「ホテル・ザアパールク」【1:1:0】【ラブストーリー】
「ホテル・ザアパールク」
作・monet
所要時間:約20分
◆あらすじ◆
年季の入った二階建ての小さなラブホ。
そこで俺は、彼女と出逢った。
利恵子/♀/25歳/豊橋 利恵子(とよはし りえこ)。元デリヘル嬢。働いていた店が営業停止になったことをきっかけに風俗を辞め、ラブホテル「ザアパールク」のスタッフとしてアルバイトを始める。
慎一郎/♂/25歳/大曽根 慎一郎(おおぞね しんいちろう)。ラブホテル「ザアパールク」で働き始めて5年になるアルバイトスタッフ。落ち着いているようで歳相応でもある。お年寄りに可愛がられるタイプ。
◆ここから本編開始◆
利恵子:(M)長く働いていた店が営業停止になるらしい。
その原因は、キャストの一人が殺人事件を起こして逮捕されたから。
別にその事についてはどうでも良かった。
彼女がホスト狂いだったとか、精神疾患を患っていただとか、私には関係ない。
……だけど、私の居場所は無くなってしまう。そう考えた時、何をする気にもなれなかった。
他のキャスト達は他店に移籍したり、客と連絡先を交換して引っ張ろうとしたりと一生懸命にやっていたけれど、私にはその気力が沸かなかった。
最後の出勤日。最後の客は常連で、私の好きなホテルに私を呼んでくれた。
……そこで見かけた張り紙。「スタッフ募集」の文字……。
私はとても興味を持った。客に気付かれないようにこっそり電話番号をメモした。
……そうだ。せっかく店が営業停止になったんだ。この機会に、風俗の仕事も辞めてしまおう。
◆ラブホテル・ザアパールク◆
慎一郎:(※伸びをする)……はーぁ。
慎一郎:(M)今日もまた、長い長い24時間勤務が始まる。小さなラブホテルのフロント。それが俺の居場所。
やることも無くただ上京して来た俺を、居候させてくれた友達は、ラブホのバイトに誘った。
まあ、奴はすぐに辞めて就活をし、正社員として企業に勤め始め、今では結婚をし子供まで居る。
……そうして奴は立派な居場所を手に入れた。奴の居場所は、ここでは無かったのだろう。
(間)
慎一郎:(※独り言)……当たり前、だよなあ。
(間)
慎一郎:(M)ラブホでのバイトは、最初こそ慣れずに大変だったが、5年も働いていれば当たり前の様に慣れてしまった。
今では何が起こってもほとんど動揺しない。
(間)
利恵子:あの……。
慎一郎:いらっしゃいませ。1名様ですか?お部屋をお選びください。
利恵子:いえ!あの……違うんです。今日、面接を予定していた者なのですが……。
慎一郎:面接?……ああ、アルバイトの。これは失礼いたしました。では、待合室の方で待っていただいて。……まっすぐ行って左です。チーフもすぐ来ると思いますので。
利恵子:あっ、ありがとうございます……!
(利恵子、去る)
慎一郎:(M)今日面接あるとか聞いてないんだけど。まあ、チーフのことだから、仕方ないか。
(電話をかける慎一郎)
慎一郎:……あ。もしもし、チーフ?お疲れ様です。今日面接の方、いらっしゃいましたよ?
……はーい。……はい。……分かりました。……それじゃ、失礼します。
(間)
慎一郎:(M)チーフ。やっぱり忘れてやがった。歳も歳だし、仕方ないか。
(間)
慎一郎:(※独り言)……それにしても、可愛かった、よな。いくつだろう?俺と同じくらいな気がする。
(間)
慎一郎:(M)こうして一人でフロントをやっていると、どうしても独り言が増える。
(間)
慎一郎:(※独り言)バイト……入ってくれたら、嬉しいな。そしたら俺もルーム出たいな。
(間)
慎一郎:(M)ラブホでの業務は、ホテルごとに違うとは思うが、俺の働いている「ザアパールク」というラブホは何処よりも前時代的だと思う。
ルームスタッフは各部屋の清掃が主で、フロントスタッフは受付。金銭のやり取りが主な仕事だ。
「主な」というだけで、フロントスタッフがルームを手伝う事も多々ある。
うちのラブホは初めからフロントのみで働くことは出来なくて、必ずルームを3か月は経験しなくてはならない。そういう決まりがある。
(間)
慎一郎:(※独り言)(※監視カメラを見ながら)……お。宮本さんだ。相変わらず出勤早いなあ。
見た目チャラついてんのに真面目だよなあ。……こんな小さなラブホで、そんなに頑張って何になるってんだよ。
(間)
慎一郎:(M)「ラブホで働いている」と人に言うと、「楽そうでいいな」とよく言われる。
確かに俺は力抜いて働いてるし、この仕事に何の誇りも持っていないけど。
(間)
慎一郎:(※独り言)……まあ、楽そうでいいよな。「汚物の一つも処理しなくていい人間」は。
(間)
慎一郎:(M)年季の入った2階建ての小さなラブホ。勿論タッチパネルや自動精算機なんてあるはずもない。
……だけど此処が、5年前からずっと俺の居場所だ。
◆数日後◆
利恵子:初めまして。今日からお世話になります。豊橋(とよはし)と申します。
慎一郎:(M)うっひょー。かわいいじゃーん。チーフに交渉してルーム入れさせて貰えて良かった!完全に下心だけど!
(間)
慎一郎:大曾根(おおぞね)です。よろしくお願いします。普段はフロントやってるんですけど、ルームもよく入るし分かるから安心してください。
利恵子:はい!よろしくお願いします!
慎一郎:まずは、203号室が空いたのでそこから行きましょう。
利恵子:はい!
(203号室を開ける慎一郎、後から入る利恵子)
利恵子:…………。
慎一郎:豊橋さん?どうしました?……あ、臭いですか?窓開けるんで大丈夫ですよ。
利恵子:……あ、いえ。他人が使った後の部屋って、こんな雰囲気なんだな、と。
慎一郎:はあ。まあ、確かに最初は慣れませんよね。この仕事してなかったら、まず経験することのない場面ですから。では、まずは窓を開けます。
利恵子:……あ、は、はい!ちょっと待ってください、メモるので。
慎一郎:真面目なんですね。たぶんすぐ覚えられると思うんで、そんなに細かくメモしなくても大丈夫ですよ。
利恵子:……ああ、いえ、違うんです。えっと、昼職が久々で……。
慎一郎:昼職?
利恵子:いえ!何でもありません!!……私、記憶力弱いので。メモらないと駄目なんです。
慎一郎:いい事だと思いますよ。……じゃあ、次は、ゴミ箱をチェックします。ほとんど必ずゴミが出ているはずなので。
利恵子:なるほど……。(※メモっている)
慎一郎:そして、豊橋さん。テーブルの上の食べ物や飲み物やらのゴミを纏めてきてくれますか?
利恵子:は、はい!やります!!
慎一郎:お願いします。
利恵子:ひゃっ!?
慎一郎:どうされました?
利恵子:す、すみません。この缶ビール、まだほとんど残っていて……どうすれば……。
慎一郎:ああ、そういうときはトイレに全部流しましょう。
利恵子:……な、なるほど……。
(休憩室にて)
利恵子:……えっと、次は何をすれば……。
慎一郎:部屋が空くまではとりあえず待機です。タオルでも折っちゃいましょうか。
利恵子:……はい。
慎一郎:豊橋さん。そこにあるハサミ取ってもらえますか?タオルを纏めている紐を切りたいので。
利恵子:あ、はい!……えっと、これ、ですかね。
慎一郎:ありがとうございます。
利恵子:……それで、えっと……
慎一郎:(※タオルを折りながら)こんな感じで、折っていって、セットを作ります。
利恵子:はい!えっと、メモメモ……。
慎一郎:あはは。こんなことメモしなくても大丈夫ですよ。誰でもできますから。
利恵子:…………できないんです。
慎一郎:え?
利恵子:…………誰にでも出来る事が、できないんですよ、私。
慎一郎:いやいや、ちゃんと出来ていたじゃないですか。大丈夫ですよ。
(間)
利恵子:大曾根さんは、落ち着いてますよね。
慎一郎:そうですか?そんなことも無いと思いますけど。
利恵子:長く働いているんですか?此処で。
慎一郎:……そうですね。もう5年ほどになります。
利恵子:凄い。
慎一郎:何も凄くありませんよ。ダラダラ働いて時間だけが過ぎたって感じで。
利恵子:私、5年も同じ場所で働けたことありませんよ。……社会不適合者だから。
慎一郎:そんなこと言ったら、俺だって、ずっとこの場所から動けずにいる社会不適合者です。
利恵子:…………大曾根さんって、おいくつ、ですか?
慎一郎:25歳です。
利恵子:……あ。同い歳だ。
慎一郎:やっぱりですか?歳近いよなあとは思っていたんですよ。
利恵子:……私も、思ってました。
慎一郎:いろいろと、難しい年齢ですよね。上からは「まだ若いんだから」って叩かれるけど、でも、言うほど身動きも取れない。
利恵子:わ、分かります!めちゃくちゃ分かります!周り見たらもう結婚して子供居たりとかして……!
慎一郎:あはは。それ、本当に分かります。俺もそんな感じです。
利恵子:結婚してなくても……皆ちゃんとした仕事に就いてて、昔一緒にヤンチャした仲間も、今では「仕事のやりがいが~」とかの話ばっかりで。
慎一郎:凄くよく分かります。俺もずっと此処でバイトしてるだけの、ただのフリーターなので。「仕事のやりがい」についての話は、男の方がもっと酷いですよ。
利恵子:あ……。確かに。男の人って、仕事に拘(こだわ)りがちですもんね。
慎一郎:そういうことです。……というか、同い歳って分かったんですから敬語やめませんか?
利恵子:あはは。そう言うならまずは大曾根さんから敬語やめてくださいよ。堅っ苦し過ぎます。
慎一郎:あ、あはは……。その、……ごめん。
利恵子:合格っ!
慎一郎:……何の合格?
利恵子:私がため口で話す相手に値するかの試験?
慎一郎:何だよそれ。(※笑いながら)
利恵子:(※楽しそうに笑う)
慎一郎:……それじゃ、タオル全部折り終って組み終わったから、少し休憩しよっか。そこのテレビ、付けていいよ。リモコンすぐそこにあるから。
利恵子:あ、うん。分かった。
(間)
利恵子:(M)私がテレビの電源を付けた瞬間に流れたのは、報道番組だった。
そこで取り上げられていたのは、まだ真新しい「ホスト殺害事件」のニュース。
逮捕された女性の実名は、「春日井琉美(かすがい・るみ)」。彼女が働いていた風俗店の名前は……
(間)
慎一郎:……ああ、その事件。風俗嬢がホストを刺し殺したってことで、かなり有名になってるよな。ネットでも沢山取り上げられてるし。
利恵子:…………うん。
慎一郎:……豊橋さん?どうかした?
利恵子:「ラブ・ドリーム」。
慎一郎:え?
利恵子:大曾根さん、知ってる?
慎一郎:あれだろ?「ホスト殺害事件」で逮捕された風俗嬢が、働いてた店の名前。
利恵子:……そう。「ラブ・ドリーム」。直訳すれば、「愛の夢」。
慎一郎:まさにデリヘルって感じの名前だよな。
利恵子:……私ね、此処のラブホ、何回か来たことあるの。
(間)
慎一郎:(M)うげ。元お客さん……?そんなことをわざわざ話してくるなんて……ちょっと苦手なタイプだったかもしれない。
(間)
慎一郎:それは……彼氏、と?
利恵子:……ううん。客と。
慎一郎:…………客?
利恵子:うん。私、その店で働いてたの。「ラブ・ドリーム」。
慎一郎:……えっと。
利恵子:つまりは元風俗嬢。「ラブ・ドリーム」は、私の居場所だったの。
そしてここのラブホ、「ザアパールク」は私の大好きなラブホだった。客に呼んでもらえると、嬉しかったんだよ。
慎一郎:……こんなオンボロなラブホが、か?
利恵子:オンボロなんかじゃないよ。そういうのは、「味がある」っていうの。
慎一郎:……は、はあ。
(間)
利恵子:突然ごめんね!こんな話されても、困るよね!
慎一郎:……う、うん。……でも、そっか、豊橋さんは居場所を失って、うちのラブホに働きに来たんだね。
利恵子:そういうこと。店も営業停止になっちゃったし、この機会に風俗からは足を洗おうと思って。……だけど、昼間の仕事をするのは本当に久々だったから、緊張してるの。
慎一郎:だからあんなに熱心にメモ取ってたのか……。
利恵子:うん。……私さ、普通の人が普通に出来る事が、出来なくて。就職してみたこともあったけど、研修期間でクビになったし。なんていうか、そんな感じ。
慎一郎:……なんか、分かる気がする。
利恵子:どうして?大曾根さんは此処で5年も働いてるじゃない。
慎一郎:でも俺、就職したこと無いし。……二十歳で上京してから、ずっと此処でバイトしてるだけの、ただのフリーターだし。やりたい事も無いし。それこそ、普通の人が普通に出来る事が、俺には出来てない。
利恵子:……なんかさ、社会って面倒くさいよね。
慎一郎:なんなら人生も面倒くさい。
利恵子:……病んでるの?
慎一郎:……どうだろうな。
(休憩室の内線が鳴る)
慎一郎:……お、部屋空いたかな?
(内線に出る慎一郎)
慎一郎:もしもし。……あ、はい。分かりました。205ですね。……はい。大丈夫です。……はーい。
(内線を切る慎一郎)
慎一郎:豊橋さん。次は205号室だって。行こうか。
利恵子:う、うん。いや、はい!
慎一郎:なんで敬語?
利恵子:いや……。仕事上は、一応先輩だし。
慎一郎:真面目だね。
利恵子:そんなことないよ。
(205号室に入る慎一郎と利恵子)
利恵子:……あ。
慎一郎:どうした?
利恵子:ここの照明。位置変えたんだね。
慎一郎:ああ。宮本さんが、こっちの方がいいって。
利恵子:宮本さん?
慎一郎:ここで10年以上働いてるルームスタッフのお兄さん。そのうち会うと思うよ。
利恵子:そうなんだ。
慎一郎:というか、なんで知って……あ、来たことあるんだったよね。
利恵子:うん。この部屋は、ザアパールクで一番好き。
慎一郎:それはどうもありがとう。
利恵子:でも、あれだね。客として入るのと、スタッフとして入るのとじゃ、全然違うね。
慎一郎:そういうものなのかな。……俺にはよく分かんないや。
◆時間経過◆
◆フロントオフィス◆
慎一郎:(※独り言)あー……。またガチャ爆死した。
(勢いよくフロントオフィスに入ってくる利恵子)
(息を切らしている)
利恵子:っっあー!!もう最悪!!
慎一郎:……今度はどうしたの?
利恵子:山田さんと岩下さんがまーた私の目の前で大喧嘩始めて!!あのババア二人、ほんとどうなってんの!?
慎一郎:あはは。まああの二人は昔から仲悪いからね。
利恵子:もう20年以上一緒に働いてる仲なんでしょ!?どうして今更言い合いになるわけ!?
慎一郎:それはまあ、確かに豊橋さんの言う通りだけど。ほら、お年寄りって自分の意見こそが正しいと信じて疑わないから。
利恵子:もうほんっとにストレス。大曾根さんはよく耐えられるよね。
慎一郎:俺はもう慣れてるから。
利恵子:お年寄りに好かれるっていうのは人生得してると思うよ。
慎一郎:好かれてるのかどうかは分かんないけど。ちょっと仲裁に行ってこようか。
利恵子:……マジで頼む。
(間)
(タイムカードを切る利恵子)
利恵子:お疲れ様です。
慎一郎:豊橋さん、お疲れ様です。
利恵子:……この後も仕事、頑張ってね。
慎一郎:うん。ありがとう。
利恵子:………あ。そうだ。
慎一郎:?
利恵子:じゃーん!見て見て!このスマホケース!
慎一郎:あ、それって。キメツの奴じゃん。
利恵子:大曾根さんの好きなキャラもちゃんといるんだよ?ほら、ここ。
慎一郎:おー。ほんとだ。デフォルメ可愛いな。
利恵子:でしょ?
慎一郎:……あ。そうだ豊橋さん。明日シフト変わって、宮本さんと一緒だから。よろしくね。
利恵子:うげ。宮本さんか~~……。
慎一郎:宮本さん嫌いだっけ?
利恵子:いや、嫌いって訳じゃ……。お年寄り軍団に比べたらよっぽどマシだけど。
慎一郎:なんかあったの?
利恵子:んー……とね、うーん。……その、宮本さんって妻子持ちだよね?
慎一郎:うん。俺が入ったばっかの頃に、結婚したとかなんとか言ってた。
利恵子:やっぱりそうだよねー……。
慎一郎:え?ほんとに何があったの?
利恵子:誰にも言わないって約束する?
慎一郎:うん。別に言わないけど。
利恵子:……私が入ったばっかの頃にさ、二人で飲みに行かないかって誘われてさ。
慎一郎:…………マジ?
利恵子:マジ。大マジ。まあそれでその時はしっかり断って、距離取るようにしてたんだけどね?最近、またしつこいんだぁー……。
慎一郎:俺あの人と5年間ずっと一緒に働いてきたけど、飲みに誘われたこととか一度も無いわ。
利恵子:此処のスタッフに若い女性が定着しないの、あの人が原因なんじゃない?
慎一郎:まあ確かに見た目チャラいしな。仕事は真面目だから評価されてるけど。
利恵子:独身ならまだしも、妻子持ちのすることじゃないよねー。
慎一郎:それはごもっともで。
利恵子:はーー。私、此処の仕事向いてないのかもなあ。お年寄りには嫌われるし、妻子持ちからは言い寄られるし。
慎一郎:そんなことないよ。豊橋さんはちゃんと頑張ってるじゃん。
利恵子:それ、私を引き留めたくて言ってる?
慎一郎:……いや、本心だけど。
利恵子:私の居場所は、此処じゃないのかもなあ。
慎一郎:辞めるとか言わないでよ?ただでさえ若者足りてないんだし。
利恵子:……ふふ。大曾根さんだけが、此処での私の癒しだなあ。……あ、じゃあそろそろ帰る!長々と愚痴聞いてもらっちゃってごめんね!
慎一郎:いや……。俺で良ければいつでも聞くけど。
利恵子:優しいね。
慎一郎:……そうかな?
利恵子:(M)私の大好きなラブホ、「ザアパールク」での仕事は思ったよりも人間関係が大変で。仕事はすぐに慣れたけど、私はいつも悩んでいた。
……そのタイミングで、私が元々働いていた店「ラブ・ドリーム」から連絡が入った。来週から営業を再開する、と。
慎一郎:(M)豊橋さんが入ってきてからの職場は、いつも賑やかで、華やかで。紛れもなく豊橋さんは、俺の退屈だった毎日に色を与えてくれていた。
明日はどんな話が聞けるのだろう。愚痴でも何でもいい。俺は、豊橋さんから話を聞くことが、一つの楽しみになっていた。
◆数日後◆
慎一郎:(※伸びをする)……はーぁ。
慎一郎:(M)今日もまた、長い長い24時間勤務が始まる。小さなラブホテルのフロント。それが俺の居場所。
(間)
慎一郎:(※独り言)それにしても、今日豊橋さん遅いなあ。いつもならもう出勤しててもおかしくない時間なのに。
(間)
(フロントオフィスにスタッフが入ってくる)
慎一郎:……あ。岩下さん。おはようございます。今日もよろしくお願いします。
(間)
慎一郎:(※独り言)……もうすぐ始業時間なはずだけど。……豊橋さん。何かあったのかな。ラインの既読もつかないし。
(間)
(電話がかかってくる)
慎一郎:……あ、はい。もしもし。チーフ。……え?豊橋さんから辞める、って?……いや、俺は何も聞いてませんけど。
……はい。……はい。分かりました。今日は俺がルーム出るんで……。(電話切れる)
慎一郎:(深呼吸)
慎一郎:(M)俺はもやもやとした気持ちを振り払う。……今までだって、若いスタッフは何十人と辞めて来たんだ。今更。……今更こんなの、どうってことない。
(間)
利恵子:(※声だけ)『見て見て!大曾根さん!……推し、一発で引いちゃった~!私、ガチャ運良くない!?』
(間)
慎一郎:(M)……豊橋さんはただのバイト。いつ居なくなってもおかしくない。別に驚くようなことじゃない。
(間)
利恵子:(※声だけ)『大曾根さん聞いてよ~!また山田さんがさ~!』
(間)
慎一郎:(M)俺はここで5年も働いているバイト。何が起こっても、動揺しない。
(間)
利恵子:(※声だけ)『こないだね、キメツのガチャガチャしたんだけど、これ。大曾根さんの推しでしょ?あげるよ!私の推しは出なかったからさ~。』
(間)
慎一郎:(M)……今日も力を抜いて、ただ淡々と仕事をこなすだけ。
(間)
利恵子:(※声だけ)『私の居場所は、此処じゃないのかもなあ。』
慎一郎:(M)俺の居場所は此処だから。……俺の居場所は、此処しかないんだから。
◆数か月後◆
慎一郎:いらっしゃいませ。1名様ですか?……あ、待ち合わせですね。205号室ですか。どうぞ。
(間)
慎一郎:(M)205号室、か。豊橋さんが、一番好きだって言ってた部屋だな。
(間)
利恵子:(※声だけ)『この部屋は、ザアパールクで一番好き。』
(フロントを去ろうとする利恵子を引き留める慎一郎)
慎一郎:っっ!!豊橋さんっっ!!
利恵子:……??
慎一郎:あ。……す、すみません。その……ごゆっくりどうぞ。
(間)
利恵子:…………私ね、このラブホ、「ザアパールク」が一番好きよ。大曾根さん。
慎一郎:っっ!!!
利恵子:……それじゃ。
慎一郎:(M)俺と豊橋さんはただの「元」バイト仲間。友達ですらない。……ましてや、恋愛感情なんて。
(間)
慎一郎:(※独り言)うちのラブホを、気に入ってくれてありがとう。豊橋さん。
◆END◆
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