり「ネットビジネス」なるものがこの世にあることを知りました。

パソコンをカチャカチャ弄っているだけで月に100万、200万といった金額を稼ぎ出すことが出来る!そんな夢のような話+サラリーマン生活に浸かれていたこともあり、秒速で退職を決意。

25歳にしてまた晴れて無職が爆誕します。


今日はここまで。

とりあえず学生時代とサラリーマン生活、そしてネットビジネスへ入っていくまでの僕を紹介しました。


総括するとポンコツです。社会不適合者。

集団生活が多分無理なんでしょうね。会社の歯車として何かするのが無理なんだと思います。

D東で働いている時も「どうしたらお金を稼ぐことが出来るのか」「会社の仕組みを使ってお金を稼ぐことが出来るのか」「楽して稼ぐことが出来るのか」なんてことばかり考えていました。結果的には社内規定すれすれな感じになり、上司ともうまくいかなくなり退職を考えるほど自分で自分の首を絞めるような馬鹿丸出しなことやってたんですよね。


とりあえず一般的な大卒からのサラリーマンを経験している人からしたら、僕ははるかに性根が腐ってる・終わってるんだと思います。

そんな僕が次回以降、ネットビジネスの世界へ…となるのかどうか。

クズを見る気持ちで読んでくれたらと思います。




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