見出し画像

この仕事、思ってたんとちがう。

むかし、電車の中でこんな広告のコピーを見た。

『自分のトップ校へ行こう。』

学習塾、栄光ゼミナールの広告だった。


当時小学5年生で、同級生は都内の私立中学を受験する子ばかり。「こんなにできないじぶん恥ずかしいな」という劣等感と一緒にランドセルを背負う毎日だった。だからこのポスターを見たときショックだった。なにをトップと呼ぶかはじぶんで決めていい、という考え方をはじめて知ったからだ。実際にわたしはもう勉強のすえ受験をして、のちにかけがえのない中高生活を過ごす学校に出会えた。


それからというもの、わたしは広告を一種のギフトだと思っている。まわりの大人が教えてくれない、おもしろい世の中の捉え方を教えてくれる。考えぬかれたコピーにはホッとしたり、涙がでたり、悩まされたり、いろんな感情をよびおこす不思議なパワーがある。

いまの就職先との出会いも、とある新聞広告がきっかけだった。

画像1

わたしが就活生だった年は、たび重なる過労死事件から「ワークライフバランス」とか「働き方改革」とか叫ばれていた。だからわたしも、友人たちも、働きはじめたら幸せになれないのだと本気で信じていた。それくらい時代はうっそうとしていた。そんななかでこの”お詫び“である。「なんてひょうひょうとしているのだろう。ちゃっかり自社製品の宣伝までしているし。ここで広告を作りたいな。」


だけど、入社後のわたしをまっていたのは、美しいポスターだけではなかった。風刺的なコピーが出せるのなんて、ごくわずかな機会だった。日々の業務の中心をしめるのは、Web広告の最適化。いくつものパターンをつくって、ちゃんと成果を出した「強い言葉」「強い媒体」が選ばれていく、まさに戦場だ。広告たちも、わたしたちも、必死で戦っている。「さっき見てた商品がこっちのSNSにでてきてこわい。気持ちわるい。」とか言われることもしばしば。


あれ、わたしの思ってたんとちがう。
しばらく落ち込んだ。でも数年たつと、すこしずつ任せてもらえる媒体がふえていった。去年は念願の電車広告も担当できた。


だけど最近思う。「自分のトップ校へ行こう。」も、最適化されたWebの広告も根本的にはあまり変わらないのかもしれないな、と。広告主になって知ったのだが、自社のプロダクトやサービスを本気でいいと思って、まじめに広めたいと思っている人はけっこう多い。わたしのような学生に自分自身を信じるチャンスをくれたあの広告主はどうだったのだろう。すくなくともわたしは、こんなビジネスマンに製品を届けたい、こんな働き方ってあり?と気づいてほしい、と思って広告を出している。(もちろんメッセージの濃淡や尖らせる角度は、届けたい相手によって変えているが。)


だから、ときに殺伐とも思える最適化の世界でも、電車広告でもなんでも、変わらず「たった一人のあなたに届け」と思って仕事をするようにしています。広告に助けられた人生。この仕事で恩返しができるといいな。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?